プレスリリース

「疾患関連リン脂質の新規測定技術の開発」【佐々木雄彦 教授、佐々木純子 准教授】

森岡 真(もりおか しん)難治疾患研究所 病態生理化学分野 技術補佐員(左上)
山本 利義(やまもと としよし)難治疾患研究所 病態生理化学分野 技術補佐員(右上)
佐々木 純子(ささき じゅんこ)難治疾患研究所 病態生理化学分野 准教授(左下)
佐々木 雄彦(ささき たけひこ)難治疾患研究所 病態生理化学分野 教授(右下)

公開日:2022.1.13

 疾患関連リン脂質の新規測定技術の開発 
― リン脂質代謝を標的とした治療法と診断技術の開発へ ―

ポイント

  • 長らく謎であった生体リン脂質ホスホイノシタイドの多様性と新たな局在が明らかになりました。
  • 動物検体での動態解析が可能となるとともに、疾患バイオマーカー探索への道が開かれました。
  • がんや感染症などの病態解明と新規治療法開発への応用が期待できます。

      東京医科歯科大学 難治疾患研究所 病態生理化学分野/大学院医歯学総合研究科 脂質生物学分野の森岡真技術補佐員、山本利義技術補佐員、佐々木純子准教授、佐々木雄彦教授の研究グループは、秋田大学、神戸大学、愛知県がんセンターとの共同研究で、疾患関連リン脂質群であるホスホイノシタイドの包括解析法を世界に先駆けて開発しました。この技術を、がん抑制遺伝子を欠損する発がんモデルマウスに適用し、がんに特有なホスホイノシタイドバリアントを見出し、また、ホスホイノシタイドがエクソソームに含まれて細胞外に放出されていることをつきとめました。この研究は文部科学省科学研究費補助金(基盤A・B)、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)『疾患実態を反映する生体内化合物を基軸とした創薬基盤技術の創出』ならびに文部科学省科学研究費補助金(新学術領域・脂質クオリティが解き明かす生命現象)の支援のもとでおこなわれたもので、その研究成果は、国際科学誌Nature Communications誌に、2022年1月10日にオンライン版で発表されました。

研究の背景

 遺伝子異常や環境因子の影響の下に、ホスホイノシタイドと呼ばれる生体リン脂質群の代謝異常が生じると、様々な病態が出現します。佐々木教授らのグループはこれまでに、ホスホイノシタイド代謝酵素の遺伝子改変マウスが、がんや、炎症性疾患、神経変性疾患等の病態を現すことを見出してきました。対応するヒト疾患でも、同様の代謝酵素遺伝子異常が認められることから、ホスホイノシタイドによる生体機能調節とその破綻による疾患の発症は、動物種を超えて共通にみられる現象と考えられます。生体内には数百種類のホスホイノシタイドバリアント※1の存在が予想されていましたが、微量であることや、疎水性と多価の負電荷を併せ持つ特殊な物性などから、包括的な解析技術がありませんでした。このために、疾患発症の原因となる、あるいは、病態を反映する特定のホスホイノシタイドバリアントを同定することはこれまで出来ませんでした。

 
図1:生体リン脂質ホスホイノシタイドの包括的測定法:PRMC-MS法

(図1左)ホスホイノシタイドはグリセロールがもつ3つの水酸基のうち2か所に結合する脂肪酸の組合せと、イノシトール六員環の3,4,5位水酸基のリン酸化パターンの組合せによる多様性をもち、数百種類のバリアントが存在する。
(図1右)今回開発した、ホスホイノシタイドバリアントの包括測定法”PRMC-MS” (Phosphoinositide Regioisomer Measurement by Chiral column chromatography-tandem Mass Spectrometry)のワークフロー。

図2:病因-ホスホイノシタイドバリアント構成-病態の階層性

(図2左)ホスホイノシタイドの変容をもたらす因子には、代謝酵素(PTEN, PIK3CA)やがん遺伝子産物(上皮成長因子受容体HER2、低分子量Gタンパク質Ras)の生理的あるいは遺伝子異常による活性変化、酸化ストレス、病原性微生物由来因子などがある。個々の因子が干渉しあいながら、細胞に数百種類存在するホスホイノシタイドの相互変換が起こることで、細胞の状況に対応したホスホイノシタイドバリアント構成が出現する。各バリアントは細胞内の標的タンパク質に結合しそれらの活性変化を介して細胞応答を司る。また、一部は細胞外に移行して、自身を含む近隣あるいは遠隔の細胞応答にも影響を与える可能性が考えられる。
 ホスホイノシタイドバリアント構成は、病態に影響を与えるさまざまな因子の情報を集約、内包し、仲介することから、病態に近い階層に位置するmolecular signature(分子署名)と捉えることができる。PRMC-MSで得られる分子署名を解読し人為的に介入することは、新しい診断、治療の道を拓くものと期待される。
(図2右)ホスホイノシタイドバリアント構成により特徴付けられたヒトがん細胞株の階層的クラスタリングの例。

