プレスリリース

「 ビッグデータを用いた時系列トータルシミュレーションによって新しい病態・バイオマーカーを発見 」【岡澤均 教授】

公開日:2024.4.9
「 ビッグデータを用いた時系列トータルシミュレーションによって
新しい病態・バイオマーカーを発見 」
―脊髄小脳失調症では超早期から脳炎症につながる分子的変化が起きている―

ポイント

  • ビッグデータ解析は、神経変性疾患の先端的研究において主流になりつつあります。
  • しかし、全分子の関係性を表現する「分子ネットワーク」の“時間的変化を因果関係に基づいて解析する手法”は存在しませんでした。
  • 今回新たに開発した因果関係に基づく時系列分子ネットワーク解析法(iMAD)を用いて、脊髄小脳失調症1型のiPS細胞から小脳細胞への分化過程、さらには、マウスモデルの発症期までの病態進行の詳細を解析しました。
  • その結果、発症のはるか以前(超早期)から、脳炎症に将来的に進行する病態 (ISG15などcytokine関連遺伝子を中心とする分子ネットワーク変化)が生じていることを発見しました。
  • なかでもISG15につながる初期病態は重要であり、同時にISG15は脊髄小脳失調症の新たなバイオマーカーとなる可能性を示しました。
 東京医科歯科大学 難治疾患研究所・神経病理学分野の岡澤均教授の研究グループは、北海道大学・佐々木秀直・名誉教授、同・矢部一郎教授、慶応義塾大学・岡野栄之教授との共同研究により、岡澤グループが開発した新たな時系列分子ネットワーク解析法(iMAD)を用いて、脊髄小脳失調症1型(spinocerebellar ataxia type 1, SCA1)のiPS細胞とモデルマウスのmRNA発現ビッグデータのスパコン解析結果を基に、発生初期から発症に至る分子病態進行を時系列シミュレーションし、SCA1の最初期に生じる新たな病態を明らかにしました。その研究成果は、Springer Natureの発行する国際科学雑誌Communications Biologyにおいて2024年4月9日にオンライン版で発表されました。本研究は、科学研究費補助金・基盤A・「脳老化・神経変性の連続性・非連続性の分子計算論的解明と予防医療への応用」ならびに、新学術領域「シナプス・ニューロサーキットパソロジーの創成」などの支援を受けたものです。

研究の背景

 近年、神経変性疾患の超早期病態※1に注目が集まっています。神経変性疾患の多くは、異常な構造を持つタンパク質が細胞の内側外側に蓄積もしくは沈着(凝集)することが病理学的特徴として知られています。一方、神経変性疾患の概ね10%程度は、遺伝子変異が原因で生じおり、その病態が異常タンパク質凝集の前の時期から起きているのではないかということが、国際的には10年近く前から議論されています。これらの遺伝性変性疾患のマウスモデルを用いた研究から、異常タンパク質凝集前の超早期病態の存在が疑われています。
 最近では、アルツハイマー病に対する複数の抗体医薬品が承認されたことで話題を呼びましたが、これらは基本的に異常タンパク質の沈着凝集の除去を作用基盤としているため、異常タンパク質凝集前の超早期病態には効果がないことが想定され、凝集後の病態を抑制するのみでは効果は限定的になると予想されます。
 岡澤教授の研究グループでは、アルツハイマー病、前頭側頭葉変性症、ハンチントン病、脊髄小脳失調症の病態に対する網羅的なタンパク質解析(プロテオーム解析)、遺伝子発現解析(トランスクリプトーム解析)を20年前から開始し(Tagawa et al, J Neurochem 2004; Tagawa et al, J Neurosci 2007; Qi et al, Nature Cell Biol 2007; Enokido et al, J Cell Biol 2010など)、さらに2010年度-2015年度・新学術領域「シナプス・ニューロサーキットパソロジーの創成」および2010年度-2015年度・脳科学研究戦略推進プログラム課題Eにおいて、これらの疾患での異常タンパク質凝集前の『超早期病態』を世界に先駆けて提唱し、その本体を研究してきました(Tagawa et al, Hum Mol Genet 2015; Fujita et al, Sci Rep 2016; Tanaka et al, Nature Commun 2020; Homma et al, Life Sci Alliance 2021など)。
 これらの研究は、生後1ヶ月以後の疾患モデルマウスあるいはヒト死後脳をサンプルに用いた解析でしたが、今回の研究では、さらに時間的に繰り上げて、受精直後のES細胞に相当するiPS細胞から解析を始め、受精から発生段階、誕生から発症、そして個体死に至る全過程を解析(トータルシミュレーション)しようと試みました。そして、研究対象とする疾患として、岡澤グループがこれまでも研究をしてきた、また希少疾患でもある、脊髄小脳失調症1型に定めました。その結果、予想外の早期にサイトカイン関連分子のネットワーク変化が認められ、中でもISG15の上昇はアタキシン1の凝集病態のトリガーになりうること、そして血液バイオマーカーにもなりうることが明らかになりました。
 このシミュレーションのメソッドは、アルツハイマー病など、患者数の多いコモン疾患にも応用が可能です。また、今回はスパコンを用いた一定のアルゴリズムによる探索的研究でしたが、次の段階でAIと組み合わせることで、予測的研究へと強化することが可能です。

