プレスリリース

「 難聴遺伝子SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態解明 」【伊藤卓 講師】

公開日:2023.6.9
「 難聴遺伝子SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態解明 」
― モデルマウスの形態異常と眼球運動解析 ―

ポイント

  • マウスの眼球運動を定量的に計測する装置を開発して、回転刺激、重力刺激、温度刺激に対する前庭眼反射を評価することに成功しました。
  • マイクロCTを用いた非破壊的な形態評価とホールマウント染色による観察によって、長らく謎であったSLC26A4の機能不全によって引き起こされる平衡機能障害の原因が、耳石形成の異常によることをつきとめました。
  • SLC26A4遺伝子変異に伴う前庭障害の予防法や新規治療法開発への応用が期待できます。
 東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科 耳鼻咽喉科学分野の伊藤卓講師と堤剛教授の研究グループは、マウスの眼球運動を観察する装置を新たに開発して、回転刺激、重力刺激、温度刺激を加えた場合に三半規管や耳石器を介した眼球への反射運動がどのようになるのかを定量的に評価することに成功しました。本研究で開発した眼球運動観察装置を用いてPendred症候群やDFNB4のモデルマウスであるSlc26a4 KOマウスの平衡機能障害の程度を解析し、組織構造を傷つけることなく非破壊的に骨構造を評価することができるマイクロCT、および神経細胞の形態を立体的に評価することができるホールマウント染色による観察を組み合わせることで、モデルマウスの平衡機能障害が、おもに耳石形成の異常に起因することをつきとめました。この研究は文部科学省科学研究費補助金の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は、国際科学誌Neurobiology of Disease に、2023年6月8日にオンライン版で発表されました。

研究の背景

 東京医科歯科大学 耳鼻咽喉科学分野では長年、赤外線CCDビデオ眼振計を用いた眼位の変換アルゴリズムを独自に作製して研究を続けてきました。また、遺伝子変異による聴覚平衡覚障害の研究にも長年取り組んでいて、特に前庭水管拡大を伴う難聴を引き起こすSLC26A4遺伝子※1が日本人で最も高頻度に同定される難聴遺伝子の一つであること、さらにその臨床的特徴の詳細を明らかにしてきました。たとえば、SLC26A4変異によって引き起こされる遺伝性疾患であるPendred症候群やDFNB4の患者は、難聴に加えてふらつきや反復するめまい発作を伴い、日常生活動作にも制限が生じるなど大きな影響を及ぼします。めまい発作は頭位を傾けると悪化する傾向があり、その性状から良性発作性頭位めまい症※2と同様の病態が関係している可能性が考えられています。また、さまざまな遺伝子改変技術を用いてPendred症候群のモデルマウスを作成し、聴覚機能障害の病態を明らかにしてきました。しかし、平衡機能に関しては、様々な刺激に対するマウス前庭眼反射※3を定量的に評価する方法がなかったため、根本的な原因が長らく不明でした。そこで本研究では、まず回転刺激、重力刺激、温度刺激に対する前庭眼反射を計測することができる眼球運動観察装置を新規に開発しました。さらに、組織構造を傷つけることなく非破壊的に骨構造を明らかにすることができるマイクロCTを用いた耳石形態および局在の評価や、ホールマウント染色※4による前庭の感覚細胞である有毛細胞形態の観察を行って、平衡機能障害がどのような病態で発症しているのかを検討しました。

研究成果の概要

 当研究グループは、覚醒下におけるマウスの眼球運動を定量的に評価できる下記のような観察装置を作成して、固定テーブルを傾けたり回転させたりすることでどのような眼球運動が観察されるのかを解析しました。また、固定テーブルを傾けた状態で保持することによって、温度刺激に対する前庭眼反射も観察することが可能となりました。


  図1 マウス眼球運動観察装置のシェーマおよび眼球運動の計算方法
 この眼球運動観察装置を用いて、Slc26a4 KOマウスの前庭眼反射を観察したところ、半規管機能※5によって制御される回転刺激による眼球運動はそれほど障害されておらず、耳石器機能※6を反映する傾斜刺激による眼球の変位は対照群に比べて障害されていました。また、冷水の注入による温度刺激に対する眼球運動を計測すると、同じマウスでも左右で差があることが判明し、障害の程度も多彩であることが明らかになりました。


