藤吉好則:主な研究結果の解説

藤吉好則:主な研究結果の解説

「クライオ電子顕微鏡の開発と構造生理学と命名した分野での研究」
(我々の論文は著者名表示無し、本来引用すべき他者の論文を引用していないことを付記)

細胞構造生理学研究室ホームページ
藤吉好則:主な研究結果の解説をPDFで見る
藤吉好則:主要な研究業績をPDFで見る

1.はじめに(分子構造の観察と電子線損傷)

図1 加速電圧500kVの電子顕微鏡で撮影した塩化フタロシアニン銅の分子像。

ヒトの能力や個性が形成される分子機構に興味があり、脳や神経系の機能を分子間の相互作用のレベルから理解したいという素朴な思いから量子化学を学んだが、分子間相互作用を計算するには、タンパク質をはじめとする生体高分子の原子座標が必要不可欠なので、分子の立体構造を高い分解能で解析できるX線結晶学を学んだ。しかし、位相の決定が重要だと知ったので、位相問題を解決する方法として、電子顕微鏡により重原子か分子構造を直接観察できれば位相が計算できるかもしれないとの単純な考えから(それゆえ間違っていたが)電子顕微鏡を学ぶことにした。しかし1970年代の電子顕微鏡の分野では、電子顕微鏡で原子が観察できるか否かの議論がなされていた。電子顕微鏡により分子構造が観察できるか否かを確認するために、ノイズでは現れない特徴的分子構造を有しており、有機分子の中では比較的電子線損傷を受けにくく平面構造を有する塩化フタロシアニン銅を用いて、高分解能の電子顕微鏡像を撮影することに成功した(Chenica Scripta., 14,47-61, 1979)(図1)。

図2 MDSで撮影したAg-TCNQの分子像。右下に構造を表示。

ただし、この様に分子構造を高分解能で直接観察するには、正確に焦点を合わせる必要があるが、焦点合わせのために照射される電子線により損傷を受けてしまうので、照射される電子線量を最少にするMinimum Dose System(MDS)と命名した装置を開発した(Ultramicroscopy, 5, 459-468, 1980)。このMDSを用いることで、電荷移動錯体などの有機分子の構造を高分解能観察できるようにした(Nature, 285, 95-97, 1980)(図2)。

図3 気液界面膜の暗視野像。脂質分子が存在する部分が白く見え、黒い部分は穴である。

本来の目的であるタンパク質の構造解析のための電子顕微鏡像を高い分解能で撮影するには、試料の乾燥による変性と電子線損傷という2つの問題への対応が必要である。試料が乾燥する問題は、Dubochetらが開発した急速凍結による非晶質の氷に包埋する方法で解決されたが、電子線損傷は電子顕微鏡像の分解能を制限する最も深刻な問題である。高分解能の構造解析には、2次元結晶を作製して、周期的な情報を使う必要があると思った。そのために気液界面で2次元的な“場”を作り、タンパク質を吸着、あるいは、結合させて2次元結晶を作製する試みを行った。しかし様々な理由から、この試みは成功しなかった。その1つの理由として、気液界面は理想的に均一な水面膜を形成するのではなく、欠陥の多い膜になってしまうことを確認することになった(Nature, 327, 319-321, 1987)(図3)。

2.クライオ電子顕微鏡の開発

図4 低温ステージの模式図。液体ヘリウムタンクは完全に液体窒素で冷却された金メッキした銅板でシールされている。

高分解能の電子顕微鏡像を撮影する上で電子線損傷は最大の問題なので、タンパク質や核酸の薄い3次元結晶を用いて、電子線損傷の温度依存性について定量的な測定を試みた。ただし、液体ヘリウム温度での実験には、様々な困難が存在していたので測定精度は心配であったが、試料温度を20K(ケルビン)以下と8K以下に冷却すると室温と比較して、それぞれおよそ1/10と1/20程度に電子線損傷を軽減できるという結果を得た。なお、HendersonとRussoらとの共同研究で、最近、より定量的な測定を行った結果はこれほど顕著ではなかったが、液体ヘリウムでの冷却により、損傷低減効果が確認された(Ultramicroscopy, 237, 113512, 2022)。極低温に試料を冷却して高分解能像が撮影できるクライオ電子顕微鏡の開発を1983年から開始した。日本電子株式会社の青木好則という優秀で誠実な技術者と共同で開発を進められたことは、京都大学の極低温の専門家、水崎孝雄教授の指導を得られたことと併せて、特に幸運であった。この幸運に恵まれなければ、この液体ヘリウムステージを搭載したクライオ電子顕微鏡の開発という困難な試みを成功させることは出来なかった。遭遇した多くの困難の内の数例を紹介する。当初、効率良く液体ヘリウムの冷却能を活用しようと考え、液体ヘリウムタンクで気化したヘリウムガスで、ヘリウムタンクの周囲を冷却するように設計した。しかし、蒸発したヘリウムガスの抵抗のために、タンクに液体ヘリウムを溜めることさえできなかった。このヘリウムステージ開発の過程で水崎博士の「水崎語録」を多く聞くことになったが、「液体ヘリウムステージ開発で、液体ヘリウムは付け足し程度で、液体窒素が命」もその1つであった。液体ヘリウムタンクから出るガスは抵抗なく排出されるような設計にし、液体ヘリウムタンク周りは、比較的熱容量が大きい液体窒素を用いて、ヘリウムタンクに室温からの輻射熱が来ないように100K以下の温度に冷却した。すなわち、液体ヘリウムタンクを液体窒素で完全にシールする設計にして、それまで液体ヘリウムを全く溜めることができなかった電子顕微鏡用低温ステージに、液体ヘリウムを溜めることができるようになった。ただし、最初はたった3分しか4.2Kに保つことは出来なかった。それで、液体ヘリウムタンクの容量を(1ℓ近くに)大きくして、液体ヘリウムを長時間保持できるようにした(図4)。

