「がん微小環境ネットワークを遮断することで腫瘍形成が阻害されることを発見」【渡部徹郎 教授、井上カタジナアンナ 助教】
公開日:2023.11.17
「がん微小環境ネットワークを遮断することで腫瘍形成が阻害されることを発見」
― 副作用が少ない新規がん治療薬の開発に期待 ―
― 副作用が少ない新規がん治療薬の開発に期待 ―
ポイント
- がん微小環境に豊富に存在するトランスフォーミング増殖因子(TGF-β)※1を阻害する新規Fc融合タンパク質※2を開発し、口腔がん細胞による腫瘍形成を抑制することを見出しました。
- このTGF-β阻害剤は、がん細胞や腫瘍血管に作用して、腫瘍形成を促進する様々な因子の発現を低下させて、がん微小環境ネットワーク※3を遮断することで腫瘍形成を阻害することをつきとめました。
- このTGF-β阻害剤による副作用は観察されず、TGF-βが関連する様々な疾患に対する新規治療薬の開発への応用が期待できます。
研究の背景
がんの悪性化はがん微小環境における様々な成長因子やサイトカイン※4によって調節されています。こうしたサイトカインの中で、TGF-βは様々な種類のがんで豊富に存在し、がん細胞の上皮間葉移行(EMT)※5や腫瘍血管新生※6を誘導することで、がんの悪性化を亢進します。TGF-βにはTGF-β1、-β2、-β3という3つのアイソフォームが存在しますが、その中でTGF-β2の発現は様々な種類のがんにおいて予後不良因子であることが知られています。TGF-βシグナルを阻害することを目的として、研究グループはTGF-β (Tβ)のI型(TβRI)ならびにII型(TβRII)受容体の細胞外領域を、免疫グロブリンのFc領域に結合させたFc融合タンパク質(TβRI-TβRII-Fc:以下“TGF-β阻害Fc融合タンパク質”)が全てのアイソフォームを阻害することを以前報告しましたが(Takahashi et al., 2020, JBC)、そのタンパク質の腫瘍形成に対する作用は不明でした。
研究成果の概要
そこで研究グループは本研究において、ヒト口腔がん細胞を免疫不全マウスに移植した前臨床モデルを用いてTGF-β阻害Fc融合タンパク質の治療効果を検討し、TGF-βシグナル阻害ががん微小環境に与える作用を解析しました。TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与は、口腔がん細胞による腫瘍形成を阻害しましたが(図1A)、投与したマウスの体重が減少するなどの副作用が観察されなかったことから(図1B)、このTGF-β阻害剤は副作用が少ないがん治療薬であることが明らかとなりました。TGF-βは上皮細胞の増殖を低下させることが報告されていますが、研究グループも培養口腔がん細胞の増殖がTGF-βにより低下することを見出しました(図1C)。ところが、TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与による腫瘍組織におけるTGF-βシグナルの阻害はがん細胞の増殖を低下させていることも示されて(図1D)、培養状態と腫瘍組織におけるがん細胞の増殖に対するTGF-βの作用が相反することが明らかとなりました。
このパラドックスを解明するために、研究グループはまず腫瘍組織における血管新生に着目しました。腫瘍組織における血管は酸素や栄養分を供給することで、がん細胞の増殖を促進することが知られていますが、TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与により腫瘍血管新生が低下していることが明らかとなりました(図2A)。さらに、腫瘍組織における遺伝子の発現をRNAシークエンシングの手法で解析しました(図2)。その結果、TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与により、ヒトがん細胞ならびにマウス間質において EMTが阻害され、細胞増殖を促進するKRASシグナルが低下していることが明らかとなりました (図2B)。さらに、腫瘍組織におけるTGF-βシグナルの阻害により、がん細胞の増殖や血管新生を促進する作用があるヘパリン結合性上皮細胞成長因子(HB-EGF)※7などの発現が低下してい ることが明らかとなりました(図2C・図3A)。
このパラドックスを解明するために、研究グループはまず腫瘍組織における血管新生に着目しました。腫瘍組織における血管は酸素や栄養分を供給することで、がん細胞の増殖を促進することが知られていますが、TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与により腫瘍血管新生が低下していることが明らかとなりました(図2A)。さらに、腫瘍組織における遺伝子の発現をRNAシークエンシングの手法で解析しました(図2)。その結果、TGF-β阻害Fc融合タンパク質の投与により、ヒトがん細胞ならびにマウス間質において EMTが阻害され、細胞増殖を促進するKRASシグナルが低下していることが明らかとなりました (図2B)。さらに、腫瘍組織におけるTGF-βシグナルの阻害により、がん細胞の増殖や血管新生を促進する作用があるヘパリン結合性上皮細胞成長因子(HB-EGF)※7などの発現が低下してい ることが明らかとなりました(図2C・図3A)。
