プレスリリース

「チタンの優れた生体適合性の原理を表面電子バンド構造から解明」【塙隆夫 教授】

公開日:2022.5.09
「チタンの優れた生体適合性の原理を表面電子バンド構造から解明
―高い耐食性と適度な反応性の両立―

ポイント

  • 長らく謎であったチタンの優れた生体適合性※1の理由が、高耐食性に加えて、不働態皮膜※2のバンドギャップエネルギー※3が小さいために適度な反応性を示すためであることをつきとめました。
  • 材料の生体反応を電子の授受に基づいて説明する道を拓くとともに、生体適合性を表面電子状態から統一的に理解する道が開かれました。
  • マテリアルDX※4(デジタル革命)やマテリアルズ・インフォマティクス※5への応用が期待できます。
  • 将来は動物実験や細胞実験なしに、材料の生体適合性を予測できるかもしれません。

     東京医科歯科大学生体材料工学研究所金属生体材料学分野の塙隆夫教授の研究グループは、大阪大学大学院工学研究科マテリアル生産科学専攻の藤本慎司教授のグループとの共同研究で、チタンの不働態皮膜の電子バンド構造から、チタンが優れた生体適合性を示すのは、高い耐食性と適度な反応性を同時に発現するためであることをつきとめました。この研究は文部科学省教育研究組織改革分関連プロジェクト「国際・産学連携インヴァースイノベーション材料創出プロジェクト-出島(DEJI2MA)プロジェクト-」および「医歯工連携による医療イノベーション創出事業~生物学と工学を融合したバイアブルマテリアルの学術創成~」の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は、国際科学誌Science and Technology of Advanced Materialsに、オープンアクセスで公表されています。https://doi.org/10.1080/14686996.2022.2066960
     

研究の背景

 チタンおよびチタン合金の生体組織適合性は、金属材料の中で特に優れていることが、多くの研究および臨床成績から明らかになっており、医療機器の素材として多用されています。この優れた生体適合性は高い耐食性のみによるものではなく、別の因子があると予想されていましたが、それが何であるかはわかっていませんでした。材料表面での生体組織形成は、材料と生体との界面反応に支配されることは明らかですが、その本質的な解明は行われないままに、実用化のみを念頭においた固体材料上での組織形成促進に関する研究が集中的に行われてきました。
 材料の「生体適合性」は学術用語として広く認知されていますが、この性質を支配する科学は複雑であり、これを統一的に説明する理論は構築されていません。生体反応のプロセスでは、材料表面での電子の授受によって物質的・電気化学的なシグナルが生体に伝達され、それよって生体側の材料に対する反応が規定されます。生体適合性の発現機構を解明しようとする基礎的研究は一時期活発に行われたものの、生命現象の複雑さ故の困難・行き詰まりと臨床応用への即時的成果がアピールできる材料上の組織形成促進を目的とした表面処理技術開発への移行で、下火になってしまいました。そのため、現在でも、材料表面と生体組織との界面反応は脆弱な科学的基盤の上で語られているに過ぎません。
 通常の環境でチタン表面に自然に生成する不働態皮膜は、その優れた耐食性を生み出すだけでなく生体反応に影響しますが、その反応性を支配する生体環境での電子バンド構造については明らかになっていませんでした。そこで、本研究では、チタン不働態皮膜の擬似体液中でのバンド構造とバンドギャップエネルギーを明らかにしました。

研究成果の概要

本研究では、X線光電子分光(XPS)※6と光電気化学応答解析※7によって、チタン不働態皮膜のハンクス溶液※8および生理食塩水中でのバンド構造を明らかにしました。
 CP Ti(JIS 2種)※9の開回路電位(OCP)※10を72 hまで測定し、自然の状態に近い電位範囲を求めました。この電位に近い、−0.2、−0.1、0 Vの電位(Ef)で1 h定電位分極※11して不働態皮膜を形成しました。これで、自然の状態に近い不働態皮膜が形成できます。150 Wキセノンアークランプとモノクロメーターによって波長250 nm ~ 450 nmの範囲の単色光を試料表面に20 s照射し、生じた光電流を測定しました。
 図1に示すように、定電位分極中のチタン不働態皮膜に生じた光電流から、光電流スペクトルを描き、光電気化学応答スペクトル求めました。その結果、ハンクス溶液の場合、バンドギャップエネルギーは外層で2.9 eV、生理食塩水では外層で2.7 eVでした。
 図2から、チタン不働態皮膜の最外層のバンドギャップはn型半導体のアナターゼやルチルよりも小さく、ジルコニウム、タンタル、ニオブといった耐食性の高い金属の不働態皮膜よりも小さいことがわかります。このような比較的小さいバンドギャップエネルギーがチタンの反応性を誘起して、高耐食性と両立することで、良好な生体適合性を生み出していると考えられます。