図5 クライオ電子顕微鏡用ステージ。液体窒素タンクを外した状態で液体ヘリウムタンクとポットが見える。

ところが、冷却後に温度を上昇させて、再冷却するために液体ヘリウムをタンクに投入すると、必ずタンクからヘリウムガスが漏れるという問題に直面した。リークディテクターを使ってリーク場所を探し出して修復するのに、数週間を要した。何度も生じたこの問題は極めて深刻で、なんとしても解決しなければならなかった。当初、銅板を折り曲げて、溶接することによって作製していた液体窒素タンクと液体ヘリウムタンクを、銅のブロックから削り出してタンクを作製することによって、コールドリークの問題を解決することができた。すなわち、大きく温度が変化するタンクは、銅板を折り曲げてストレスが残る状態で溶接した場合には、必ずクラックが入ってリークが生じるので、銅のブロックをタンクの壁の厚さ3㎜程度にまで削り出して製造することによって、安定なヘリウムタンクを作製することができた(図5)。「水崎語録」曰く、「見た目が大事」(見た目が悪いとどこかに基本的な問題があり、正しく作られた装置は見た目が美しい)ということで、図5の様に綺麗な装置を開発できた。試料を超流動ヘリウムで冷却するために図4、5に示すように、小さい超流動ヘリウムポットに試料を装着する設計とした。このポットは、ポンプでヘリウムを排気する事で超流動のヘリウムを作製して、1.5Kにまで冷却できるようにした。しかし、狭い空間に設置して、ポットへの熱流入を数mW以下に保つのは容易ではなかったし、ポット支持部にFRPを用いたが、電気伝導が悪いと像観察用電子線でチャージアップが生じた。これらの全ての問題を解決することで、1986年に第一世代のクライオ電子顕微鏡を開発することに成功した。この装置を実際に使用して、問題点などを改良してから論文を発表した(Ultramicroscopy, 38, 241-251, 1991)。その後、操作性や性能の向上を目指して、改良を重ねた(Review: Proc. Jpn Acad., Ser B., 91, 447-468, 2015)。日本電子が開発したCryo-ARM(の前身ともいえるJEM-Z300CF)の開発にも協力し、第8世代のクライオ電子顕微鏡(JEM-Z320FHC)を2020年に開発した。これまでに開発を進めたクライオ電子顕微鏡を図6に示す。

図6 クライオ電子顕微鏡開発の推移。1983年から開発を開始して、1986年に最初のクライオ電子顕微鏡の開発に成功してから、改良を重ねてきた。第8世代のクライオ電子顕微鏡(JEM-Z320FHC)を2020年に開発して活用している。

3.電子線結晶学による膜タンパク質の構造解析

図7 電子線結晶学で構造解析された光合成アンテナタンパク質の構造。膜面に水平方向から見た構造。

独自に開発したクライオ電子顕微鏡を用いることによって膜タンパク質の高分解能の構造解析ができるようになった。例えば、光合成のアンテナタンパク質であるLHC-IIの2次元結晶がKühlbrandtとWangによって作製され、我々のクライオ電子顕微鏡を使って3.4Å分解能で構造解析された。高分解能の解析によって光合成アンテナタンパク質の機能が分子構造に基づいて理解できるようになった(Nature, 367, 614-621, 1994)(図7)。

4.クライオ電子顕微鏡によるウイルス像の観察

開発したクライオ電子顕微鏡の性能をインフルエンザウイルスなどの試料を用いて確認する実験を行っていたが、氷包埋像から興味深いインフルエンザウイルスの像が観察された(図8)。これらのクライオ電子顕微鏡像から、感染性が強いインフルエンザウイルスのエンベロープは、脂質2重膜ではなく、脂質1重膜にMタンパク質の裏打ち構造を形成していると発表した(EMBO J. 13, 318-326, 1994)。クライオ電顕像から提案しているインフルエンザウイルスのモデルを図9に示す。

図8 クライオ電子顕微鏡で撮影したインフルエンザウイルス像。脂質2重膜構造ではない。

図9 インフルエンザウイルスの構造モデル。エンベロープは脂質2重膜ではなく、脂質1重膜に裏打ち構造からなる。

5.バクテリオロドプシンの構造解析

図10 クライオ電子顕微鏡と電子線結晶学を用いて解析したバクテリロドプシンと脂質分子の構造。

膜タンパク質で構造が最初に解析されたのは、プロトンポンプの機能を有するバクテリオロドプシンで、HendersonとUnwinにより、1975年に7Å分解能で膜タンパク質の初めての立体構造が解析された。Henderson等は1990年にさらに分解能を向上させることに成功している。このパイオニアに従って、開発したクライオ電子顕微鏡を活用してデータ収集することで、バクテリオロドプシンの構造を3Å分解能で解析することに成功した(Nature, 389, 206-211, 1997)(図10)。このような電子線結晶学による構造解析手法は、膜タンパク質が本来存在する脂質膜内にある状態で構造解析できるという重要な特徴を有している。また、液体ヘリウム温度にまで試料を冷却できる安定で高性能なクライオ電子顕微鏡を用いてデータを収集しているので、高い分解能の構造解析が可能になった。この後、電子線結晶学により高分解能で構造解析された膜タンパク質は、このタイプのクライオ電子顕微鏡を用いて解析された。

図11 チャージアップによる像のシフトとcarbon sandwich法による問題改善を示す模式図と実際の結果。

なお、電子線結晶学によって構造解析する場合には、クライオ電子顕微鏡で高い分解能の像を撮影して位相情報を計算し、回折像から振幅の情報を求めて、立体構造を計算するのであるが、傾斜した試料の高分解能の像を撮影する場合に、試料がチャージアップするために像がシフトすることによって、ぼけてしまう問題が生ずる。この問題のために、特に高い角度で傾斜した試料からの高分解能像を撮影できる割合は、2%程度であった。このような像の劣化を軽減する方法としてCarbon Sandwich法を開発した。この方法では、試料を対称的にすることにより、像のシフトがない良い像が撮影できる割合は90%を超えるようになった(J. Struct. Biol., 146, 325-333, 2004)(図11)。