HB-EGFは様々な細胞の増殖を亢進することが報告されています。そこでHB-EGFの発現を上昇させたヒト口腔がん細胞を免疫不全マウスに移植したところ、HB-EGFはがん細胞の増殖と血管新生を促進することで腫瘍形成を亢進することが明らかとなりました(図3)。以上の結果から、TGF-β阻害Fc融合タンパク質ががん微小環境中のがん細胞とがん間質(血管などを含む)の間のHB-EGFなどの因子を介したネットワークを遮断することで腫瘍形成を阻害することが示唆されました(図4)。
研究成果の意義
近年、がん治療の標的として、がん細胞のみならず、がん微小環境における腫瘍血管やがん悪性化を制御するがん関連線維芽細胞(CAF)やがん免疫を抑制する制御性T細胞に注目が集まっています。上皮がん細胞のEMTを誘導し、がんの転移などを亢進することでがん悪性化因子として作用するTGF-βは、腫瘍血管新生、CAFの形成、制御性T細胞の分化誘導などを介して腫瘍環境をがんの悪性化へと誘うことが明らかになり、治療の標的として注目されています。さらに、研究グループは以前血管内皮細胞由来のCAFがTGF-β2を分泌することで、がん細胞のEMTを誘導することを報告しました(Yoshimatsu et al., 2020, Cancer Science)。つまり、がん微小環境の構成因子はネットワークを形成し、そのネットワークを制御するシグナルとしてTGF-βが重要な役割を果たすことがわかりつつあります。今回がん微小環境においてTGF-βがHB-EGFなどの成長因子の発現を亢進することで、がん細胞の増殖や腫瘍血管新生を促進することが明らかとなり、がん微小環境ネットワークシグナルTGF-βの治療標的としての重要性がさらに高まりつつあります。
がん微小環境中のサイトカインを阻害する分子標的治療薬の候補として、サイトカイン受容体の細胞外領域を用いたFc融合タンパク質に注目が集まっています。Fc融合タンパク質などのタンパク質製剤は血中半減期が多くの低分子医薬品よりも長いことが知られており、治療薬としての優位性があることがわかっています。本研究の成果により、TGF-βの全てのアイソフォームを阻害できるFc融合タンパク質が、腫瘍形成をより効率良く抑制できることが示されたため、将来口腔がんのみならず、神経膠芽腫などのTGF-β2の発現が高いがん種におけるがん微小環境ネットワークシグナルを標的とした新たながん治療法への導出が期待されます。
がん微小環境中のサイトカインを阻害する分子標的治療薬の候補として、サイトカイン受容体の細胞外領域を用いたFc融合タンパク質に注目が集まっています。Fc融合タンパク質などのタンパク質製剤は血中半減期が多くの低分子医薬品よりも長いことが知られており、治療薬としての優位性があることがわかっています。本研究の成果により、TGF-βの全てのアイソフォームを阻害できるFc融合タンパク質が、腫瘍形成をより効率良く抑制できることが示されたため、将来口腔がんのみならず、神経膠芽腫などのTGF-β2の発現が高いがん種におけるがん微小環境ネットワークシグナルを標的とした新たながん治療法への導出が期待されます。
用語解説
※1トランスフォーミング増殖因子β(transforming growth factor-β:TGF-β):線維芽細胞の形質転換を促進する因子として同定されたが、現在では多くの種類の細胞に対して増殖抑制作用を有することが明らかになっている。さらに、細胞の分化・運動などにも関与し、個体発生やがんの浸潤・転移など様々な病態生理学的現象において重要な役割を果たすことがわかっている。TGF-βはTGF-β1~3の3つのアイソフォーム(構造が類似したタンパク質のメンバー)からなるファミリーを形成している。
※2 Fc融合タンパク質: 受容体細胞外ドメイン等の機能性タンパク質と抗体イムノグロブリン(IgG)のFc領域を融合させたタンパク質。これまでに、エタネルセプト(腫瘍壊死因子α受容体の細胞外領域を利用した関節リウマチなどの治療薬)などが承認されている。
※3がん微小環境ネットワーク: 腫瘍組織に存在する、がん細胞、腫瘍血管やがん関連線維芽細胞(CAF)などの様々な種類の細胞から構成されるネットワークを指す。これらの細胞は、TGF-βなどのサイトカインや成長因子を分泌することで相互作用し、がんの進展を制御している。
※4 サイトカイン:細胞から分泌される低分子のタンパク質で生理活性物質の総称。細胞間相互作用に関与し、周囲の細胞に影響を与える。
※5上皮間葉移行(EMT):上皮細胞が間葉系細胞へと分化する過程で、細胞は細胞間接着分子であるE-cadherinなどの発現を消失し、Vimentinなどの発現や高い運動・浸潤能などの間葉系細胞の形質を獲得する。EMTは発生過程で見られる生理的な現象だが、組織の線維化やがん転移などの病態の進展にも関与する。
※6 腫瘍血管新生:腫瘍が成長するためには栄養と酸素を供給して老廃物・代謝産物を運び出すことが必要であり、腫瘍内への新しい血管の侵入、すなわち血管新生が必要となる。血管新生は血管内皮増殖因子(VEGF)などにより制御され、腫瘍内に侵入した新生血管はがん細胞の遠隔臓器への転移の主要経路となる。
