エッセイ 私の古仏探訪 3
山の辺の名刹
桜井駅から北へ長岳寺に向かう。街道の両側にところどころこんもり木に覆われた小山が見える。古墳や天皇陵である。ここ山の辺にはそうした小山がよくみられ、古代の里が実感される。柳本バス停から続く寺の参道はきれいに整備され、堀に囲まれた崇神(すじん)天皇陵を右に見ながら散歩気分で楽に歩ける。
さほど大きくない大門を入ると楼門に至る道の両側は背丈以上もある大きなつつじが大量の花をつけていた。あと二、三日もすれば満開になってまさに花の回廊になるだろう。
楼門は日本最古の鐘楼門で寺の創建当時の唯一の建物という。小さいながらも立派な二層門でかつては上層に鐘が吊るされていたというが今はない。
楼門を入る。左手奥に大きな本堂が見える。江戸時代に再建された建物で、阿弥陀三尊や二天王などの像が安置されている。
阿弥陀三尊像
阿弥陀三尊像のうちの中尊阿弥陀如来像は像高140㎝の堂々たる座像で、かつては金箔で覆われていたと思われるがすっかり剥落して漆黒でブロンズのようなつややかな姿だった。一見、運慶かと思う。傍によってよく見ると衣の襞は彫が深く鎌倉彫刻のようである。しかし、豊かな像容で、鼻稜が高くそのまま眉として左右に広がっていて鼻根辺りの窪みがない。飛鳥、天平時代の像によく見られるような顔の作りである。平安時代後期と書かれていることから確かだと思うが典型的な平安時代の作とはどこか違うような気がした。
中尊は丸顔で肥満気味、胸のあたりがぽっちゃりしているが、胴周りが絞られている。脇侍の二尊はやや面長で、体形は中尊と同様である。半跏像として両者は対称的に片足を下げているのが珍しい。
この三尊像には玉眼が使われている。当時の仏像は、目は外形を彫った中に墨で描かれているのが普通だが、この像には玉眼が使われていた。玉眼は薄くレンズ状に削った水晶の裏側に墨で瞳を描いたものをくり抜いた目の部分に内側からはめ込み、白い和紙で裏打ちしたものである。当時の人々は苦しい日々の暮らしのなかで来世の幸せを願って阿弥陀仏を信じていた。その像に玉眼を使うことで現実感が増し、人々の信頼を高める効果が期待されたのである。鎌倉時代以降の仏像によく使われるが、この阿弥陀三尊像はその先駆ということだった。
半開きの瞼の奥に黒い瞳が光っていた。
この阿弥陀三尊像、その彫りが深いことや玉眼を使っていることから誰が製作したのか気になった。あとで調べたところ、この三尊像は寄木造りだがその用材の使い方からみて奈良仏師、康助(こうじょ)の可能性が高いということだった。運慶の父康慶の一代前の仏師である。というわけで、のちの慶派に繋がるもので美術史上大変貴重な像であることがわかった。そうとは知らず、もともとここを訪れたのは二天王像が目あてであったが、見事な像に出会えて何か得をしたような気分になった。とても魅力的でいい像ある。
三尊像の左右に等身大の増長天と多聞天の像が置かれていた。平安中期の作というが邪鬼を含めて彩色が驚くほどよく残っていて截金(きりがね)も見事だった。この像はかつて聖林寺の十一面観音像と同じ古寺にあったというが、そこの保存環境がよかったに違いない。
本堂の前の広大な庭には大きなつつじが満開の花をつけ、池にはカキツバタが緑の葉の間に青色の花を散らしていてその美しさに時を忘れて見とれてしまった。今まで見てきた寺の庭のうち最も自然で美しいのではないだろうか。深山の中にいるような静かで安らぎを感じさせるいい庭である。
寺の裏山に上ると大小の石仏や石塔が点在していた。なかには鎌倉時代に古墳の石棺の蓋から作ったという2メートルもの大きな弥勒(みろく)大石棺仏(だいせっかんぶつ)があった。
フェノロサ、天心絶賛の十一面観音像の寺
桜井駅から南へ談山神社行きのバスで10分ほど行ったところにある名刹。聖林寺と書かれたバス停から西へなだらかな坂道を暫く行くと右手に木々の間に寺の屋根が見えてくる。
本堂には江戸中期に造られた大きな石仏の子安延命地蔵像が本尊として安置されている。安産や子授けに霊験あらたかとして広く信仰を集めているらしい。
本堂の左手から階段廊下が山の斜面に沿って上に伸びていてその先に観音堂がある。コンクリート造りの収蔵庫を兼ねた堂である。
十一面観音像
堂に入ると、国宝十一面観音像一体だけがガラスケースに覆われて部屋の中央に置かれていた。いわゆる八頭身のすらりとした細身の姿である。台座は免震構造になっているというがかなり高く、そこに杯状の蓮華座を介して立つ像は見上げるような高さだった。明るい照明、空調が効いた部屋には数脚の椅子があるだけで他に何もない。観音像を周囲どこからも見られるようになっていて博物館のような雰囲気だった。
頭に十一面を乗せ、左手に蓮の花の花瓶を持っている。右手は自然に下げているが、指先は太ももの中ほどにある。十一面観音像には法華寺の像のように観音の三十二相に従って膝に達するほど長い手のものもあるがこの像は人とほぼ同じである。その指先には微妙な和らかさが感じられる。豊満で威厳のある顔や長身で堂々とした像容からは荘重という表現がぴったりである。
和辻哲郎は古寺巡礼の中で、「見慣れた形相の理想化であって、異国人らしい跡もなければ、また超人を現わす特殊な相好があるわけでもない。しかも、そこに神々しい威厳と人間のものならぬ美しさが表現されている」という。また、写真家の土門拳は「三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)の化身ではないか。菩薩の慈悲というよりは神の威厳を感じる」と述べている。と、多くの人がその姿を絶賛しているが、美術史家の中には天平の名作と認めるものの随一というほどでもないという人もいる。
人それぞれで見方は異なるだろうが、数ある十一面観音像の中で威厳、荘重という点で飛びぬけていて必見の価値のある像であることは間違いない。ただ、それだけに近寄りがたい感じがするのはやむを得ないのかもしれない。
寺を出てバスを待つ間付近を歩く。4月半ば、近くの田んぼにはまだ水が張られてないが蛙の声がしきりに聞こえてくる。久しぶりに聞く声である。
つづく