6.水チャネル(電子線結晶学)

図12 Engel等と共同で電子線結晶学により解析したAQP1の右巻ヘリカルバンドル構造。

ヒトの身体は60%以上の割合で水を含んでおり、特に脳は水の割合が80%以上に達している。ヒトには13種類の水チャネルが発現しており、まだ謎は多いが、様々な生理機能に関わることが明らかになってきた。ヒト由来の水チャネル、アクアポリン-1(AQP1)の構造をWalzとEngel等と共同で電子線結晶学を用いて構造解析することで、単量体は右巻きのヘリカルバンドル構造を形成していることを解明した(Nature, 387, 624-627, 1997)(図12)。

図13 電子線結晶学で解析したヒトAQP1の構造。

このAQP1は、多くの組織での発現がみられ、1つのチャネルで1秒間に30億分子もの水を透過しながら、いかなるイオンもプロトンさえも透過させない機能を有している。水チャネルが水分子を透過させるときにイオンを透過させてしまうとイオンチャネルが機能できなくなってしまう。さらに重要なことに、pHは細胞の生死にも関わるので、水が透過するときにプロトンを透過させないことは、水チャネルに課せられた必須の機能である。しかし、プロトンはヒドロニウムイオンが物理的に移動しなくても、水分子が通常形成している水素結合のネットワークを通して容易に伝搬してしまうので、水素結合が断ち切られている必要がある。ただし、プロトンの伝搬を止めるために水分子間の水素結合のネットワークを断ち切ろうとすると、エネルギー障壁が高くなって、1秒間に30億もの水分子を透過できなくなってしまう。クライオ電子顕微鏡と電子線結晶学を用いて、AQP1の構造を解析することによって水チャネルの複雑な折れたたみ構造を解析した(図13)。

この構造解析結果を基に、水チャネルの速い水透過と高い水選択性の機能を理解するモデル、Hydrogen-Bond Isolation Mechanismを提案した(Nature, 407, 599-605, 2000)。その結果、K+イオンチャネルのイオン選択性の機構を解明したMacKinnonとともに、共同研究者Agreが2003年のノーベル化学賞を受賞した。しかし、このAQP1の構造は分解能が3.8Åと低く、チャネル内の水分子を観察できていなかったので、この時点ではHydrogen-Bond Isolation Mechanismはチャネルの構造から考案した単なる仮説に過ぎなかった。

図14 電子線結晶学で1.9 Å分解能で解析したAQP0の構造。脂質分子も観える。

学生時代から日本に滞在して水チャネルで共同研究を進めていたWalz博士は、Harvard Medical Schoolの教授(現Rockefeller Universityの教授)になっていたが、そのWalzのグループがAQP0の素晴らしい2次元結晶を作製することに成功したので、電子線結晶学で解析された最高分解能である1.9Åでの構造が解析できた(Nature, 438, 633-638, 2005)(図14)。

図15 水チャネルの2本の短いへリックスが形成するへリックス双極子によって、チャネル内の水分子が配向され、それと呼応する位置にカルボニル基が配置され、チャネル内の水分子はカルボニル基と水素結合を形成することによって、8か所にある水分子が観察された。

その結果、チャネル内の水分子を分離して観察することができて、上記のモデルで仮定したように、水チャネルで高度に保存されているNPA(アスパラジン、プロリン、アラニン)モチーフのアスパラジンのアミド基と近傍に来た水分子が水素結合を形成し、その上下の水分子との水素結合が断ち切られていることを示す水分子の配置が確認された。しかし、解析されたAQP0はチャネルが閉じた状態の構造で、実際チャネル内には3個の水分子しか観察されなかった。それゆえ、AQP0の解析では速い水の透過機構を説明することはできなかった。AQP1とAQP0は、それぞれヒトの赤血球と羊の目のレンズから精製して結晶化されたが、水チャネルAQP4の発現系を確立することによって、電子線結晶学による高分解能の構造解析に成功した。この解析から、AQP4の興味深い機能が示唆されるとともに、チャネル内の8個の水分子を分離して観察することができた(J. Mol. Biol., 389, 694-706, 2009)。その結果、2000年にモデルを提案して、2003年にノーベル化学賞が授与されたHydrogen-Bond Isolation Mechanismのモデルが正しいことを、構造に基づいて確認することができた(図15)。

図16 浸透圧や水透過のセンシングをAQP4の弱い接着によって行っている可能性を示すモデル図。

また、このAQP4の構造解析の結果で、この分子は水チャネルでありながら細胞接着の機能も有することが示唆された(J. Mol. Biol., 355, 628-639, 2006)。さらなる研究が必要ではあるが、グリアルラメラなどにおいてAQP4が細胞接着能を有しており、しかもその比較的弱い接着能が、この水チャネルの生理機能と関わっていると考えられる。例えば、グリアルラメラはAQP4により接着されているが、そのチャネルは上下のAQP4でずれているので、実験的に証明する必要があるが、水が透過する圧力で弱い接着が離れることにより浸透圧や水透過のセンシングをしている可能性がある(図16)。

図17 電子線結晶学では、脂質膜の中で構造解析できているが、X線結晶学では脂質分子が除かれているために、短いヘリックスの静電場が弱くて、水分子が配向できていないために水分子が入りやすい位置が形成されていない。

その後、X線結晶学を用いて、StroudのグループがAQP4の構造をより高い分解能での構造解析を行った。しかし、チャネル内の水分子の密度図はボケていて、水分子の位置を分離して観察できなかった。その理由は、電子線結晶学ではAQP4の構造が脂質膜の中で解析されているが、X線結晶学では界面活性剤で脂質膜を除いた状態で構造解析されていることに起因する。すなわち、脂質2重膜は特徴的な比誘電率の分布を示し、すべての水チャネルで保存されている2本の短いヘリックスが双極子による強い静電場を与え、チャネル内で水分子を配向させる(図15図17を参照)。

脂質膜内で構造解析する電子線結晶学では、生理的条件に近い状態での解析ができているので水分子が配向し、その配向に呼応する位置にカルボニル基が水素結合を形成できるように配置されて、水分子が存在しやすい8個の位置がチャネル内に形成されている(図15図17)。