※7 ヘパリン結合性上皮細胞成長因子(Heparin-Binding Epidermal growth factor-like Growth Factor: HB-EGF): EGFファミリーに属するヘパリン結合性の増殖因子。HB-EGFは他のEGFファミリーと同様に、膜型タンパク質(proHB-EGF)として合成され、細胞接着を介した細胞間情報伝達に機能する一方、酵素的切断を受け、細胞外に放出される分泌型(sHB-EGF)がEGF受容体に結合し、細胞増殖・運動など種々のシグナルを伝達する。HB-EGFは心臓の発生や機能維持など様々な生理的過程に関与しながら、がんの発症・進展などの様々な病理的過程で重要な働きをしていることが明らかとなっている。
※2 Fc融合タンパク質: 受容体細胞外ドメイン等の機能性タンパク質と抗体イムノグロブリン(IgG)のFc領域を融合させたタンパク質。これまでに、エタネルセプト(腫瘍壊死因子α受容体の細胞外領域を利用した関節リウマチなどの治療薬)などが承認されている。
※3がん微小環境ネットワーク: 腫瘍組織に存在する、がん細胞、腫瘍血管やがん関連線維芽細胞(CAF)などの様々な種類の細胞から構成されるネットワークを指す。これらの細胞は、TGF-βなどのサイトカインや成長因子を分泌することで相互作用し、がんの進展を制御している。
※4 サイトカイン:細胞から分泌される低分子のタンパク質で生理活性物質の総称。細胞間相互作用に関与し、周囲の細胞に影響を与える。
※5上皮間葉移行(EMT):上皮細胞が間葉系細胞へと分化する過程で、細胞は細胞間接着分子であるE-cadherinなどの発現を消失し、Vimentinなどの発現や高い運動・浸潤能などの間葉系細胞の形質を獲得する。EMTは発生過程で見られる生理的な現象だが、組織の線維化やがん転移などの病態の進展にも関与する。
※6 腫瘍血管新生:腫瘍が成長するためには栄養と酸素を供給して老廃物・代謝産物を運び出すことが必要であり、腫瘍内への新しい血管の侵入、すなわち血管新生が必要となる。血管新生は血管内皮増殖因子(VEGF)などにより制御され、腫瘍内に侵入した新生血管はがん細胞の遠隔臓器への転移の主要経路となる。
※7 ヘパリン結合性上皮細胞成長因子(Heparin-Binding Epidermal growth factor-like Growth Factor: HB-EGF): EGFファミリーに属するヘパリン結合性の増殖因子。HB-EGFは他のEGFファミリーと同様に、膜型タンパク質(proHB-EGF)として合成され、細胞接着を介した細胞間情報伝達に機能する一方、酵素的切断を受け、細胞外に放出される分泌型(sHB-EGF)がEGF受容体に結合し、細胞増殖・運動など種々のシグナルを伝達する。HB-EGFは心臓の発生や機能維持など様々な生理的過程に関与しながら、がんの発症・進展などの様々な病理的過程で重要な働きをしていることが明らかとなっている。
論文情報
掲載誌:Cancer Science
-
論文タイトル:Inhibition of transforming growth factor-β signals suppresses tumor formation by regulation of tumor microenvironment networks
研究者プロフィール
時崎 詩織 (トキザキ シオリ) Tokizakii Shiori
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
顎口腔腫瘍外科学分野・病態生化学分野 大学院生
・研究領域
がん生物学、口腔外科学
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
顎口腔腫瘍外科学分野・病態生化学分野 大学院生
・研究領域
がん生物学、口腔外科学
井上 カタジナアンナ (イノウエ カタジナアンナ) Inoue Katarzyna Anna
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
病態生化学分野 助教
・研究領域
がん生物学、生化学
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
病態生化学分野 助教
・研究領域
がん生物学、生化学
渡部 徹郎 (ワタベ テツロウ) Watabe, Tetsuro
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
病態生化学分野 教授
・研究領域
がん生物学、血管生物学、生化学
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
病態生化学分野 教授
・研究領域
がん生物学、血管生物学、生化学
問い合わせ先
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
病態生化学分野 渡部 徹郎 (ワタベ テツロウ)
E-mail: t-watabe.bch[@]tmd.ac.jp
<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
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