研究成果の概要

 今回の研究ではまず、液体クロマトグラフィーと質量分析計を用いて、ホスホイノシタイド包括測定法(PRMC-MS法と命名)を確立しました。質量分析技術に加えて、リン酸基位置異性体を分離するクロマトグラフィーカラムの選択、雑多な脂質を含む試料からのホスホイノシタイドの濃縮、リン酸基のメチル化によるブロッキングといった技術要素の組合せが奏功しました。合成化合物を用いた性能評価実験では、5フェムトモル(fmol, 10-15モル)から50ピコモル(pmol, 10-12モル)の幅広い濃度範囲で高い定量性を示し、検出下限は100アトモル(amol, 10-18モル)であり、良好な繰り返し精度が確認されました。また、PRMC-MS法は、酵母、実験動物(アフリカツメガエル、ショウジョウバエ、マウス)、ヒト由来サンプルに適用可能で、計数百種類のホスホイノシタイドバリアントが検出されました。
 次に、PRMC-MS法によってホスホイノシタイド動態を解析しました。培養細胞レベルの実験で、上皮成長因子による刺激、酸化ストレスの負荷、Shigella flexneri※2のIpgDタンパク質※3の強制発現などで、特定のバリアントが増加し、一方で、がんの治療薬として開発されているCopanlisibの処理によりいくつかのバリアントが減少することが明らかになりました。動物レベルでの実験では、がん抑制遺伝子Pten※4 を欠損するマウス前立腺がん組織で高レベルに蓄積するバリアントの同定に成功しました。これらは健常な組織にはほとんど存在せず、また、主に炭素数が少ない脂肪酸を含むことが明らかになりました。
 ホスホイノシタイドは細胞膜の構成成分であることが知られていますが、細胞外での存在については不明でした。細胞培養上清にPRMC-MS法を適用したところ、複数のバリアントの存在が明らかになりました。細胞の種類、性質によって細胞外に分泌されるホスホイノシタイドは質、量ともに異なっており、変異型のがん遺伝子PIK3CA※5 を高発現する細胞の培養上清では、特定のホスホイノシタイドバリアントのレベルが上昇することを見出しました。細胞が放出する膜小胞であるエクソソーム※6 は血液、尿、唾液、脳脊髄液などに存在しますが、細胞外ホスホイノシタイドの一部は、エクソソームに由来することも明らかとなりました。さらに、リポ多糖※7 の投与による敗血症モデルマウスにおいて、血漿ホスホイノシタイドバリアントの変動が認められました。

研究成果の意義

 従来のホスホイノシタイド解析法ではバリアントの区別が困難であり、情報は乏しいものでしたが、PRMC-MS法により数百種のバリアントを一斉解析できるようになりました。この高精度化によって、これまでに不明であったホスホイノシタイドの構造多様性の生物学的意義に迫る研究がこれから始まります。また、従来の解析法は動物から採取した細胞、臓器、血液などには適用できませんでしたが、PRMC-MS法の確立により、がんの手術検体など臨床検体でのホスホイノシタイド解析が可能となりました。疾患の原因となるホスホイノシタイドバリアントの同定が進めば、その生成酵素、分解酵素、特異的結合タンパク質は疾患治療の新しい標的となることが期待されます。さらに、Pten遺伝子欠損がんや活性化型PIK3CA発現細胞で認められたように、病態を反映するホスホイノシタイドプロファイル(健常とは異なる各バリアントの構成比など)を組織や体液検体で解明できれば、有益なバイオマーカーの開発へとつながることも期待されます。

用語解説

※1ホスホイノシタイドバリアント:ホスホイノシタイドの共通構造であるホスファチジルイノシトールに含まれる脂肪酸の多様性と、リン酸基の数と部位の組合せにより生ずる分子群。

※2 Shigella flexneri: 消化管の急性感染症を引き起こす赤痢菌の一種。

※3 IpgDタンパク質: Shigella flexneriのIII型分泌装置によって宿主上皮細胞内に放出され、細胞内侵入構造の形成を促進する。

※4 PTEN遺伝子:ホスホイノシタイドの一種ホスファチジルイノシトール三リン酸の脱リン酸化酵素をコードしており、種々のがんで機能消失型の遺伝子異常が認められる。

※5 PIK3CA遺伝子:ホスホイノシタイドの一種ホスファチジルイノシトール二リン酸のリン酸化酵素をコードしており、種々のがんで機能獲得型の遺伝子異常が認められる。

※6 エクソソーム(Exosome):細胞から分泌される直径 50nm ~ 150nm 程度の膜小胞。細胞間情報伝達を担うと考えられ、また、エクソソームに含まれる核酸はバイオマーカーとしても注目されている。

※7 リポ多糖:グラム陰性細菌の細胞壁外膜構成成分。内毒素とも呼ばれる起炎性物質。

論文情報

掲載誌:Nature Communications

論文タイトル: A mass spectrometric method for in-depth profiling of phosphoinositide regioisomers and their disease-associated regulation

DOIhttps://doi.org/10.1038/s41467-021-27648-z

研究者プロフィール

森岡 真(モリオカ シン) Morioka Shin
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
病態生理化学分野 技術補佐員
・研究領域
生化学、細胞生物学

 

山本 利義(ヤマモト トシヨシ) Yamamoto Toshiyoshi
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
病態生理化学分野 技術補佐員
・研究領域
生化学、バイオインフォマティクス
佐々木 純子(ササキ ジュンコ) Sasaki Junko
東京医科歯科大学 難治疾患研究所
病態生理化学分野 准教授
・研究領域
病態生理学、分子生物学
佐々木 雄彦(ササキ タケヒコ) Sasaki Takehiko
東京医科歯科大学 難治疾患研究所 
病態生理化学分野 教授
・研究領域
生化学、脂質生物学

問い合わせ先

<研究に関すること>
東京医科歯科大学 難治疾患研究所 病態生理化学分野
大学院医歯学総合研究科 脂質生物学分野
 氏名 佐々木 雄彦(ササキ タケヒコ)
E-mail:tsasaki.pip[@]mri.tmd.ac.jp

<報道に関すること>
東京医科歯科大学 総務部総務秘書課広報係
〒113-8510 東京都文京区湯島1-5-45
E-mail:kouhou.adm[@]tmd.ac.jp

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