図1 本研究の測定データとそれによって決定されるチタン不働態皮膜の電子バンド構造とバンドギャップエネルギー(Eg)。

図2 各酸化物および不働態皮膜のバンドギャップエネルギーの比較。チタン不働態皮膜は他よりも小さく、反応性は高い。

研究成果の意義

  • 医療分野で最も使用されているチタン材料の優れた生体適合性は、生体反応を調べる膨大な研究が行われてきました。しかし、生体適合性を支配する因子は材料表面にあることは自明であるにも拘わらず、これまで材料表面の視点からの研究は行われていませんでした。本研究はこの点に着目し、材料表面の電子状態密度の視点から、生体適合性の原理を考えるという新たなアプローチの方法を提案したという点で斬新です。
  • 長らく謎であったチタンの優れた生体適合性の理由を、材料表面の電子バンド構造とバンドギャップエネルギーから、高耐食性に加えて、不働態皮膜のバンドギャップエネルギーが小さいために適度な反応性を示すためであることを明らかにすることができました。チタンに限らず、生体擬似環境での不働態皮膜の電子バンド構造はほとんど研究されておらず、本研究はこの点でも、新たな視点を提案したものです。
  • 固体表面の生体反応の起点は、材料表面と生体組織との電子の授受であるため、本研究の手法によって、材料の生体反応を電子の授受に基づいて説明する道を拓くとともに、生体適合性を表面電子状態から統一的に理解する道を拓いたものと考えられます。
  • 現在材料工学の分野では、マテリアルDX(デジタル革命)やマテリアルインフォマティクスへの取り組みが進んでいますが、これらを生体反応の予測に応用するためには、表面電子構造の解析が必須であり、本研究の手法は、これに大きく貢献すると期待されます。将来は動物実験や細胞実験なしに、材料の生体適合性を予測できるかもしれません。

用語解説

※1生体適合性
生体材料およびそれによって構成される医療デバイス・人工臓器(歯科インプラント、人工骨、人工血管など)が体内に埋植されると体液と接触し、水分子、成分電解質イオン、タンパク質等の吸着が起こり、その後細胞が接着して生体組織が形成されていく。この一連のプロセスを阻害せずに材料自身がその性能を発揮する性質を「生体適合性」と定義してきた。
※2 不働態皮膜
 チタンやジルコニウムなど、特定の金属や合金は通常の環境で自発的に表面を極めて薄い酸化物皮膜が多い、機械的に破壊されても瞬時に再生することで、高い耐食性を示す。この酸化物皮膜を不働態皮膜という。常用漢字では、「不動態」と表記するが、専門とする学界では「不働態」と表記している。また、極めて薄いため、「被膜」ではなく「皮膜」と表記することが通例となっている。
※3 バンドギャップエネルギー(Eg
 原子同士が結合すると、結合する原子の数だけ電子軌道が形成される。固体の場合は無数の原子が結合するため、無数の電子軌道が形成され互いのエネルギーが近いため、連続したエネルギーの軌道ができる。これをバンド(帯)という。半導体では、バンドギャップエネルギーが小さいため、条件が整えば、電子が移動できる。チタンの不働態皮膜は、半導体的性質を示す。
※4 マテリアルDX
 政府が推進する産学官の高品質なマテリアルデータの戦略的な収集・蓄積・流通・利活用に加えて、データが効率的・継続的に創出・共用化されるための仕組みを持つ、マテリアル研究開発のための我が国全体としてのプラットフォームを整備する事業。
※5 マテリアルズ・インフォマティクス
  統計分析などを活用したインフォマティクス(情報科学)の手法により、材料開発を高効率化する取り組み。実験や論文を解析して素材の分子構造や製造方法を予測するなど、デジタル化の進展で膨大なデータをスーパーコンピューターなどの高性能な情報処理装置で操れるようになり、近年、素材分野での応用が広がりつつある。一方、マテリアルズ・インフォマティクスを表面反応に応用するのは、現状ではまだ難しい。
※6 X線光電子分光(XPS)
 X線を固体表面に照射すると、固体中の電子が励起されて電子(光電子)が放出されるが、電子が固体中を進めるのは10 nm程度であるため、極表面からの電子のみ検出でき、結果として極表面の組成、化学的状態が解析できる。
※7 光電気化学応答解析
 材料に電位を付加したときの光電流応答を測定する方法。固体のバンドギャップエネルギーは、通常紫外線分光などの光吸収端で容易に測定できるが、金属の不働態皮膜は極めて薄いため、光電気化学応答解析によって測定する。
※8 ハンクス液
 正式には、ハンクス平衡塩類溶液という。細胞培養操作などに使用される。細胞外液の組成に近い平衡塩類溶液であり、擬似体液として材料の表面反応を評価する際に使用される。
※9 CP Ti(JIS 2種)
 チタンは活性な元素であるため、完全な純チタンは存在せず、酸素や窒素などの不純物元素が混入した状態となっている。これを工業用純チタン(Commercially Pure Titanium; CP Ti)という。不純物の含有量で、JISやISOでは4種類に分類されている。体内埋植など医療用に使用されるのは、通常JIS2種である。
※10 開回路電位(Open Circuit Potential; OCP)
 金属材料を溶液に浸漬したときの基準電極に対する電位。
※11 定電位分極
 材料にある電位を一定時間付加し続ける操作。これにより、不働態皮膜を安定化させる。
 

論文情報

掲載誌:Science and Technology of Advanced Materials

論文タイトル:Band structures of passive films on titanium in simulated bioliqids determined by photoelectrochemical response: Principle governing the biocompatibility

DOIhttps://doi.org/10.1080/14686996.2022.2066960

研究者プロフィール

塙 隆夫 (ハナワ タカオ) Hanawa Takao 
東京医科歯科大学 生体材料工学研究所
金属生体材料学分野 教授
・研究領域
金属系バイオマテリアル
医療機器材料
歯科材料
表面工学

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京医科歯科大学生体材料工学研究所
金属生体材料学分野 塙 隆夫(ハナワ タカオ)
E-mail:hanawa.met[@]tmd.ac.jp

<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
E-mail:kouhou.adm[@]tmd.ac.jp

※E-mailは上記アドレス[@]の部分を@に変えてください。

プレス通知資料PDF

  • 「チタンの優れた生体適合性の原理を表面電子バンド構造から解明」