一方、脂質膜が無いX線結晶学での解析では、この静電場が弱くて水分子を配向できないことによって水分子が存在しやすい位置がチャネル内に形成されないために、密度図がボケていると解釈される(図17参照)。

これまでに構造解析された全てのチャネルには短いヘリックス構造が観られている。それゆえ、脂質膜内においてヘリックス双極子が形成する静電場が、いろいろなチャネルにおいても重要な生理機能を担っていることが示唆される(Review: Proc. Jpn Acad., Ser B., 91, 447-468, 2015)(図18)。少なくとも、カチオンチャネルは短いヘリックスのC末端側がカチオンの入る位置に向いており、イオンがチャネル内に入りやすくしており、アニオンチャネルでは、N末端側がアニオンを入りやすくしていると考えられる。

図18 水チャネルとイオンチャネルに見られる短いへリックスのヘリカル双極子の重要性を示唆する例。

ところで、お酒を飲むと我々の脳でのAQP4の発現量が増加する。この様な場合に酔っぱらって頭を強打すると、脳浮腫により命を落とすことがある。それゆえ、AQP4の阻害剤を探索して、AcetazolamideがAQP4を阻害することを見出した(J. Struct. Biol., 166, 16-21, 2009)。

7.イオンチャネル

図19 バクテリア由来の電位感受性Na+チャネルは6回膜貫通ヘリックス構造を有しており(A)、それが4量体を形成している(B)。ただし、ポアドメインと電位感受性ドメインは1つ離れた隣に配置している。

チャネルの水やイオンの選択性の機構と共にゲーティング機構は、電位感受性イオンチャネルやアセチルコリン受容体などにおいて重要な研究課題となっている。電位感受性Na+チャネルの理解のために、バクテリア由来のNa+チャネルを用いて入江克雅博士を中心に研究が進められた。このタイプのチャネルはホモ4量体を形成している(図19)。

電位感受性Na+チャネルのinactivationの機構を理解するために、このタイプのチャネルのC末端部分の構造解析と、変異体の構造情報と電気生理学的測定の結果から、C末端部分に形成されるヘリカルバンドルの安定性がinactivationの速さを制御していることを解明した(Nat. Commun., 3, 793, 2012)(図20)。

また、電位感受性Na+チャネルの2つの状態の構造を電子線結晶学で解析することによって、ゲーティング機構の一端が理解できるようになってきた(J. Mol. Biol., 425, 4074-4088, 2013)(図21)。

ゲーティング機構を理解するためにはresting stateの構造が必要であるが、膜電位が存在する状態での構造解析は困難であった。しかし、R. MacKinnon等はこのような解析をproteoliposomeの中にKV7.1 (KCNQ1)が存在する状態で解析して、見事に膜電子がかかった状態の構造を解析できるようにした(VS Mandala, R MacKInnon, PNAS, 120, 2301985120, 2023)。この様な方法により、電位感受性のゲーティング機構が詳細に理解できるようになる可能性があり興味深い。

図20 C末端が形成する4本のヘリカルバンドルがinactivationに関わっており、それが安定なほどinactivationが速くなっている。

図21 Na+チャネルの2つのコンフォメーションの構造。

8.アセチルコリン受容体

チューブ状の結晶を用い、クライオ電子顕微鏡法を駆使することによって、神経筋接合部で重要な機能を担っているアセチルコリン受容体のresting stateの構造をUnwinとの共同研究で解析して、原子モデルを提案した(Nature, 423, 949-955, 2003)。ただし、この構造解析には、チューブ状結晶の多くの電子顕微鏡像を撮影する必要があり、Unwinは京都に家を購入して、第3世代のクライオ電子顕微鏡を用いて、膨大な数の像を撮影することによって(図22)、はじめて原子モデルを作製できる構造解析に成功した。さらに、Unwin博士が開発したspray trapping法を用いて、アセチルコリンが結合しチャネルが開いた状態の構造とrestingの構造を比較するとこによって、リガンドゲーティングのモデルが提案されている(J. Mol. Biol., 422, 617-634, 2012)(図23)。

図22 アセチルコリン受容体のチューブ状結晶を撮影したフィルム。G3 cryo-EM。

図23 アセチルコリン受容体のゲーティングモデル。

9.ギャップジャンクションチャネル

図24 電子線結晶学で解析したコネキシン-26のM34A変異体の構造。

多細胞生物は、細胞間を繋ぐギャップジャンクションチャネルによって、物質や情報を交換している。それゆえ、ギャップジャンクションチャネルは、発生制御や、炎症、細胞死、免疫応答、筋収縮などに関わっている細胞間をつなぐチャネルで、脊椎動物にはコネキシンが、無脊椎生物にはイネキシンが発現して、ギャップ結合を形成している。難聴などに関わるコネキシン-26の変異体の構造を電子線結晶学により解析することで、チャネル内に何かチャネルを塞ぐような構造があることを発見した(PNAS, 104, 10034-10039, 2007)(図24)。

さらに、X線結晶学を用いてワイルドタイプのコネキシン-26の構造が解析され、原子モデルが提案された(Nature, 458, 597-602, 2009)(図25)。

組織内でのギャップジャンクションチャネルの構造を解析するために、Lateral giant fiberの電気シナプスの構造を電子線トモグラフィー法で解析して、ギャップジャンクションが近傍に多く存在するベシクルと連結している構造を観察した(J. Struct. Biol., 175, 49-61, 2011)(図26)。

図25 コネキシン-26の構造とチャネル構造の模式図。

図26 電子線トモグラフィーで解析したベシクルを含むギャップジャンクションの立体的構造。

図27 クライオ電子顕微鏡と単粒子解析法を用いて解析したイネキシン-6が形成するギャップジャンクションの構造解析結果。結晶学では解析できなかった細胞質側の構造も構造モデルが作製出来る構造解析が可能であった。

