2. 医薬品・医療機器におけるリスク・ベネフィット

2. 医薬品・医療機器におけるリスク・ベネフィット

2.0 イントロダクション

ここでは医薬品と医療機器におけるリスクおよびベネフィットについて議論を進めましょう.そもそもリスクおよびベネフィットとは,どのように定義され,どのように測定されるのでしょうか.まずこの言葉がどのように使われているかを見てみましょう.

医療に使われる工業製品は医薬品と医療機器に大別されます.いずれも規制当局によるレギュレーションの対象ですが,レギュレーションについては国際的な統合が進んでおり,医薬品については三極医薬品規制調和国際会議(ICH),医療機器については医療機器規制国際整合化会議(GHTF)によりまとめられていますしかしこれらにおいて,リスクは必ずしも明示的には定義されておらずまたその取扱いも大きく異なっています.

まず医薬品の場合ですが,ICH文書においてはE9「臨床試験のための統計的原則」において,「新しい医薬品を臨床開発する過程全体を通しての目的は、臨床上の利益との兼ね合いでリスクが受容できる限度において、医薬品が安全性と有効性を兼ね備えている用量範囲と使用スケジュールが存在するかどうかを知ることにある」などの記述があり,リスクベネフィット的な考え方は導入されています.リスクの考え方自体は明示的ではありません,薬剤では効果が比較的短期間で出る,比較的に短期間で代謝されあまり長く体内に残存しない特徴がある一方で,吸収や分布,代謝,排泄など薬物動態,薬力学的な効果が複雑で予測が困難であるなどを踏まえ,前臨床試験および臨床試験第I相,第II相,第III相の臨床試験がFTA的に構成されています.

また医療機器の場合については,GHTF文書のGHTF/SG1/N41R9「医療機器の基本的考え方」において,FMEA的な要素が全面的に取り入れられています.医療機器ではハザードの特定が可能であることから,GHTF自体がGHTF/SG5/N2R8で見るようにリスク分析を基礎に構成されているのです.ただし日本ではGHTFで言うところの臨床評価の概念は導入されていません.

2.1 受容可能リスクの原則

医薬品や医療機器の臨床応用に際しては,リスクを出来るだけ小さくすることが理想です.とは言ってもリスクを完全に零にすることは不可能ですので,リスクの大きさを受容できる範囲に管理することが現実的な目標となります.この受容範囲をどのように決めるかは難しい問題ですが,これに関しては既に次の原則が提案されています.以降では,この原則を受容可能リスクの原則と呼ぶことにします.

【受容可能リスクの原則】
医薬品や医療機器を適用する際のリスクは,ベネフィットに比べて受容できるものでなければならない.

この原則はわが国を含め国際的に認められています.実際に医療機器の規制に関する国際的なガイドラインとしてはGHTF文書があります.これは,日本,欧州連合,アメリカ合衆国,カナダ,オーストラリアの医療機器規制当局および規制を受ける企業の代表により1992年に創設された医療機器規制国際整合化会議(Global Harmonization Task Force)において纏められた,医療機器規制の国際的整合を図るためのガイダンスです.GHTF文書の基本のほとんどは欧州医療機器指令から導入されているものですが,GHTFの活動の成果である基本要件,STED(Summary Technical Documentation)クラス分類等は,わが国の規制にも取り入れられていて,基本要件などではGHTFガイダンスをほぼそのままの形で用いています.上記の受容可能リスクの原則は,このGHTF文書ではEssential Principles of Safety and Performance of Medical DevicesでのGeneral Requirementsとして「any risks which may be associated with their use constitute acceptable risks when weighed against the benefits to thepatient」と記載されています.またわが国においても,上記文書に対応する厚生労働省告示第122号附則第一章第一条において「使用の際に発生する危険性の程度が、その使用によって患者の得られる有用性に比して受容できる範囲内にあり」と記載されています.

受容可能リスクの原則によれば,医薬品や医療機器の臨床応用においては,その機器を患者に適用したときの患者のベネフィットとリスクを評価し,ベネフィットの大きさがリスクの大きさを上回っていることを示す必要があります.このような判断は,その時点における最善の努力のもとでなされているとしても,真に科学的な基準に基づいた判断なのかどうかは常に留意しておく必要があり,究極的にはリスクとベネフィットを定量的に評価することの出来るRBMに基づく判断を行うことが望まれます.

しかしこれまではRBMの概念がありませんでしたので,リスクとベネフィットを定量的に評価できないでいました.そこで新規の製品を評価するには,既承認品と比較することで間接的な評価を行ってきています.例えば新規開発の医療機器を評価するとして,そのベネフィットが既承認品と同等でリスクが軽減されていることを示せば認可が可能です.この論理を式で書くとすれば次のようになります.

