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近代教育発祥の地 ~ 湯島聖堂と昌平坂学問所~

聖橋をはさんで、東京医科歯科大キャンパスの右手に湯島聖堂のこんもりとした森が見えます。湯島聖堂は、およそ300年前の江戸時代に、孔子を祀る聖堂として設立されると同時に、教育の場としてその役割を担ってきました。

概略

湯島聖堂の起源は、1632年、林羅山が上野の私邸内に建てた孔子廟「先聖殿」と私塾「弘文館」にさかのぼります。(林羅山は、家康、秀忠、家光、家綱と江戸初期の将軍に重用された儒学者で、幕府の体制作りにも大きな役割を果たしています。)これを1690年「生類哀れみの令」で知られる五代将軍徳川綱吉が湯島の地に移し、自らも論語の講義を行うなど学問を奨励、官学の府として規模を拡大していきました。
その後、1790年、老中松平定信による寛政の改革で「寛政異学の禁」が布かれ、1797年、朱子学を正学とする幕府直轄の「昌平坂学問所」が誕生。全国から旗本や藩士の子弟が集うところとなります。武士だけでなく、一般庶民が聴講できる日もあったといいます。
明治維新後、昌平学校→大学校として存続し、東京大学の母体となりましたが、国学者、漢学者、洋学者の間に学問論争が起こり、洋学を重視した政府によりついに閉鎖されます。
そして、明治4年(1871年)、ここに文部省がおかれ、大成殿は博物館としての役割を担うことになります(現在、上野にある東京国立博物館の起源)。翌年、殖産興業に力を入れる政府の施策により、国内各地の産業・産物を展示する日本で初めての博覧会が開催され、約一ヶ月の会期中、15万人が訪れるほどの盛況ぶりだったといいます。
明治5年には、東京師範学校、7年には東京女子師範学校が設置され、それぞれ東京教育大学(現・筑波大学)、お茶の水女子大学の前身となりました。ここが「近代教育発祥の地」とされる所以です。
現在でも、湯島聖堂では昌平坂学問所の伝統を継承し、漢文を中心とした文化講座が年間を通じて開かれています。

大成殿 大成殿
孔子とともに、孟子、顔子、子思、曾子の四賢人が祀られています。江戸時代よりたびたび火事のため消失、再建を繰り返し、関東大震災では全焼。昭和10年に鉄筋コンクリート造りで再建されました。

大成殿、および杏壇門の屋根のてっぺん 大成殿、および杏壇門の屋根のてっぺんで目立つのが、名古屋城の金の鯱にもにた「鬼犹頭(きぎんとう)」。建物を火災から守る水の神とされています。
さらに、屋根の四隅で睨みをきかせているのは、「鬼龍子(きりゅうし)」とよばれる霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるといいます。

日本最初の楷の樹 日本最初の楷の樹
端正な枝振りから楷書の「楷」の由来ともなっている樹木で、別名「孔子木」とも呼ばれます。湯島聖堂にある楷は、大正4年、日本に最初に持ち込まれた楷の種子から育ったもので、中国の孔子の墓所に植えられている楷の樹の正子とされています。

世界最大の孔子の銅像 世界最大の孔子の銅像
4.75mある孔子の銅像は、1975年台北市のライオンズ・クラブから寄贈されたものだそう。

入場無料
公開時間 : 午前9時30分~午後5時(冬季は4時)
大成殿は土・日・祝日の午後10時~閉館まで
湯島聖堂ホームページ : http://www.seido.or.jp/


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