「籤引き」の話

「籤引き」の話

寺田 純雄
神経機能形態学分野・教授
  • この度はご卒業おめでとう。またベストティーチャー賞に選出いただき光栄です。担当科目の内容も、講義や実習の形態も、決して万人受けするものとは思っていないので、まさか再び皆さんの前でおはなしすることになるとは考えてもみませんでした。少しでも興味をもってもらうきっかけになっていたとすれば、そして卒業後に何かの役に立つことがあれば、担当者の一人としてこれにまさる喜びはありません。解剖の講義や実習はスタッフや技術職員といった教室関係者、献体いただいた方々の支えあってのことなので、個人ではなく、分野として評価いただいたと考えています。関係者にそのように報告します。スタッフの士気もあがりますし、それはみなさんの後輩にとってもプラスになるだろうと思います。

  • せっかくの機会ですので、お礼もかねて餞としての話題を二つ、提供したいと思います。共通のキーワードは「籤引き」です。

  • 私が学生時代に印象深く読んだ書籍の一つに、神谷美恵子さんの著作集があります。彼女は精神科医として長く長島愛生園でハンセン病の患者さんの治療に当たられた方で、敬虔なクリスチャンでした。その作品の中に、何の罪科のない患者たちがなぜ非業の苦しみを受けなければならないのか、「なぜ私たちでなくあなたが?」と自問する詩があります。そして彼女は何かの啓示を受けたかのように悟ります。「あなたは代わって下さったのだ」と。当時、大学生であった私は、クリスチャンでなかったからかもしれませんが、何故こんなふうに考えられるのだろうか不思議に思い、その真意をなかなか理解できなかったことをよく覚えています。

  • 医学部での勉強が進むと、病や怪我の多くは確率的なもので、患者さんには大なり小なり不運な当たり籤を引いてしまった側面がある、ということがわかるようになると思います。確率的な考え方の教えるところは、誰が当たり籤を引くかわからないが、当たり籤を引く人が必ずいる、ということです。だから、病棟で診る患者さんの多くは、元気に仕事のできる君たちのいわば身代わりとなって苦難に立ち向かう人々だ、ということもできるでしょう。キリスト教ではこれを十字架を背負うと表現するのでしょうが、確率的な考え方を理解すれば、仮に宗教的な立場にたたなくても、医師がどの様に患者さんに接するべきか、自ずと明らかではないか、と思います。他人の苦しみを自らのものとして受け止める態度は、宗教の専売特許ではありませんし、見方によっては実に科学的かつ合理的態度でもある、と思います。どうか実力のある、心優しい臨床医になってください。これが一つ目です。

  • 二つ目は研究の話です。是非研究をやってください。私たちが今、健康長寿社会を享受できるのは、過去の医学者たちの苦労のおかげです。日常の臨床が大切なのはもちろんですが、後の世代の幸福に役立つ医学の進歩に欠かすことのできない医学研究への寄与を蔑ろにするのは、後世から怠慢の誹りを免れないと思います。

  • 研究は籤引きに似ています。当るか当らないかは引いてみないとわかりません。そして大きな当たり籤程当る確率は小さいのが普通です。そんなリスクの大きい仕事には自分は向かないと思う人も多いかもしれません。けれども百本に一本しか当たらない籤でも百本全部引けば必ず当たります。引いてみないと結果が分からないというのは確かに籤引きの真理ですが、引いた籤を戻さず引き尽くせば必ず当たる、というのも同様に真理です。籤を選ぶには多少の頭が、籤を引き尽くすには時間・仲間が必要ですが、その全てについて、今の皆さんほど兼ね備えている人間はこの世の中、そうはいません。そして才能と時間のある若者が不安や孤独ばかりを口にしてリスクを避けるのは、正直みっともないと思います。失敗のない人生は、それこそ大失敗の人生です。この思いが私たち研究者の精神を支えている「秘密」です。おはなししたかったことの二つ目です。

  • 以上、これで本当におしまいにしたいと思います。皆さんの二十年後の活躍を期して待っています。

医学部医学科卒業謝恩会挨拶(2017年3月24日、於 ザ・リッツ・カールトン東京)