  図2 傾斜刺激に対する眼球運動の解析
  マウスを固定したテーブルをゆっくりと傾斜させていくと対照群では90度に傾けた時点で15度前後  
  の垂直方向の眼位変化がみられるのに対して、Slc26a4 KOマウスでは5-10度程度しか眼位変化が
  見られませんでした(A, D)。また、マウスによっては傾斜刺激に伴って急速に移動する異常眼球運
  動が観察されるものもありました(C)。このような異常眼球運動は良性発作性頭位めまい症患者で  
  観察される眼球運動の特徴と酷似していました。
  図3 冷水注入による温度刺激に対する眼球運動の解析
  マウス外耳道に冷水を注入すると急速眼球運動が観察されましたが、時間経過とともに徐々に眼球運 
  動は消失していきました(A)。急速眼球運動の速度を計測すると、Slc26a4 KOマウスでは温度刺激 
  による反応が障害されているマウスもいましたが、障害されていないマウスの方が多く見られまし
  た。また、温度刺激に対する急速眼球運動の速度には多くのマウスで左右差が見られました。しか
  し、平衡障害の一つであるマウスの回旋行動の方向と急速眼球運動速度低下の有意側との関係には一
  定の傾向は見られませんでした。
 さらに、非破壊的に骨構造を明らかにすることができるマイクロCTを用いた耳石形態および局在の評価を行うと、対照群のマウスで見られる球形嚢※7と卵形嚢※8の耳石の総体積はSlc26a4 KOマウスでは有意に減少しており、特に球形嚢においては多くのマウスで欠損していました。しかしその局在はSlc26a4 KOマウスでもおおむね正常位置に存在しており、耳石器内での耳石の移動や三半規管内の異所性耳石は観察されませんでした。したがって、傾斜刺激に伴って急速に移動する異常眼球運動は半規管内の耳石が埋入したことによるのではないことが示唆されました。また、ホールマウント法による前庭の感覚細胞である有毛細胞形態の観察では、不動毛の形態および細胞数に対照群とSlc26a4 KOマウスで有意な差は認めず、保存されていることが判明しました。


  図4 マイクロCTを用いた耳石形態および局在の評価
  対照群のマウス(A)では耳石は球形嚢(矢印)と卵形嚢(矢頭)にそれぞれまとまって存在してい  
  ますが、Slc26a4 KOマウス(B,C)ではそれぞれの部位で散らばって存在しており、総体積も減少し 
  ていました。球形嚢の耳石が完全に欠損しているマウス(C)も見られました。
  図5 ホールマウント法を用いた卵形嚢有毛細胞の形態評価
  対照群、およびSlc26a4 KOマウスにおいて前庭の神経細胞である有毛細胞の数と形態に大きな差は
  認めませんでした。すなわち、Slc26a4 KOマウスにおいて前庭の有毛細胞は障害されていないこと
  が判明しました。
 これらの観察結果から、Slc26a4 KOマウスでみられる前庭障害の病態が主に耳石形成の異常によるものであることが強く示唆されました。いっぽう、神経細胞の障害はほとんど見られないことが明らかになりました。一方半規管内に異所性の耳石が見られなかったことから、Pendred症候群やDFNB4の患者で見られる頭位で誘発されるめまい発作は、良性発作性頭位めまい症とは異なる病態で発症していると考えられました。

研究成果の意義

 平衡機能の維持は身体機能や意欲・精神面の安定に直結し、国民の健康と生産的な生活に大きく関係しています。しかし、急速に進んだ現在の高齢化社会では、72歳以上の24%にめまいや平衡障害が見られ、また転倒・骨折の危険因子としてのめまい・平衡障害の相対リスクは2.9倍にもなるといわれています。したがって、めまいや平衡障害の病態の解明、予防法の確立および新規治療薬の開発は喫緊の課題です。
今回の研究結果から、SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態は耳石器における耳石の形成異常によるものであることがつよく示唆されました。耳石の形成異常はヒト側頭骨の研究から高齢者におけるふらつきの代表的な原因とも考えられており、最も一般的な平衡疾患である良性発作性頭位めまい症も耳石の代謝生成異常に起因する疾患と考えられています。すなわち、Slc26a4 KOマウスがPendred症候群やDFNB4患者で見られる平衡機能障害に限らず、その他の耳石形成異常による前庭障害への介入方法を考えるうえでも有用であると思われました。さらに、リハビリテーションなどによる予防法の確立や新規治療薬を開発する際にどのような方向性でアプローチすればよいのかという指針を示すことにつながると思われ、発展性の高い結果だと考えられました。

