研 究

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1. 全身麻酔薬についての研究

a. 麻酔薬の中枢神経系における抗炎症・抗酸化についての研究

高齢者の術後認知機能障害は現代の周術期管理において解決が困難な問題の一つである。われわれは,中枢神経の炎症と酸化反応に対する麻酔薬の作用を調べてきたが,特に近年は周術期の炎症と一過性の脳虚血を動物で再現し,周術期脳虚血モデルとして研究を行っている。今後はこれを進めて,原因となる遺伝子を特定し,デクスメデトミジンの脳保護作用の機序を明らかにしたいと考えている。
1) Maeda S, et al. Remifentanil suppresses increase in interleukin-6 mRNA in the brain by inhibiting cyclic AMP synthesis. Journal of Anesthesia 2018; 32:731-9
2) Maeda S, et al. Neuroscience, 2017. 2017, p 396.19
3) Maeda S, et al. Delta opioid receptor ligand suppresses increase in IL-6 in cultured microglia. IADR 2021, Boston 2021

2.神経障害性疼痛に関する研究

a. 神経障害性疼痛におけるDRGでの長鎖非コードRNAの関与について

当分野で扱う口腔顔面領域の痛みは三叉神経痛や舌咽神経痛などの体性感覚神経の障害に伴う神経障害性疼痛が含まれるが、これは慢性に経過し難治性で苦痛が強いため、積極的に治療することが求められます。しかし、現状の疼痛薬物療法は未だ効果が不十分であり、様々な有害作用が問題となっています。日本医科大学薬理学分野との共同研究により、難治性の神経障害性疼痛の病態基盤として、長鎖非コードRNA (lncRNA)の解析を推進しています。特に神経損傷後のシュワン細胞で、lncRNAの一種であるH19の発現が持続的かつ劇的に上昇することを明らかにしています。H19は様々な炎症性サイトカインの産生に関与することが報告されており、われわれは、次世代医薬である核酸医薬によりH19を標的として、その分子機構に基づいた神経障害性疼痛の新規治療戦略の開発を目指しています。

1) Takaya Ito, Atsushi Sakai, Motoyo Maruyama, Yoshitaka Miyagawa, Takashi Okada, Haruhisa Fukayama, Hidenori Suzuki. Dorsal Root Ganglia Homeobox downregulation in primary sensory neurons contributes to neuropathic pain in rats. Molecular Pain 16: 2020. https://doi.org/10.1177/1744806920904462

2) Takaya Ito, Motoyo Maruyama, Hirotoshi Iwasaki, Yoshitaka Miyagawa, Hidenori Suzuki, Shigeru Maeda, Atsushi Sakai. Involvement of long noncoding RNAs (lnkRNAs) containing ultraconserved regions expressed in primary sensory neurons in a rat neuropathic pain model. Neuroscience 2023.

b. 神経障害性モデルに対するリゾホスファチジン酸(LPA)の効果について

神経障害性疼痛は歯科に関わりの深い病態のひとつであるが,臨床的に対応は容易でない。リゾホスファチジン酸(LPA)は神経障害性疼痛に対する効果が期待され,その効果を動物モデルを持ちいて調べることによって,臨床的な応用に向けたデータ蓄積が可能であるとともに,神経障害性疼痛の機序の解明に繋がることを期待している。

Ryoko Kurisku, Yoko Yamazaki, Shigeru Maeda. Involvement of Lysophospholipids in trigeminal ganglion in neuropathic pain of orofacial region. Neuroscience 2023 2023.11.14 Washington DC.

3.局所麻酔薬についての研究

a.  歯科用アルチカイン製剤の開発

国内多施設共同の歯科用アルチカイン製剤の治験に参加している。歯科用アルチカイン製剤は諸外国では歯科用局所麻酔薬として非常に高いシェアを持っているにもかかわらず,本邦では導入が遅れている。安全で効果的な局所麻酔薬として本邦での承認ならびに発売が待たれる局所麻酔薬である。すでに第Ⅲ相試験を終了し,安全に関する研究を国内外の研究機関と共同で進めている。

樋口 仁, 若杉 優花, 川瀬 明子, 前田 茂, 宮脇 卓也. 歯科用局所麻酔剤アーティカイン塩酸塩(アルチカイン塩酸塩)・アドレナリン酒石酸水素塩注射剤(OKAD01)の安全性および血中薬物動態の検討(第I相、単施設、非盲検試験). 日本歯科麻酔学会雑誌 49(3): 81-96; 2021.