研究成果の概要

 今回、岡澤教授の研究グループは、「分子ネットワークの時間的変化」を因果関係に基づいてシミュレーションする手法を創出しました。その結果、発症のはるか以前(超早期)から、脳炎症に将来的に進行する病態 (ISG15, VEGFなどのサイトカインを中心とする分子ネットワーク変化)が生じていることを発見しました。具体的には、他グループが報告した手法に沿ってiPS細胞を小脳神経細胞(プルキンエ細胞)に分化させ、この過程でサンプルを採取してmRNA発現変動をRNAシーケンスで測定しました。併せて、脊髄小脳失調症1型の2種類のモデルマウス(mutant human Ataxin1 transgenic mouse, mutant Ataxin1 knockin mouse)で、他グループが測定して公開されているRNAシーケンスデータを利用しました。そして、今回新たに開発した時系列分子ネットワーク解析法(iMAD※2)を用いて、タンパク質間相互作用のデータベースをもとに因果関係を持つ時間的つながりを抽出して、iPS細胞から発症後に至る分子ネットワークの変遷を図示しました(図1)。

図1: 今回開発した、因果関係に基づく「分子ネットワークの時間的変化」のシミュレーション。IPS細胞の時期に起こった遺伝子発現変化が、発症さらにその後の病態進展につながっていくことが可視化できる。

 次にこの中で、初め(iPS細胞段階)から最後(マウス病態進展期、もしくは変性したプルキンエ細胞段階)までつながっている分子ネットワークを抽出しました(図2)。その結果、Interleukin receptor 4、ISG15を含む炎症病態経路が超早期から変動して病態進展期につながっていることを発見しました。

図2: 因果関係を持ってiPS細胞の時期から18週まで途絶えずに繋がっていくcytokineに関わる分子ネットワークを紫色のラインで示している。

 脊髄小脳失調症1型におけるISG15の変化は初めての発見であったので、モデルマウス(mutant Ataxin1 knockin mouse)およびヒト患者死後脳を用いて、この分子の変動を確認しました。また、患者さんの血液でISG15を測定して上昇を確認しました。一方、ISG15はユビキチン・プロテアソーム系のタンパク質を抑制する働きがあり、ISG15上昇が上流変化となってユビキチン化したAtaxin1の分解を妨げ、神経細胞内の蓄積につながっている可能性も示しました(図3)。

図3: ISG15はAtaxin-1タンパク質のユビキチン鎖に直接結合する(左)か、もしくはユビキチン化したAtaxin-1タンパク質の別な部位に結合して(右)、Ataxin-1タンパク質の分解を阻害すると考えられる。

 さらに、血液中のISG15は脊髄小脳失調症1型患者で上昇傾向にあり、個々の患者では発症後の病態進行に伴って低下していく傾向がありました(図4)。

図4: 血漿中のISG15を正常者および脊髄小脳失調症1型患者で測定した(左)。患者群では有意に上昇している。一方、ISG15は発症後の病態進行に伴い徐々に低下する傾向にあった(右)。