すなわち新規開発の医療機器を考えるとき,既承認品においては,既に社会に受け入れられていることからそのベネフィットBはリスクRより大きい.すなわち
B > R
と仮定できます.一方,新規開発品では,そのベネフィットとリスクはdBおよびdRだけ変化して
B → B + dB,R → R + dR
となしますが,ここで新規開発品のベネフィットが既承認品と同等であり,リスクが軽減されていれば
dB =0, dR <0
したがって
B + dB > R + dR
となり,新規開発品でベネフィットはリスクを上回ると結論できます.

また既承認品がない場合においては,類似品があり既に社会に受け入れられているのであれば,その効用B' とリスクR' は
B' > R'
と仮定できます.ここで新規開発品のベネフィットB,リスクRが類似品と同等であれば
B ≒ B', R ≒ R'
したがって
B > R
となり,新規開発品でもベネフィットはリスクを上回ると判断できます.

このようにリスクとベネフィットというものは定量的な評価方法はないものの,それぞれの製品について一意的に定まった値を持っていて,その大きさを相互に比較できるような概念として現実に使われています.

2.2 規制および個別の患者における受容可能リスクの原則

前節で述べたように医療機器の受容可能リスクの原則は国際的なルールになっており,ほとんど自明のように受け入れられていますが,そもそもリスクが定量的に定義されていないため,その具体的な内容については明確ではありません.例えばリスクやベネフィットには個人の価値観が含まれるはずですから,個々の患者で異なって当然ですし,また異なっていることを前提として考えなければなりません.すぐ後でも触れますが,個人で価値観が異なることを考えないのであれば,医療におけるもう一つの原則であるインフォームドコンセントは意味を失います.

ですから,受容可能リスクの原則については,まず次のようなことが問題になります.すなわち,この受容可能リスクの原則は個々の患者について要求されるのか,それとも平均的な患者を仮想して考えられているものか.あるいは平均的な患者の規定が難しければ典型例を想定することでも良いのか.またもし平均例あるいは典型例に適応される原則であるならば,個々の患者における受容可能リスクの原則はどのようにして担保されるのか. 

このような疑問については今まで議論された例がありませんが,RBMでは医療機器の基本となる受容可能リスクの原則を,患者の権利を保証する基盤として国際的に認められているインフォームド・コンセントの原則と対になるものとして位置づけ,リスク管理の視点からの完全性を図るべきものと考えます. 

これは次のような観点に立っています.すなわち医療機器を利用した治療において患者からインフォームド・コンセントを得るということは,患者が治療の内容について説明を受け理解した上で治療方針に合意することを意味します.このとき説明の内容としては,患者が判断を下すために必要な情報の全てが含まれるべきであり,したがって治療の内容や期待される効果のみではなく,治療の成功率,予想される副作用の程度と頻度までもが提供されるべきです.ということは,患者に伝えるべき情報とは,その患者に医療機器を適用した場合のリスクとベネフィットを評価した結果そのものであるということです.

このような立場に立つと議論を次のように整理することができます.すなわち,医療機器の受容可能リスクの原則は平均的もしくは典型的患者への適用を想定してのリスク管理として対象製品の製品規格などに適用され,適用対象とする疾患における平均的な患者についてリスクとベネフィットを解析し,それが受容可能かどうかが検討され,最終的には規制当局が認可についての判断を行う.

【規制における受容可能リスクの原則】

医薬品や医療機器の規制においては,適用対象とする疾患における平均的あるいは典型的な患者について,リスクがベネフィットに比べて受容できるものでなければならない.

一方,個々の製品を個別の患者に適用する際のリスク管理については,患者の権利を保証するための基礎となるインフォームド・コンセントの原則に従い,その特定の患者の個人的な状況におけるリスクとベネフィットについて医師と患者が共同で検討を行い,その特定の医療機器を用いた治療を治療手段として受け入れるかどうかを患者が最終的に判断することになります.このように2つの原則を整合的に適用することによってのみ,個々の患者に適用する際の特定の医療機器についてリスクとベネフィットを担保することが可能となります.

したがって医療機器を受容可能リスクの原則に基づいて評価する際には,理想的には次の内容を含む資料を整備することが望れます.

(1) 対象とする平均的な患者あるいは典型的な患者についてベネフィット,すなわち治療が成功した場合の効果と成功率を示す.
(2) このときに予想されるリスク,すなわち治療に失敗する状況や副作用などを示し,それらの不具合による被害の程度と不具合の発生率を示す.
(3) 患者の個人差に依存する因子により,上記のベネフィットおよびリスクがどのように変化するかを示す.
(4) これらの資料に基づき,平均的あるいは典型的な患者およびこれらから大きく逸脱していない患者について,医療機器を利用した治療のベネフィットが予想されるリスクを上回ることを示す. 

医療機器が実際に患者に使用される際には,このような資料の提供を受けて医師と患者が治療におけるベネフィットとリスクを評価し,その特定の患者において医療機器を利用した治療のベネフィットが予想されるリスクを上回ることを確認して患者が最終的な判断を下せるようにするわけです.