b. 選択的局所麻酔薬の開発

新しい局所麻酔薬の開発を東京工業大学との共同研究により進めている。カルボキシル官能基化メソポーラスシリカナノ粒子(MSN)に,新しいリドカイン誘導体QX-OHをエステルベースでpH切断可能に担持させることにより,pH応答性の放出を介した局所麻酔薬を効率的に提供することを示した。
また,局所麻酔薬のリドカインは、神経細胞のナトリウムイオンチャネルの活性を阻害することにより鎮痛効果を示すが,口腔内に塗布すると運動神経も麻痺し、口唇、舌、頬粘膜を咬んでしまうことがある。一方,感覚神経への局所麻酔薬効果が短いことは術後の疼痛コントロールに対する効果が期待できないことを意味する。そこで本研究では、カプサイシンが感覚神経のTRPV1受容体に特異的に結合することを利用して,リドカインとカプサイシンを生体適合性のあるポリ乳酸-グリコール酸(PIGA)微粒子に乳化溶媒蒸発法を用いて共封入し,それによって知覚神経に特異的なターゲティングを達成した。

1) Ken Takahashi,Yasuhiro Nakagawa, Yu Sato, Ryo Wakita, Maeda Shigeru, Toshiyuki Ikoma. pH-responsive release of anesthetic lidocaine derivative QX-OH from mesoporous silica nanoparticles mediated by ester bonds Journal of Drug Delivery Science and Technology. 2022.12; 78.

2) OKABE Saki, NAKAGAWA Yasuhiro, SATO Yu, WAKITA Ryo, MAEDA Shigeru, IkOMA Toshiyuki. Preparation and Drug-Release Properties of Poly (lactic-co-glycolic acid) Microparticles Co-encapsulating Lidocaine and Capsaicin. 口腔病学会誌 in press.

 

 

c. 創傷治癒における局所麻酔薬の有効性について

術後創部の瘢痕形成の原因は、線維芽細胞から形質転換した筋線維芽細胞の過剰な増殖と 細胞外マトリックスの分泌による組織の線維化である。線維化は難治性であり、筋線維芽細胞の増殖やアポトーシスを誘導する抗がん剤などが治療薬の候補となっているが、副作用も強く現在のところ実用化には至っていない。これまでに局所麻酔薬による線維芽細胞でのNGF発現増加や筋線維芽細胞の増殖抑制およびアポトーシス誘導を報告した。今後はこれらの結果を応用し、ラット術後痛モデルおよびブレオマイシン(BLM)誘発皮膚線維症モデルを使用して局所麻酔薬が創傷治癒過程にある組織に対する効果について,また筋線維芽細胞に対するアポトーシス誘導に関わる経路について研究する予定である。これらの研究から局所麻酔薬による鎮痛と良好な創傷治癒が両立した術後管理を可能にしたい。

1)Tomoka Matsumura, Shigeru Maeda, Society for Neuroscience 2021, Chicago.
2)Matsumura T, Kubota K, Sakamoto K, Fukayama H. NGF is Induced by Lidocaine in Human Skin Fibroblast Cells In Vitro. Masui. 2016.03; 65 (3): 288-290.

 

4. 臨床研究

a. 静脈内鎮静法の満足度に影響を与える要因について

静脈内鎮静法は歯科治療や口腔外科手術に対する精神的ストレスの軽減を目的として,広く用いられているが,自発呼吸下で管理するため治療中の記憶はあることが前提となっている。一般的に長時間や侵襲が大きな治療には,鎮静法は不向きであるとされているが,どの程度であれば高い満足度が得られるのか,あるいは満足度が得られやすい患者の属性はどのようなものであるかなど,よりよい鎮静法を行うための科学的検証は不十分である。本研究では前向き観察研究として静脈内鎮静法を受けた患者を対象に,満足度とそれに関連する要因を抽出し,満足度に独立して影響を与える要因を抽出する。

久家章宏,安部勇志,佐藤 裕,前田 茂.歯科麻酔外来で静脈内鎮静法を行った患者への満足度調査.口腔病学会 2023.