用語解説

※1SLC26A4遺伝子
SLC26A4 遺伝子は難聴に甲状腺腫を伴う Pendred 症候群および前庭水管拡大を伴う非症候性難聴の両疾患の原因遺伝子であることが報告されている。SLC26A4遺伝子の変異は本邦において、もっとも高頻度に見られる先天性難聴の原因でもある。

※2良性発作性頭位めまい症
めまいを引き起こす代表的な耳の病気で、じっとしているときはめまいが起こらないが、頭を動かしたときや決まった頭の位置になるとめまいが起こるという特徴をもつ。寝返りをしたときや朝起きたとき、目薬を差そうと上を向いたときや料理をしようとして下を向いたときなどに起こることがある。本来であれ卵形嚢※8内に固定されている耳石が剥がれて、三半規管に入り込むことで発症する。

※3前庭眼反射
頭が動いたときにこれと反対方向に眼球を動かして網膜に映る外界の像のぶれを防ぎ、頭が動いているときにものが見えにくくならないように働く一種の反射である。頭の3次元の動きは耳の中の三半規管や耳石器で感知され、その情報は脳幹部や小脳を経由して、外眼筋の運動神経核群を駆動し、頭の動きを補正する眼球運動を誘発する。

※4ホールマウント染色
小さな組織片を切片化せずに染色する方法。染色されるサンプルが通常のスライド上の切片よりもはるかに大きく、厚みがあるため、共焦点顕微鏡を使って立体的な3次元構造を撮影することができる。

※5,6半規管、耳石器
半規管と耳石器は平衡覚に関与する末梢器官である。半規管は頭部を回転した場合に生じる回転加速度(角加速度)を受容し、耳石器は頭部の傾きや乗り物やエレベータに乗った場合に生じる直線加速度を受容する。なお、頭部の傾きは重力方向への直線加速度と考えることができるため、耳石器にて感知されている。

※7,8球形嚢、卵形嚢
耳石器内にある袋状の膜構造で、ゼラチンに似た基質の上に耳石が乗っており、その下には有毛細胞と呼ばれる神経細胞が収められている。頭の位置が変化すると耳石が動き、それにつられてゼラチン様の基質も動き、下にある有毛細胞の毛が動いて興奮が生じる。

論文情報

掲載誌Neurobiology of Disease

論文タイトル:Quantitative analysis and correlative evaluation of video-oculography, micro-computed tomography, and histopathology in Pendrin-null mice.

DOIhttps://doi.org/10.1016/j.nbd.2023.106194

研究者プロフィール

伊藤 卓(イトウ タク) Ito Taku
東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科
耳鼻咽喉科学分野 講師
・研究領域
分子遺伝学
耳科学、側頭骨手術
XR技術の医療活用

渡邊 浩基(ワタナベ ヒロキ) Watanabe Hiroki
東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科
耳鼻咽喉科学分野 大学院生
・研究領域
めまい、平衡医学
堤 剛(ツツミ タケシ) Tsutsumi Takeshi
東京医科歯科大学 大学院医歯学総合研究科
耳鼻咽喉科学分野 教授
・研究領域
めまい、平衡医学
姿勢制御
側頭骨腫瘍、外耳道がん

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科
耳鼻咽喉科学分野 氏名伊藤卓(イトウ タク)
E-mail:taku.oto@tmd.ac.jp

<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
E-mail:kouhou.adm[@]tmd.ac.jp

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関連リンク

プレス通知資料PDF

  • 「 難聴遺伝子SLC26A4の機能不全によって引き起こされる前庭障害の病態解明 」