プレスリリース

「ウイルス由来の遺伝子が脳のカビ感染防御に機能する」【石野史敏 非常勤講師】

公開日:2023.10.20
「ウイルス由来の遺伝子が脳のカビ感染防御に機能する」
― 哺乳類における自然免疫系※1の強化 ―

ポイント

  • 機能不明であったレトロウイルス※2由来のRTL9/SIRH10※3遺伝子が、脳内でカビ(真菌)感染防御に重要な機能を果たしていることをつきとめました。
  • 哺乳類は過去の感染によりゲノム内に挿入したレトロウイルスのGAG※4由来の遺伝子群を再利用して、細菌、ウイルスだけでなくカビに対しても新しい防御機能を獲得したことが明らかになりました。
  • 脳への真菌感染は非常に重篤な疾患を引き起こします。この遺伝子が標的遺伝子として新規治療法開発への応用が期待できます。
  • 自然免疫は動物界に広く存在する機構ですが、生物進化の過程で哺乳類に独自の機能が加わっていることがわかりました。
 東京医科歯科大学の石野史敏名誉教授(現統合研究機構非常勤講師、元難治疾患研究所エピジェネティクス分野教授)の研究グループは難治疾患研究所未来ゲノム研究開発支援室及び東海大学金児–石野知子客員教授(元医学部教授)のグループとの共同研究で、機能未知のレトロウイルス由来のRTL9/SIRH10遺伝子が、哺乳類の脳におけるカビ(真菌)感染防御に重要な機能を果たしていることをつきとめました。この研究は文部科学省科学研究費補助金ならびに東京医科歯科大学トランスオミクス医学研究拠点ネットワーク形成事業の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は、国際科学誌International Journal of Molecular Sciencesに、2023年10月4日にオンライン版で発表されました。

研究の背景

 ヒトゲノムには過去に感染したレトロウイルスに由来する内在性レトロウイルス(HERV)が9%存在しています。長い間ゲノムのゴミと考えられてきましたが、21世紀の変わり目に発見されたウイルス由来のsyncytin※5PEG10※6PEG11/RTL1※7が胎盤の形成に必須な遺伝子であることが明らかになりました。ヒトの遺伝子として重要な機能を持つ可能性があることから、近年ウイルス由来の遺伝子のもつ機能が注目を集めています。東京医科歯科大学と東海大学の研究グループは長年の共同研究によりPEG10PEG11/RTL1を含むレトロウイルスGAG遺伝子由来の11個のRTL/SIRH遺伝子群の機能解明を進め、胎盤以外に脳の機能にも関係することを明らかにしてきました(図1)。昨年、同グループはRTL5/SIRH8※8およびRTL6/SIRH3※9が、脳における唯一の免疫細胞であるミクログリア※10で発現し、細菌およびウイルスに対する防御機構として重要な役割を果たしていることを報告しています(Irie et al., Development 2022)。ウイルス由来の遺伝子を病原体から脳を守る自然免疫のツールとして利用している事実がわかりました。  

図1 RTL/SIRH遺伝子群の哺乳類における機能 
赤点線が、今回、新たに解明されたRtl9/Sirh10遺伝子の機能。水色は正式の遺伝子名。

 今回の研究では、RTL9/SIRH10が新たに脳でカビ(真菌)への防御に機能することを明らかにしました。
Toll-like 受容体(TLR)を中心とした自然免疫システムは、カビや細菌、ウイルスなど異なる病原体に対応した免疫反応の誘導に機能しており、広く動物界に保存されています。RTL9/SIRH10および昨年報告のRTL5/SIRH8RTL6/SIRH3の研究は、哺乳類がウイルス由来のGAG遺伝子を、異なる病原体に対する感染防御に再利用することで、自然免疫システムに独自の防御機能を強化したことを明らかにしました。
 

