研究とイカさまさま、の話

 研究とイカさまさま、の話

寺田 純雄
神経解剖学分野(現 神経機能形態学分野)・教授

この九月一日より本学神経解剖学分野に赴任致しました。

私は平成元年に大学を卒業後、外科医として二年間の研修医生活を送りました。大学院に進み、その後は一貫して基礎研究に従事しております。現在は細胞を研究対象とするミクロの世界の解剖学者です。臨床医を辞めてなぜ研究者になったのですか、という質問をよく受けますが、研究を通じて新しい医学、生物学の発展に貢献することで、私の診ることのないたくさんの患者さんの幸せに役立つことがあれば、というのが一つの理由です。医学部は患者さんを診るお医者さんを養成する学部ですが、同時に10年後、20年後の医学をつくる医学研究者を育てる場所でもあります。私は未来のお医者さんと研究者を育成する教員としての責務を担う立場にあります。

研究対象としては、神経細胞を舞台とした細胞質性蛋白質の輸送現象の解明を目指して参りました。神経系は外界から入ってくる情報(入力)を受け取り、適切な情報処理により得られた判断をもとに、周囲の環境に働きかけの指示を出します(出力)。言い換えますと、神経系は入力と出力の仲介役としての機能を担っています。脳や脊髄は、仲介役細胞の塊です。仲介役の神経細胞は、情報を受け取る場所と、働きかけの指示をだす場所とをつなぐ必要がありますので、電線の様に長い突起をもっています。この長い突起をつくり、突起がもつ情報伝達機能を維持するためには、突起で必要となる様々な物質を、適切なタイミングと量で、主に細胞体から運んでやる必要があります。人間の細胞は10ミクロン(1ミリの百分の一)程度の大きさが普通ですから、細胞の端から端までものを運ぶといっても運ぶ距離はせいぜい10ミクロンです。しかし神経細胞の突起の長さは時に1メートルを越えますから、細胞体から突起の先までものを運ぶのには特別に発達した仕組みが必要と予想されます。私はこの仕組みについて、調べて参りました。研究結果がすぐに患者さんのお役にたつことはありません。しかしこの仕組みについて十分な理解が進めば、将来神経細胞の情報伝達機能を自由に維持、修復させることができる様になるかもしれません。交通事故で脊髄損傷を起こした患者さんの脊髄の神経細胞は壊れてしまって今の技術では殆ど元に戻りませんが、神経細胞内の物質輸送を調節できれば、壊れた神経細胞の突起を元通りにできるかもしれません。脳卒中や認知症(所謂“ボケ”)も神経細胞が壊れて仲介役としての機能が果たせなくなる為におこる病気ですから、現在は十分な治療のできないこれらの病気を克服する為にも、細胞内輸送についてよく調べることは大切だと思います。でも、具体的に患者さんのお役にたつ水準まで到達するにはまだまだわからないことが多すぎるのが現状です。

研究は最初から人間或いは人間に近い動物を対象にできれば手っ取り早いのですが、倫理的な問題も含めて制限が大きいものです。そこで私はイカの神経突起を使って神経細胞内輸送の研究を行ってきました。実は幾つかの理由で、イカの神経は人間の神経の機能を探る為の実験材料として大変優れています。生き物は面白いもので、進化の歴史の中で遠く離れた種の間でも、結構共通の仕組みが存在します。意外に思われるかも知れませんが、輸送の仕組みはイカと人間とで大差なさそうです。イカでわかってきたことをもとにネズミで実験してやると同じ結果がでてきます。ネズミで当てはまることは、高い確率で人間でも当てはまります。

実験では生きた状態にある神経の突起を使いますので、実験直前まで水槽の中で泳いでいるイカを調達してくる必要があります。イカは飼育することが難しく、なかなか長期間飼い続けることができません。実験のたびにどこからか手に入れる必要があります。実験を始めるにあたって、私は当時所属していた研究室の教授と一計を案じました。

まず、生簀に活イカをいれている鮨屋を浅草で見つけました。教授と二人で店に入り、鮨をつまみながら、板さんの説得にあたります。自分たちは斯く斯く然々こういう者で、大学で神経の研究をしている。実験材料として活イカを必要としている。店で出すイカ刺身の値段と同じで構わないので、活イカを売ってもらえないか、という訳です。最初はおっかなびっくりでお願いしたのですが、気難しそうな店主はこの奇妙なお願いを快く引き受けてくれました。

イカの入荷状況は獲れる漁場や天気によって大きく左右されます。実験を滞りなく行う為に、調達先は複数あった方が良いので、他にも探してまわりました。湯島に全国いか加工業協同組合の事務所があるのをみつけて、そこの紹介で築地の活魚業者のところに早朝イカをわけてもらいにいったこともあります。発泡スチロール製のケースに空気混入用の簡易ポンプをつけた即席の搬送用水槽をバイクに載せて、朝暗い内から皇居前を通って市場と大学の間を行き来しました。東京は飲食店が多く、鮨屋や料亭に活魚をおろしている業者がたくさんあるので、たずねてまわっては活イカを分けてもらえないかきいてまわったこともあります。その内街中をバイクで走っていると、活イカを搬送しているトラックの存在に気付くようになり、トラックの側面の連絡先電話番号を記憶して、後で業者と交渉する、という技を身につけることもできました。

スーパーや鮮魚商に並んでいる死んだイカは白くみえますが、活イカのからだは透明度が高く、内臓が透けてみえます。またからだの表面を覆う細胞は、中に離合集散の可能な色素顆粒をもっていて、この顆粒の動きを調節することで一瞬のうちに体色を変えることができます。体色の変化は機敏で、なかなか表現力豊かです。イカは視覚の発達した動物なので、この体色の変化や、体色パターンによってできるからだの上の模様を介して相互に“対話”していると考えられています。実際、水槽内の活イカを捕まえようと網をいれますと、イカは体色を真っ赤にかえて怒ります。下手にやるとスミを吐きますし、咬みつきます。水槽から掬い上げられて身動きできなくなってしまうと、赤くなったり白くなったりしながら鳴き声をあげさえします。死んでしまうと瞬く間に透明度が下がって、よくみかける白いイカになってしまいますが、対照的に、生きているイカの姿は美しく、私自身何年か相手にしておりますと、妙に親しみめいた感情を持つようになりました。美しい上に、イカのお蔭で研究成果がでたのですからまさにイカさまさまです。

医学関係者は生と死の交錯する現場に立ち会うことが宿命づけられています。お医者さんは勿論、解剖学者も、病理学者も、生物について研究する研究者も、常に生き物の生死をまのあたりにせざるを得ません。その美しさと悲惨、そして不可思議さ。鮨屋のカウンターの奥を覗くと、時に神棚があって、そこに大魚小魚の霊とかいたお札が祀られているのを目にすることがあります。お札をみると、鮨屋の主人の気持ちがよくわかる気がします。生き物が生きる仕組み、成り立ちについて調べたり考えたりする研究者の目、解剖学者の目、更には病に対峙する医師の目をささえる精神は、人間を含めた生物の生死に対する敬虔な気持ちだと思います。お札を掲げた鮨屋の主人と同じです。この新しい職場で、こういった内容についても学生に伝えていきたいと念じています。

東京医科歯科大学献体の会会報「けんたい」第31号(2006年年2月14日)所収