ギャップジャンクションは大きなチャネル径を有しているが、複雑なゲーティング機構で制御されると共に、速いゲーティング制御も行っている。結晶学ではイネキシンの構造を高分解能解析できなかったが、単粒子解析法を用いることによって、短期間で解析に成功した。単粒子解析では、複雑なゲーティング制御などに重要と思われる細胞質側のドメインの構造もきちんと解析できた(Nat. Commun., 7, 13681, 2016)(図27)。

図28 Innexinの界面活性剤中での構造(左)とnanodiscでの構造解析(右)。脂質膜中ではチャネル内に脂質分子が入ってInnexinのN末端部分を押し上げている。

ギャップジャンクションのファミリーには、コネキシン、パネキシン、イネキシンが知られているが、これらの研究で中心的研究者である名古屋大学の大嶋篤典教授は、ナノディスク(脂質2重膜中)での構造をも解析した。その結果、これらのチャネルの様に大きな穴径のファミリーでは、イネキシン(図28)でも、イネキシンとは類似性が低く、ギャップジャンクションを形成しないとされている、パネキシン(図29)でも脂質膜がチャネル内に入り、脂質が関与するgating機構を示唆する結果を得た。特にパネキシンに関しては、Probenecidが結合した場合には脂質がチャネル内に入って、閉じた構造をとることから、脂質が関与するチャネルの開閉機構をより確かなものとした。大きな径のチャネルを閉じるには、脂質分子がそのチャネル内に入り、脂質2重膜をチャネル内に形成するとことで、それを実現していると考えられる。その脂質2重膜の上部に押し上げられているN末端部分はヘリックスを形成しており、その部分が膜電位などの変化でチャネル内に入ると、脂質分子をチャネル内から部分的にでも排除することができる。すると、イオンの透過が可能になるので、速いイオン透過制御のgatingを実現できる。

図29 Pannexinのnanodiscでの構造解析。Probenecid非結合(右)と結合(左)の構造。この記憶改善薬から痛風薬などの幅広い効果が知られているProbenecidによって、脂質が膜内に入ってチャネルを閉じている構造が解析された。

図30 Innexinについての脂質分子が関与するgating model: lipid mediated gating mechanism。

例えば、イネキシンの開閉構造を模式的に示す図30のように、lipid mediated gating mechanismを提案することができる。このギャップジャンクションチャネルファミリーの様に、大きなチャネル径を有する場合には、脂質分子が寄与する極めて興味深く重要なイオンチャネルのゲーティング機構が考えられる(Sci. Adv., 6, 3157, 2020, Sci. Signal., 15, 6941, 2022)。

10.タイトジャンクション

図31 タイトジャンクション(TJ)によるバリア形成を赤色の線で示す。血液脳関門とそれを形成するTJの拡大した模式図を右に示す。

我々の身体は、上皮細胞などによって外界と仕切られており、器官などのコンパートメントも仕切られている。それゆえ、上皮細胞間は、タイトジャンクション(TJ)と呼ばれるバリアによってシールされている。ただし、このTJは単にバリアとしてだけではなく、パラセルラーチャネルとして、イオンなどについて、ある程度の選択的な透過制御機構をも担っている(図31)。TJに関しては、月田早智子博士らと一貫して共同研究を進めている。
X線結晶学を用いることで、TJを形成する中心的分子であるクローディンの構造を解析することに初めて成功した(Science, 344, 304-307, 2014)(図32)。

そして、この構造に基づいてTJの構造モデルを提案した(J. Mol. Biol., 427, 291-297, 2015)(図33)。

図32 クローディンの構造。4本の膜貫通ヘリックスが左巻きのヘリカルバンドルを形成し、細胞外で5本のシート構造を形成している。それゆえ、手のひらモデルを提案した。またTJストランドを形成する相互作用様式を示唆される結果を得た。

図33 クローディン‐15の構造を基に作製したTJのダブルロウモデル。パラセルラーチャネル機能も理解できる。

図34 クローディン-19とC-CPEとの構造を解析して提案したTJを崩壊させるモデル。C-CPEが結合していない構造と比較することで、より深く理解できる。

また、ウェルシュ菌毒素がTJの構造を崩壊させることを確認できたので、TJを制御することで、中枢神経作用薬の透過制御ができる可能性がある。それゆえ、ウェルシュ菌毒素のC末端側ドメイン(C-CPE)とクローディン-19との複合体の構造を解析して、TJを崩壊させる分子機構を解明した(Science, 347, 775-778, 2015)(図34)。

図35 クローディン-3とC-CPEとの複合体の構造に加えて、へリックス3の1残基の変異体の構造を解析して提案したTJストランドの性質を変えるモデル。

これらの構造情報は、血液脳関門を始めとするパラセルラーチャネルの透過制御薬開発の参考になると考えられる。さらにクローディン-3とC-CPEとの複合体の構造を解析し、3番目のヘリックスに存在するアミノ酸の変異体の構造も解析することによって、クローディンの3番目のヘリックスの傾きに影響する一つのアミノ酸残基の変異によって、TJのストランドの形状が影響を受けることを明らかにした(Nat. Commun., 10, 816, 2019)(図35)。

阿部一啓博士は、X線結晶学を用いて、胃をpH1という酸性条件にまでプロトンをポンピングできるH+,K+-ATPaseの構造解析を行い、100万倍という高いプロトンの濃度勾配にまでポンピングできる分子機構を解明するとともに、胃薬の結合様式が複合体の構造を解析しなければ明らかにはできない、クリプトサイトへ結合していることなどを解明した(Nature, 556, 214-218, 2018)。

11.Gタンパク質共役型受容体(X線結晶学)

図36 エンドセリンB型受容体とそれにそれぞれのリガンドが結合した構造。

1995年ころから、血圧の制御などに関わるGタンパク質共役型受容体であるエンドセリン受容体の構造解析を目指して土井知子博士と研究を進めてきた。20年に及ぶ長い研究を経て、この受容体の構造をX線結晶学を用いて解析した(Nature, 537, 363-368, 2016)(図36)。このような構造解析を可能にするために、故奥田明子博士を中心に構造安定化変異体を系統的に探索して見出すことによって(J. Mol. Biol., 428, 2265-2274, 2016)この構造解析が可能になった。さらに、エンドセリン受容体とアゴニストやアンタゴニストなどとの複合体の構造も解析された(Nature Struct. Mol. Biol., 24, 758-764, 2017)。