研究成果の概要

 RTL9/SIRH10遺伝子は、ヒトやマウスなど哺乳類でも真獣類といわれるグループにのみ存在し、生物進化上で高度に保存されており、何らかの重要な機能を持っていると予想されます。しかし、遺伝子の発現量が非常に低いため、タンパク質の動態の解析のために、蛍光タンパク質であるmCherryを結合させたRTL9タンパク質を発現するノックイン(KI)マウス※11を作製し、新生仔期の脳で発現していることを明らかにしました (図2)。高倍率での観察から、RTL9はミクログリア細胞のリゾゾームで発現することが確認できました(図3)

図2 RTL9-mCherryタンパク質の新生仔脳での発現
左:KIマウス脳では、中脳領域を中心に発現が見える(赤い蛍光)。右: 野生型コントロールの脳。 AQ: 中脳水道、Ht: 視床下部、IC: 下丘、PAG: 中脳水道周囲灰白質、PC:後交連、SC:上丘、CSC, CIC:上丘、下丘交連、Th: 視床

図3 ミクログリア細胞でのRTL9の発現(左)とリソゾームマーカーとの局在(右)
左:新生仔脳から培養したミクログリア細胞でのRTL9の発現、右:RTL9CmCはLysoTraker(リゾゾームのマーカー)と局在が一致する。N: 細胞核、Transmission: 透過像

 脳にカビ(真菌)の細胞壁であるzymosanを注入すると、20~30分後にはRTL9の局在と一致したところにシグナルが観察され、60 分後には分解され消失します(図4)。しかし、この分解反応はRtl9 ノックアウト(KO)マウス※12では起こらないことから、RTL9がzymosanの分解反応に必須の機能をしていることを確認しました(図4)。これらの結果から、RTL9タンパク質は脳のミクログリア細胞に存在し、カビに対する自然免疫反応に重要な役割を果たす遺伝子であると結論できました。脳に対するカビの感染は重篤な疾患を引き起こし、それにはミクログリアの機能が大きく関係していることが知られています。この遺伝子は哺乳類の脳にとって重要な保護機能を持ち、そのために進化上、高く保存されていると考えられます。

図4 脳におけるzymosanの分解反応
この図では、左右の半球面(2つ)におけるzymosanの自家蛍光シグナル(緑)の強度変化を示している。上: Rtl9CmCノックインマウスでは60分でシグナルは激減する。下: Rtl9 ノックアウトマウスでは、72分後でもシグナル強度はほぼ変わらない。

研究成果の意義

 レトロウイルスから獲得した遺伝子が、哺乳類に何をもたらしたのか?それがRTL/SIRH遺伝子研究全体のテーマ(図1)ですが、3つのRTL/SIRH遺伝子が細菌、ウイルス、カビに対する脳の自然免疫に重要な機能を果たしていました。哺乳類の進化において、これらの病原体に対する防御機能が非常に重要な位置を占め、その強化のためにレトロウイルス由来の遺伝子を利用していたと考えられます。これは、レトロウイルスGAG由来の遺伝子情報からは全く予想外のことで、その機能を解析することで初めて明らかになった事実です。ヒトおよび哺乳類のゲノムには、機能未知のウイルス由来の遺伝子候補がまだ多数残っています。ヒトを遺伝子から理解するためには、この未知領域へ踏み込んでいく必要があることを、今回の研究は示しています。

用語解説

※1 自然免疫系:生体防御の最前線に位置している免疫系で、受容体を介して侵入してきた病原体や異常になった自己の細胞をいち早く感知し、それを排除する仕組み。動物界で広く保存され、マクロファージ、ミクログリア等がToll様受容体(TLR)を利用して細菌やウイルスなどの特徴的な構造を見分け、細胞内シグナル伝達系を活性化することで、病原体排除に必要な生体防御機構を誘導する。

※2 レトロウイルス:RNAを遺伝情報とするRNAウイルスの仲間。逆転写酵素を持ち、1本鎖RNAに含まれる遺伝情報を2本鎖DNAに変換し、宿主細胞のゲノムに入り込む性質を持つ。それらは内在性レトロウイルスと呼ばれヒトゲノムのおよそ9%を占めている。

※3 RTL9/SIRH10: GAGに似たタンパク質をコードするRTL/SIRH (retrotransposon Gag-like/sushi-ichi retrotransposon homolog) 遺伝子の一つ。X染色体上に存在する。