【個別の患者における受容可能リスクの原則】
個別の患者に医薬品や医療機器を適用する際には,平均的あるいは典型的な患者におけるリスクとベネフィットの評価,および個人差に依存してそのリスクとベネフィットがどう変化するかの情報をもとにしてリスクとベネフィットを評価し,リスクがベネフィットに比べて受容できるものでなければならない.

2.3 安全性・有効性とリスク・ベネフィット

まえがきでは,安全性・有効性という言葉の代わりにリスク・ベネフィットという言葉を使う理由として,これらは似たような言葉ではあるものの日常会話的には有効性・安全性というと質的で絶対的なニュアンスを持つのに対して,リスク・ベネフィットは量的な意味を持ち科学的な議論に適切である,ということを述べました.とは言うものの,これはニュアンスの違いですのでISO 149751のように用語としてきちんと定義をすれば良いだけのことです.しかし実はこれらの言葉には,言葉のん使い方において本質的な違いがあり使い分けをすることがあります.それはリスク・ベネフィットという場合には患者という人を念頭において考えていて,安全性・有効性という場合には医薬品・医療機器という物を念頭に考えているということです.

これも医療機器についての国際的に共通した見解で,GHTF SG5/N2R8; Clinical Evaluation では次のように定義されています.まず安全性に対応する言葉はセーフティですが「Clinical Safety: The absence of unacceptable clinical risks, when using the device according to the manufacturer's Instructions for Use.」となっています.また有効性に対応するのはパフォーマンスで「Clinical Performance: The ability of a medical device to achieve its intended purpose asclaimed by the manufacturer.」というわけです.とは言っても医療機器のリスクとかベネフィットとか言う表現も許容されますが,それは医療機器を使用して治療した際の患者のリスクやベネフィット,という意味で使われることになります.

ですから,リスク・ベネフィットと安全性・有効性についての議論では,まず患者のリスク・ベネフィットを検討し,それらに影響を与える医薬品・医療機器側の因子として安全性・有効性を検討するという順番になります.このことを医薬品としてはアスピリン,医療機器としてはメスを取り上げて具体的に説明しましょう.


例 1 アスピリン(医薬品)

風邪で熱が出た際などに薬局で購入できるアスピリンを服用することがあります.けれどもアスピリンが直接的に風邪を治すわけではありません,この薬の効果は痛みを抑え熱を下げることです.ですから患者にとってのベネフィットは,不快な症状が抑えられるということになります.したがって
[ アスピリンのベネフィット=痛みや発熱という不快な症状が抑えられる]

そうすると,このベネフィットについてアスピリンが貢献するものが有効性ですから,次のようになります.
[ アスピリンの有効性=痛みや発熱を抑える ]

それではリスクは何かというと,それは薬の副作用です.通常の適用方法における副作用の他に,誤って大量にあるいは長期にわたって使ってしまう場合の副作用もあります.
[ アスピリンのリスク=適切なあるいは不適切な使用方法における様々な副作用 ]

したがってアスピリンの安全性は,このリスクに対して負っている責任ですから,適切な使用方法の範囲において副作用が受容できる大きさに抑えられていることに他なりません.
[ アスピリンの安全性=適切な使用法の範囲内で受容できない副作用がない ]

例 2 メス(医療機器)

手術などでメスを使うことがあります.これはクラスIの医療機器になります.このメスの場合にも,メスで切ること自体が治療効果を持つわけではありません.ですからメスのベネフィットとは
[ メスのベネフィット=切開手術が可能になる ]

このベネフィットに貢献するものがメスの有効性ですので
[ メスの有効性=切ることができる ]

ではメスにはどのようなリスクがあるでしょう.メスを使う際の事故としては,使用中にメスが折れて破片が患者に傷を負わせる,メスを誤って使って患者を傷つける,術者が自分を傷つける,といった可能性があります.したがって
[ メスのリスク=適切なあるいは不適切な使用方法によって,メスが折れる,メスで患者に危害,メスで術者に危害 ]

誤った使い方でも事故を起こさないように機械を設計しようということが言われています.ハザードそのものをなくすという考え方は本質安全,誤った使い方でも事故が生じないようにする考え方はフールプルーフと呼ばれています.けれどもメスのように小さくて単純な器具については,そのような設計は出来ません.実際のところ切れないようなメスは役に立たないし,無理に使えば却って危険,妙な安全装置をつけたら図体が大きく重くなって使いものにならなくなるでしょう.したがって誤った使い方で生じる事故の責任は術者にあって,メスの責任ではないということになります.結局のところメスの安全性とは事故の防止に対してメスが責任を負える範囲を担保するものですから,次のようになります.
[ メスの安全性=適切な使用法の範囲内で刃が外れたり折れたりしない ]