b. 鎮静中の患者モニタから読み取れる生体反応について

Pulse Wave Transit Time (PTT)は外来で行われる全症例に装着している心電図とオキシセンサーのみで検出可能な指標であり、急激な血圧変化を反映すると言われている。PTTによる血圧変動の検出(PTTトリガー測定)によるNIBP測定を継続的に行うことで、局所麻酔時に従来は見逃されていた血圧変動が検知可能であることが示された。歯科治療時に血圧変動しやすい患者の予測や非侵襲的手法による血圧変動の早期検知は、有病高齢者歯科診療時の安全性の向上にも貢献できる。
自動麻酔記録システムを利用し、鎮静法下局所麻酔による心拍数変化を後ろ向きに解析し、過去の局所麻酔時の徐脈反応の発生率、およびその発生と関連する既往歴・現病歴等患者情報を抽出し、徐脈反応と関与する因子(誘発因子)の探索を行ったところ,局所麻酔の注射により一過性に徐脈を来すことがわかった。歯科治療中の徐脈は,痛みや恐怖よるに神経反射であると思われていたが,鎮静中であっても惹起されることから三叉迷走神経反射が関与していることが明らかとなった。今後は、判明した誘発因子に加え従来から徐脈反射の誘因とされる咳嗽・嚥下・排尿・起立等による反応に関し質問票を作成して情報収集・記録し、鎮静下での局所麻酔中における徐脈発生の予見性を前向きに調査することで、従来予測が困難であった局所麻酔時の徐脈・低血圧反応の誘発因子が明らかする予定である。

1) Budiman Hilmanda, Wakita Ryo, Ito Takaya, Maeda Shigeru. Factors Associated with Variability in Pulse Wave Transit Time Using Pulse Oximetry: A Retrospective Study. JOURNAL OF CLINICAL MEDICINE, 2022. 11 (14).

2) Ryo Wakita, Yukiko BaBa, Haruhisa Fukayama, Shigeru Maeda. Factors associated with transient bradycardia during local anesthesia administration to the oral cavity under intravenous sedation: A retrospective cohort study. Journal of Dental Sciences 2023.

c. 口腔外科再建術における遊離皮弁予後に関わる周術期因子についての後方視的検討

当院中央手術室では年間約70件の遊離皮弁移植による再建術症例が行われている。これらの症例について,周術期の患者状態と術後の移植皮弁の予後との関連性を検討している。本研究結果が今後のより良い周術期管理に貢献するものと考えられる。
1) 安部勇志、松村朋香、前田茂:第49回日本歯科麻酔学会, 2021, 札幌.

d. 外科的矯正手術の質向上のための研究

外科的矯正手術は歯科矯正の一般化とともに増加しているが,口腔外科手術の中では比較的侵襲が大きく,術中の出血や術後の疼痛は周術期監理の中でも最も大きな課題である。現在出血量を減少させるために,低血圧麻酔やトラネキサム酸の投与を行っています。また,術後鎮痛のために手術中からオピオイド,アセトアミノフェン,NSAIDsなどを組み合わせて対策を行なっているが,最近は神経ブロックを導入するなど新たな試みも行っている。そして,どのような組み合わせが出血量の減少および術後疼痛管理に最適であるか,後ろ向き観察および前向き観察研究として科学的に検証している。

e. 舌痛症に対する五苓散の痛み軽減効果の検討:多施設ランダム化群間比較試験

長崎大学を中心に,愛知医科大学,東京医科歯科大学の3施設共同で進めている研究である。舌痛症は口の中の粘膜面に生じる原因不明の痛みであり,口腔乾燥(口渇)を訴える患者が多く,口渇の改善が症状軽減に貢献するという報告もある。五苓散は口腔乾燥を改善させる漢方薬であり,歯科領域においても使用頻度の高い漢方薬である。そこで本研究では舌痛症に対して五苓散投与が痛みの軽減効果を有するかどうかについて検討する。それぞれの施設に受診した患者のうち,舌痛症と診断された患者を無作為に五苓散非投与群と五苓散投与群の2群に振り分け,投与12週間後の外来受診時の痛みスケール(Visual Analogue Scale:VAS)の20%以上の改善割合を主要評価項目として調査する。その他,副次的評価項目として唾液アミラーゼ活性や舌診,気象情報との関係を調査する。五苓散により舌痛症の痛みの感覚が改善できれば、新たな薬物治療の可能性につなげることが可能になると考えている。

1)Takao Ayuse, Ichiro Okayasu, Mizuki Tachi-Yoshida, Jun Sato, Hironori Saisu, Masahiko Shimada, Yoko Yamazaki , Hiroko Imura, Naoki Hosogaya, Sawako Nakashima,Examination of pain relief effect of Goreisan for glossodynia,Medicine (Baltimore). 14;99(33): e21536. doi: 10.1097/MD.00000000000, 2020 Aug.