※4 GAG:レトロウイルスの粒子を作る構造タンパク質をコードする遺伝子。group specific antigenの略。GAGタンパク質はタンパク質分解酵素で3つに分解され、マトリクス、ヌクレオキャプシド、キャプシドとして機能する。

※5 syncytin: レトロウイルスが感染して細胞に侵入するために使っているENV遺伝子を再利用し、胎仔毛細血管を覆うためのシンシチオトロホブラスト細胞の融合に機能する遺伝子(Mi et al., Nature 2000)。胎仔毛細血管は胎盤での母親と胎仔の血液で酸素と栄養の交換反応を行う場所で、融合したシンシチオトロホブラスト細胞は、母親と胎仔血が混ざらないためバリアーとして機能している。

※6 PEG10: 胎盤には胎盤にしか存在しない各種のトロホブラスト細胞が存在するが、トロホブラスト細胞が分化するために必要な機能を有し、Peg10をノックアウトすると胎盤自体の形成が行われない(Ono et al., Nat Genet 2006)。胎盤の胎仔毛細血管の維持にも必須な機能を持つ(Shiura et al., Development 2021)。

※7 PEG11/RTL1: 胎盤の胎仔毛細血管の維持に必須な機能を持つ(Sekita et al., Nat Genet 2008)だけでなく、鏡-緒方症候群、テンプル症候群の原因遺伝子として、筋肉や脳機能にも重要な働きを持つ(Kitazawa et al., Development 2020, Genes Cells 2021)。 ※6~※7の詳細については以下のホームページ参照 from Chance Event to Necessity 偶然から必然へhttp://mammalian-specific-genes.med.u-tokai.ac.jp/

※8 ミクログリア細胞:脳脊髄などの中枢神経系を構成するグリア細胞の一つ。脳内で唯一の免疫細胞として自然免疫機構に機能する。卵黄嚢から発生し、骨髄に由来するマクロファージと起源が異なる。

※9  RTL5/SIRH8: GAGに似たタンパク質をコードするRTL/SIRH遺伝子の一つ。X染色体上に存在し、599個のアミノ酸からなる強酸性のタンパク質を作る。

※10  RTL6/SIRH3: GAGに似たタンパク質をコードするRTL/SIRH遺伝子の一つ。常染色体上に存在し、243個のアミノ酸からなる極塩基性のタンパク質を作る。

※11  ノックイン(KI)マウス:標的遺伝子に特定の突然変異や外来遺伝子などを入れたマウス。本研究では蛍光タンパク質を作るmCherry遺伝子を標的遺伝子の後ろに繋ぎ、蛍光を発する融合タンパク質を作らせることで、標的遺伝子の発現時期や部位を明らかにするために使われる。

※12 ノックアウト(KO)マウス:標的遺伝子を破壊したマウス。標的遺伝子が作るタンパク質が欠失したときに起こる様々な異常から、標的遺伝子の生体内での機能を推測するために使われる。

論文情報

掲載誌:International Journal of Molecular Sciences

論文タイトル:Retrovirus-Derived RTL9 Plays an Important Role in Innate Antifungal Immunity in the Eutherian Brain

DOIhttps://doi.org/10.3390/ijms241914884

研究者プロフィール

石野 史敏 (イシノ フミトシ) Fumitoshi Ishino
東京医科歯科大学 名誉教授
統合研究機構 非常勤講師
・研究領域:分子生物学、分子発生学、エピジェネティクス
哺乳類の個体発生と進化
金児−石野知子(カネコ-イシノ トモコ) Tomoko Kaneko-Ishino
東海大学 客員教授
・研究領域:分子生物学、ゲノム生物学

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京医科歯科大学統合研究機構
 石野 史敏(イシノ フミトシ)
E-mail:fishino.epgn[at]mri.tmd.ac.jp

<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
E-mail:kouhou.adm[at]tmd.ac.jp

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プレス通知資料PDF

  • 「ウイルス由来の遺伝子が脳のカビ感染防御に機能する」