12.単粒子解析法とクライオ電子顕微鏡システム

図37 Hub centerに設置したクライオ電子顕微鏡を遠隔操作するシステム。

脳を始めとする我々の身体の生理機能を理解するために、様々なチャネルの選択性の機構の解明を目指して研究を進めてきたが、チャネルのゲーティング機構の解明も進んできている。特に、クライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析法を用いると、高分解能の構造を解析するために結晶を作製する必要がないので、膜タンパク質を含む複雑な生体高分子の構造を次々と構造解析できるようになってきている。この構造生物学の劇的な変化を受けて、この分野のパイオニアであるDubochet、Frank、Hendersonの3名に2017年のノーベル化学賞が授与された。その1つの理由は、医学や基礎生物学のみならず、創薬などの応用科学分野にもクライオ電子顕微鏡を用いた構造解析研究が大いに役に立つと期待されていることにあると思われる。この様な構造生物学の大きな変化に呼応して、多くの組織やグループがクライオ電子顕微鏡に興味を持って研究が進められている。しかも、日本の製薬企業でも、クライオ電子顕微鏡を購入し、研究グループを立ち上げる会社が出てきている。しかし、高度な維持管理が必要であり、高額な装置を個々の製薬企業やアカデミアの研究グループに設置し維持することは容易ではない。しかも、最近ネットワークが著しく速くなってきているので、遠隔操作によりクライオ電子顕微鏡像を撮影することが可能になってきている。それゆえ、東京医科歯科大学(現東京科学大学)では、ハブセンターに設置した装置を遠隔操作するシステムを開発して、クライオ電子顕微鏡試料の観察や撮影を行うことが出来るようにした(図37)。膜蛋白質の高分解能での構造情報が短期間に得られるようになったことは、「構造生理学」と命名して研究を進めてきた分野が大きく発展する時代になってきたと期待される。また、この様な構造生物学の革命的変化を受けて、Drug Rescuingという新しい構造創薬戦略を提唱して、その有用性を実証したいと研究を進めている。

13.水チャネル(単粒子解析法)

2020年に、図6に示したように、第8世代のクライオ電子顕微鏡を開発できたことにより、膜タンパク質を始めとする標的分子や複合体の構造を効率良く解析できるようになった。さらに重要なことは、これまで単粒子解析法では構造解析が困難であった水チャネルの構造も解析できるようになったことである。単粒子解析法は、氷に包埋されて様々な方向を向いた標的分子を撮影し、同じ向きを向いた投影像を分類して平均化することによってS/Nを向上させて、構造を解析する。それゆえ、構造的に投影像が分類しやすい標的が解析には適している。ところが、水チャネルは、ほとんどが脂質膜内にあり、可溶性部分は極めて少ない膜タンパク質である。

図38 第8世代のクライオ電子顕微鏡を用いて構造解析されたAQP2の構造。

13.1 AQP2の構造解析

このような単粒子解析が困難な膜タンパク質も、第8世代のクライオ電子顕微鏡を用いて、解析できるようになった(J. Struct. Biol., 215, 107984, 2023)(図38)。

図39 第8世代のクライオ電子顕微鏡を用いて構造解析されたAQP3の構造。DDM中で構造解析されたチャネルが開いた構造(図の左上が細胞外から見た構造で、下が膜面に並行方向から見た4量体を形成するこのチャネルの1つのサブユニットの構造)。POPCで形成されたナノディスク内で解析されたAQP3の構造(図の中上が細胞外から見たチャネルが閉じた構造で、下が膜面に平行方向から見た4量体を形成するこのチャネルの1つのサブユニットで、チャネル内にY212が挿入された構造)。右にチャネルの開閉に関わる部分の構造を重ねて示した構造を示す(図の右上は細胞外から見た構造、右下は膜面に並行方向から見た構造)。グレーが開いた構造、オレンジ色がチャネルが閉じた構造。

13.2 AQP3などaquaglyceroporinsの構造解析

13種類の水チャネルの中でも構造解析されていなかったアクアポリン-3(AQP3)の構造解析を行った。その結果驚いたことに、これまでに解析されている水チャネルでは見られなかった構造が明らかになった。すなわち、細胞外側のループ領域に存在するチロシン残基(Y212)がチャネル内に挿入されてチャネルを塞いだ構造をとることが解析された(図39)。それゆえ、AQP3と同じようにグリセロールも透過するaquaglyceroporinである、AQP7とGlpFの構造を解析したところ、このように細胞外側からループ部分の一部がチャネル内に挿入される構造は見られなかったので、AQP3に特徴的な閉じた構造であると思われる。このAQP3の閉じた構造を形成するには、212番目の位置に存在するアミノ酸が芳香環を持っている必要があることが明らかになった。すなわち、212番目のアミノ酸をフェニルアラニンとスレオニン残基に変異したAQP3の構造を解析したところ、Y212Fの変異AQP3では、変異を導入していないAQP3と同じように、212番のフェニルアラニンがチャネル内に挿入された構造を形成することが明らかになった。一方、Y212Tに変異したAQP3はチャネル内に挿入された構造は見られなかった(Nat. Commun., 16, 2653, 2025)。なお、AQP7とGlpFはAQP3の212に相当する位置に芳香環を有するが、細胞外からチャネルを閉じる構造はとらないことを確認している。

