研究所について

沿革

本研究所は、昭和 13年 (1938年)東京高等歯科医学校に設置された歯科材料研究室に始まる。この研究室では金属義歯に関する研究が行われていたが、昭和 20年、本学は戦火に遭い惜しくも壊滅した。

昭和 26年 (1951年)、本学は東京医科歯科大学に昇格したが、当時の長尾優学長は「歯学は医学と理工学を両輪として発達すべきである」との理念から、歯学領域における理工学部門の充実をはかるべく、本学に歯科材料研究所を設置することを強く要望した。

歯科医療はとくにその技術面で治療機器および材料の性能に負うところが大きいが、戦前の国産歯科器材は外国製品に比して遜色があったばかりでなく、戦中戦後はさらに品質の低下が著しく、国民の保健上にも憂慮すべき状態になっていた。

このような事情から、わが国に歯科器材の品質向上を目標とする総合的研究機関設立の必要性が認められ、昭和 26年4月1日 (1951年)、国立学校設置法の一部改正により、東京医科歯科大学に歯科材料研究所が附置されるされることになった。

初代所長は長尾優学長が兼任して、5研究部 (金属部、窯業部、有機材料部、機械部、薬品部)と事務部で発足した。昭和 36年 (1961年)には電気機器部の増設、電子計算機の導入が行われ、エレクトロニクスに関する研究活動も開始された。

昭和 39年 (1964年)、6研究部は、金属材料、無機材料、有機材料、精密機械、薬品 (昭和 41年 化学)、電気機器の研究部門に名に改称された。

本研究所の研究陣ならびに研究設備は年を追うごとに充実され、またメディカルエレクトロニクス、人工臓器に関する研究がわが国においても緊急な研究課題となってきたことから、本研究所は歯科器材の研究のみに止まらず、さらに医用器材についても研究を推進することとなり、昭和 41年(1966年)、歯科材料研究所は発展的に医用器材研究所と改称された。

それとともに、それまで湯島地区の建物内にあった本研究所も 3,330 m^2の独立庁舎が本学駿河台地区に新築され、昭和 42年 (1967年)に移転を完了した。その後、昭和 46年 (1971年)に 1,618 m^2、昭和 50年 (1975年)に699 m^2が増築されたが、その後に部門が増設されたため増築が必要になっている。

昭和 42年 (1967年)に計測機器部門、同 47年 (1972年)に制御機器部門、同 53年 (1978年)に生理活性部門、同 56年 (1981年)に 10年の期限付きの機能性高分子部門 (平成 3年に廃止)、平成 3年 (1991年)に10年の期限付きの生体機能材料部門がそれぞれ新設され10研究部門となった。

医用器材研究所への改称から33年が経過したがこの間、生体の分子、細胞レベルでの研究が飛躍的に進展し、生体材料についても多種多様な素材の開発の可能性が広がってきたことから、革新的な人工臓器の開発に対する社会的な要請も大きくなってきた。このような要請に応じるため、本研究所は平成 11年 4月から機能分子、素材、システムの 3大部門(2客員分野を含む 13分野)に改組され名称も「生体材料工学研究所」と改称された。またわが国の行政改革の一環として国立大学が法人化されることとなり、本学も平成 16年 (2004年) 4月に国立大学法人東京医科歯科大学に移行した。平成 21年 (2009年) には研究所の建物の大規模耐震改修が行われた。

平成 24年 4月に本研究所は「生体材料工学研究所」という名称をそのままとし、生体機能の修復・解析に資する物質及び材料並びに生体工学に関する学理及びその応用のための研究を医歯工連携のもとに先導し、その成果を実用化するための技術の構築と人材の育成を推進するため、新組織図に示すように、4研究部門12分野、1プロジェクト研究部門、1附属施設に改組した。研究部門として、生体材料工学の基礎研究から応用研究までをカバーするように、医療基盤材料、生体機能修復、医療デバイス、生体機能分子の4研究部門が設置された。また、国内連携、学内連携プロジェクトを推進するために、プロジェクト研究部門が設置された。附属施設として、研究部門の支援及び学内共同利用施設として機能し、研究成果の実用化推進のために、医歯工連携実用化施設が設置された。

研究所の設立当時から現在に至るまでの間、以下の教授が順次所長を兼任した (括弧内は在職年数)。長尾優 (9)、増原英一 (3)、村松篤良 (3)、三浦維四 (3)、増原英一 (6)、石川正幸 (3)、村松篤良 (3)、石川正幸 (3)、増原英一 (2)、三浦維四 (2)、石川正幸 (2)、今井庸二 (3)、戸川達男 (3)、中林宣男 (3)、井上昌次郎 (2)、浜中人士 (3)、 山下仁大 (7)、塙隆夫 (6)、宮原裕二 (6)、影近弘之 (現)。

本研究所は、国内ではもちろん国際的にもユニークな存在であり、その使命はますます重大となってきており、その活躍が大いに期待されている。