研究成果の意義

 今回の研究成果は、受精直後のES細胞に相当するiPS細胞から小脳神経細胞(プルキンエ細胞)への分化システムから得たデータと、モデルマウスのデータを統合的に解析を行い、受精から発症、そして個体死に至る全過程を解析(トータルシミュレーション)しようと試みました。そして、従来考えられていなかった発生段階から、将来の炎症病態につながる分子ネットワークが変動を始めていることを発見しました。このトリガーになる分子として、ISG15, IL4 receptorなどの従来SCA1への関与の報告のなかった分子でした。ISG15は患者血液でも上昇しており、バイオマーカーとして使うことが期待できます。また、ISG15のタンパク質分解系への抑制作用が超早期に起きている上流病態である可能性を示しました。
 このシミュレーションのメソッドは、アルツハイマー病など、患者数の多いコモン疾患にも応用が可能です。また、今回はスパコンを用いた一定のアルゴリズムによる探索的研究でしたが、次の段階でAIと組み合わせることで、予測的研究へと強化することが可能です。
 また、今回の研究は、超早期病態が予想を超えて早い時期から起きている可能性を示しましたが、この結果は患者さんにとって失望するようなことではなく、どの時期にどのような分子を標的に治療をすれば大きな治療効果を得られるかの予測を示すことになり、治療開発につながります。さらには、どのような分子をどの時期に標的にすれば、将来の発症を抑えるあるいは遅らせることができるかを予測することにもつながります。
 岡澤教授のグループでは、約10年前から代表者のアイデアで研究を開始しましたが、ラボのマンパワーあるいは研究資金の不足のため、国際的競争相手に追いつかれています。日本の生物学・医学研究では横並びに平均化することが優先されがちですが、先端的な研究を突出させる必要があると考えています。

用語解説

※1 超早期病態
アルツハイマー病などでは、発症前に既にアミロイド(同病の異常タンパク質)が脳の細胞外に沈着することが知られてる。これらの時期をprodoromalもしくはpreclinicalと国際的には呼称している。最近、日本国内では、これを「超早期病態」と呼ぶことがあるが、これは厳密には間違った使い方であり、超早期病態は異常タンパク質凝集前の分子変化・形態変化を呼ぶものである。

※2 時系列分子ネットワーク解析法(iMAD)
AIの基本となるベイズ解析の考え方に基づき、ある時点においてコントロール群と疾患群の比較において有意に変化するタンパク質について、そのタンパク質がタンパク質間相互作用データから結合関係を持つ全てのタンパク質のうち、次の時点でコントロール群と疾患群の比較において有意に変化したものの割合(有意変化率)と、全タンパクの有意変化率(背景的有意変化率)に対して比較し、前者の有意変化率が後者の背景的変化率に対して統計的な差を持って高い場合に、その結合関係が因果関係にあると判断し、線(エッジ)でタンパク質の点(ノード)を結ぶ方法。
 

論文情報

掲載誌: Communications Biology

論文タイトル: Dynamic molecular network analysis of iPSC differentiation to Purkinje cells delineates the role of ISG15 in temporal regulation of SCA1 pathology at the earliest stage

DOI: https://doi.org/10.1038/s42003-024-06066-z

研究者プロフィール

岡澤 均(オカザワ ヒトシ) Hitoshi Okazawa
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
神経病理学分野 教授
研究領域
神経内科学、神経科学、神経病理学、分子生物学
 

本間 秀典(ホンマ ヒデノリ) Hidenori Homma
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
神経病理学分野 特任准教授
研究領域
数理情報学
 

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
神経病理学分野 岡澤 均(オカザワ ヒトシ)
E-mail:okazawa.npat[@]mri.tmd.ac.jp

<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
E-mail:kouhou.adm[@]tmd.ac.jp
 

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関連リンク

プレス通知資料PDF

  • 「 ビッグデータを用いた時系列トータルシミュレーションによって新しい病態・バイオマーカーを発見 」