 

f. 口腔顔面領域の慢性疼痛に対するミロガバリンの効果の検討

歯科で遭遇する慢性疼痛の中に,神経障害性疼痛と口腔灼熱痛症候群(BMS)がある。神経障害性疼痛には薬物療法ガイドラインがあり,第一選択薬には三環系抗うつ薬やCaチャネルα2δリガンドが推奨されている。三環系抗うつ薬はBMS患者にも有効であり,アミトリプチリンが奏効するという報告が多数存在する。またBMS患者の一部は神経障害性疼痛の性質を持つため,神経障害性疼痛治療薬であるCaチャネルα2δリガンドが奏効する可能性があると考えている。近年,使用が開始されたミロガバリンは眠気やふらつきの副作用が少なく,比較的使用しやすいといわれている。本研究は神経障害性疼痛患者とBMS患者を対象に,それぞれアミトリプチリンを投与する群と,ミロガバリンを投与する群にランダムに振り分け,治療開始からの痛みの改善率を痛みスケール(Visual Analogue Scale:VAS)の変化を基に比較検討する。また発生した副作用の詳細や最終投与量の比較,心理検査とVAS変化率との相関なども調査する計画である。

 

g. 顎骨の慢性骨髄炎に対する排膿散及湯の効果についての検討

骨髄炎を発症した患者は症状が慢性化し,炎症や痛みのコントロールに難渋する場合がある。歯科領域でも骨髄炎は発生し、抗菌薬や消炎鎮痛薬を長期投与しなくてはならない場合もある。排膿散及湯は患部が発赤、腫脹して疼痛をともなった化膿症、瘍、せつ、面疔、その他せつ腫症に効能を発揮すると言われており,小児の肛門周囲膿瘍の治療や,頭蓋骨および上腕骨の骨髄炎の治療に使用され,良好な結果を得たという報告がある。歯科では歯周病に奏効したという報告はあるが,顎骨骨髄炎に対する効果を検討した報告はない。本研究では,口腔外科にて慢性骨髄炎と診断され,症状の改善を目的に当科に紹介された患者を対象とし,通常治療群(西洋薬使用)と排膿散及湯治療群にランダムに振り分け,投与4週後の,痛みスケール(Visual Analogue Scale:VAS)の改善率を指標とした治療効果を比較する。また副次的評価項目として治療に対する満足度,生活の質の調査を調査する。

1)Yoko Yamazaki and Masahiko Shimada,A case report of Kampo medicine improving the symptoms of antiresorptive agent-related osteonecrosis of the jaw (ARONJ),YAKUGAKU ZASSHI 141(9), 1123-1127, 2021 Sep.
2)山﨑 陽子,井村 紘子,坂元 麻弥,栗栖 諒子,川島 正人,嶋田 昌彦,脇田 亮,下顎骨骨髄炎の治療に漢方薬を使用した一症例,第48回日本歯科麻酔学会総会・学術集会,2020.

 

h. 東京医科歯科大学歯学部附属病院ペインクリニックに受診した三叉神経ニューロパチー患者の症例集積研究

三叉神経ニューロパチーは,三叉神経に何らかの原因で機能障害が生じ,感覚の異常をきたす病態の総称である。三叉神経ニューロパチーの症状は多岐にわたり,痛みだけでなく,アロディニアや痛覚過敏,ジセステジア,パレステジアなどの感覚異常も含まれる。顔面の神経痛である三叉神経痛も三叉神経ニューロパチーの仲間である。これらの疾患に対して当科では薬物療法や物理療法を用いて症状の改善を模索しているが,三叉神経痛を除き,確立された治療法が存在しないのが実状である。そこで現在,過去12年間に東京医科歯科大学歯学部附属病院ペインクリニックに受診した総初診患者数11,387名のうち,三叉神経ニューロパチー患者について,診療録を基に匿名化されたデータを抽出・集積し,性別,年齢,診断名,治療法,投薬内容,治療効果などについて後ろ向き調査を行っている。治療内容と治療効果の関係や,診断名と性別もしくは年齢との相関などを調査している。

山崎陽子,坂本麻弥,井村紘子,栗栖 諒子,川島 正人,嶋田 昌彦,前田 茂.第49回日本歯科麻酔学会 2021, 札幌.