14.RNA標的創薬

図40 クライオ電子顕微鏡を用いて解析したJ-K-St RNAと宿主細胞の翻訳開始因子との複合体の構造。

構造解析が困難であった水チャネルのような膜タンパク質の構造解析が可能になってきたが、核酸分子も構造解析が容易ではない標的であり、近年創薬標的として注目されているRNAの構造解析も望まれている。クライオ電子顕微鏡を用いた単粒子解析法でもRNAの構造解析は容易ではない。一方、NMRは比較的小さい分子量の標的の構造研究には強力な手法である。それゆえ、RNAを標的とする構造研究には、クライオ電子顕微鏡法とNMRによる解析法が共同して研究を進めることが、より重要になっている。その代表的な例として、理化学研究所生命機能科学研究センター生体分子動的構造研究チームの嶋田一夫博士と今井駿輔博士と旧東京医科歯科大学の特任准教授であった鈴木博視博士との共同研究で、脳心筋炎ウイルスのゲノムRNAが宿主細胞のタンパク質合成系を乗っ取って効率良くウイルスの増殖に必要なタンパク質を合成することが知られている。ウイルスのゲノムRNAのうち5'非翻訳領域に存在するJ-K-St領域のRNAが宿主細胞の翻訳開始因子(eIF4G, eIF4A)と結合することで、ウイルスは宿主細胞の翻訳機構を乗っ取ることができる。それゆえ、このJ-K-StとeIF4G, eIF4Aの複合体形成機構を解明した(図40)。ウイルスRNAが翻訳開始因子と結合することによって大きくその構造を変える機構の詳細を解明することができた(Nat. Commun., 14, 4977, 2023)。

15.Gタンパク質共役型受容体(単粒子解析)と構造創薬

図41 クライオ電子顕微鏡を用いて解析したHCA2とHCA3のリガンド結合構造。

分子生物学などの基礎生物学の発展を受けて、2000年頃から英国で新しい創薬戦略としてEvidence-Based Drug Developmentが開始された。例えば、血圧の制御の分子機構を解明して、これに関わるGタンパク質共役型受容体(GPCR)を創薬標的としてそのantagonistを開発することで、高血圧の薬を開発するという戦略がとられるようになった。それゆえ、この創薬標的となる受容体の立体構造情報が創薬にとっても重要になった。一般にはStructure-Based Drug Development(SBDD)と呼ばれる創薬戦略であるが、構造を解析すれば薬を作ることが出来るならSBDDと言えるであろうが、まだそのレベルには達していないので、Structure-Guided Drug Development(SGDD)と表現すべきと思っている。すなわち、構造情報は創薬を進める場合の、参考となる重要な情報(ガイド)として役立つレベルであり、構造に基づいて薬を開発できるレベルにはなっていない。それでも、明らかにGPCRの構造情報は、創薬研究にも極めて有用である。当初はX線結晶学による構造解析以外に高い分解能での構造情報を得る立体構造解析法はなかった。しかし、単粒子解析法の発展によって、GPCRの構造が次々解析されるようになってきた。例えば、パーキンソン病やアルツハイマーなどを含む神経炎症などの治療標的として研究が進められてきているヒドロキシカルボン酸受容体には3つのサブタイプが知られているが、その2つHCA2とHCA3がリガンドと結合してGタンパク質(Gi)と複合体を形成した構造を、クライオ電子顕微鏡と単粒子解析法を用いて東京科学大学の鈴木翔大プロジェクト助教が中心になって解析した(Nat. Commun., 14, 5899, 2023) (図41)。この様にGPCRsの構造が高い分解能で解析できるようになってきているので、リガンド結合部分の詳細な構造情報が得られる。これらの情報に基づいて、サブタイプ特異的な化合物の設計が可能になり、副作用を低減できるリガンドの開発が期待できるようになっている。この様に、SGDDによる創薬開発が高い効率で可能になってきたので、2017年に構造創薬を目指して創設した株式会社CeSPIAが実際に構造創薬技術によって薬候補を開発することが出来るようになっている。そして、Drug Rescuing戦略も現実的になってきた。

16.構造創薬を活用した新型コロナウイルス治療薬候補の開発

図42 新型コロナウイルスはそのスパイクでACE2に結合することによって人に感染する。それゆえ、スパイクがACE2に結合するために必要不可欠な部分に強く結合して解離しなければ、ウイルスの感染を阻害することができる。スパイクのウイルス外部に突き出したドメイン(エクトドメインと呼ばれる)やACE2に結合するドメインであるRBDの構造をクライオ電子顕微鏡やX線結晶学を用いて高分解能で解析することによって、感染を阻害できる構造形成ペプチドCeSPIACEを設計し、開発することに成功した。スパイク(のRBD)にCeSPIACEが結合した構造も解析した。CeSPIACEは図に示すように2本のヘリックス構造を形成する天然のアミノ酸だけからなる短い構造形成ペプチドで、ウイルスのスパイクだけに結合して他の分子に影響を与えないので、副作用がなく安心して使える強力な治療薬となると期待される。

新型コロナウイルスなどの感染症は、社会や経済活動に大きな影響を与えた。実際、今世紀においては、2002~2003年にSARSが、2009年にインフルエンザが、2012年にMERSが、そして2019~2023年には新型コロナウイルスが大流行した。ワクチンや治療薬などが開発されてきたものの、理想的な治療薬は、ヒトの身体に影響を与えることなくウイルス感染を強く阻害し、副作用が全くない安心して投薬できる薬であり、そのような薬候補の開発に挑戦した。

理想的な薬を開発する創薬戦略として、新型コロナウイルスSARS-CoV-2が、ACE2(Angiotensin-Converting Enzyme 2:アンジオテンシン変換酵素2)に結合するスパイクタンパク質の先端に存在するRBD(Receptor Binding Domain:受容体結合ドメイン)に強く結合する阻害剤を開発することを目指した。しかし、RBDがACE2に結合する接触面には、低分子が結合できるポケットが存在しないため、ペプチド製剤を用いてPPI(Protein-Protein Interaction:タンパク質間相互作用)を制御する必要がある。さらに、新型コロナウイルスなどの変異ウイルスではスパイクタンパク質が繰り返し変異を起こすため、すべての変異ウイルスのスパイクに強く結合できる阻害剤が求められる。そこで、我々は、副作用がなく、安心して使用できる薬の開発を行うために、構造創薬(SGDD: Structure-Guided Drug Development)技術を用いてペプチド医薬候補の開発を試みた。

具体的には、変異を繰り返すウイルスであっても、感染に必要なACE2への結合を阻害することを目指した。RBDがACE2に結合するのと同じRBD部分に強く結合し、解離しない天然のアミノ酸のみで構成される構造形成ペプチドを設計した。開発したペプチドは、武漢株からオミクロン株のXBB.1.5までのすべてのタイプの新型コロナウイルスに強い薬効を示すペプチド医薬候補を開発し、CeSPIACE(COVID-19 eliminative Short-Peptide Inhibiting ACE2 binding)と命名した。

このペプチドは39アミノ酸からなる短い直鎖状分子で、容易に化学合成ができる。同じ長さの2本のヘリックスから成る束を形成し、ヘリックスを巻いた後に塩橋などでその構造を安定化する。また、RBDへの結合面を外側に向けるようにホモ2量体を形成し、4本のヘリックスからなるさらに安定な束の構造を形成するように設計した。この基本構造を保持しながら、ACE2への結合に必要不可欠なRBDのアミノ酸と強く結合できるように設計した(図42)。

図43 (左)ヒトの肺細胞由来のCalu-3細胞に、武漢株、アルファ株、デルタ株、オミクロンBA.5株を、それぞれ感染させて、感染18時間後にCeSPIACEを投薬した場合と、CeSPIACEを含まない液を加えた場合の細胞上清をVeroE6/TMPRSS2細胞に加えて、ウイルス量を計測した。細胞がウイルス感染によって死ぬと白くなるので、ウイルス量を観ることができる。CeSPIACEを投薬しないとほとんどの細胞が死滅して白くなっているが、CeSPIACEを加えた場合には、いずれの変異ウイルスに対しても死んだ細胞が激減している。
(右)デルタ株を感染させたハムスターを用いた実験で、CeSPIACEを含まないプラセボでは肺一面にウイルスが感染しているが、CeSPIACE投与によりウイルスがほとんど見られなくなるほど高い治療効果があることが病理解剖の結果から確認された(右上)。ウイルスRNAを測定した結果、1/1000にウイルス量が減っていることが確認された(右下)。

変異を繰り返すウイルスのRBDでも、その主鎖の構造は変化しない(主鎖の構造が変わるとACE2に結合できず感染できない)ことが確認できたので、RBDの主鎖との結合を強化するようCeSPIACEを設計した。このペプチドは、特定の変異RBDに特に強く結合するのではなく、変異を繰り返すRBDのすべてに結合できるよう、変異の影響を受けにくいように設計した。

実験では、武漢型、アルファ型、デルタ型、オミクロン株(BA.1、BA.2、BA.5)のRBDに対するCeSPIACEの解離定数(KD値)を測定した結果、1nM以下の強い結合能を確認した。また、感染細胞を用いた抗ウイルス活性の半数阻害濃度(IC50)は10nM以下で、強い抗ウイルス活性を確認した。さらに、ヒト肺細胞由来のCalu-3細胞を用いた実験でも、多様な変異ウイルスに対して強い抗ウイルス活性を確認した(図43左)。加えて、シリアンハムスターを用いた動物実験では、プラセボ条件と比較してウイルスRNA量を1/1000に減少させる顕著な抗ウイルス活性を確認した(図43右)。

新型コロナウイルスの感染状況や、ワクチン・治療薬開発の状況を踏まえ、ウイルス感染を強力に阻害し、副作用がなく安全で使いやすい薬の必要性を感じたことから、本研究の開発を開始した(2020年の6月から開発を開始した)ために、パンデミックに間に合う形で治療に使えるようにはできなかった。しかし、当初の創薬戦略で掲げた「副作用がなく、躊躇なく安心して使用できる薬」を開発するという目標に基づき、候補物質としてペプチド医薬CeSPIACEを開発することに成功した。この構造形成ペプチドCeSPIACEは、ウイルスが変異を繰り返しても、ヒトのACE2に結合して感染する限り全てのウイルススパイクに対応可能と期待できる。天然のアミノ酸のみで構成されているため、副作用の懸念がなく、軽症から重症までの感染者に対しても強い薬効が期待される(Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A., 122, e2413465122, 2025)。

さらに、CeSPIACEは治療薬としてだけでなく予防薬としての利用も可能であり、抗体薬に比べて安価に大量供給が可能である。これは、化学合成が容易な直鎖状の短い構造形成ペプチドであることに加え、構造創薬技術を活用することで短期間での開発と改良が可能になったことによって開発できた。また、室温での高い安定性と優れた水溶性を備えた物性により、品質管理が容易で、多くの国や地域に供給可能と考えられる。それゆえ、このような特性を持つCeSPIACEは、将来のパンデミックへの備えとして大きな社会的意義を持つだけでなく、世界中の感染症治療に新たな希望を提供する可能性を秘めている。

資金面などの困難な問題が存在しているので、容易ではないが、この構造形成ペプチド医薬候補について医師主導の治験を実施し、人への投薬を可能な限り早期に実現したいと願っている。

 

なお、以上の研究成果は、本文中に記載した共同研究者だけでなく、それぞれの論文の著者諸氏との共同研究によるものであり、共同研究者の皆様に感謝する。

Drug Rescuing: 製薬企業などには、創薬標的として有望な分子とそのリード化合物が得られていても、前臨床、臨床などの過程において問題が生じたために薬が販売できなかった例が、多く蓄積されていると思われる。これらの創薬標的とリガンドとの複合体の構造を解析することによってリガンド結合の詳細な構造情報が得られるので、標的分子とリガンドとの相互作用を再設計することが出来る。また、リガンド結合に影響を与えないリガンド部分を知ることが出来る。この部分の化学構造を結合能に影響を与えることなく改変することによって、副作用が軽減できる可能性がある。この様に、詳細な構造情報に基づいて、薬となりきれていなかった創薬標的とそれと結合する候補化合物を薬として作りきる効率の良い創薬戦略をこの様に命名している。