沿革

東京医科歯科大学歯周病学分野の誕生から現在まで

歯科保存学第二講座の誕生

木下教授壮行会.jpg現在の歯科保存学第2講座は、1957年4月1日付で、今川与曹教授が大阪大学より着任されて、我国で初めて歯周治療学講座を開講されたことに始まります。 それ以前の歴史を紐解いてみますと、東京医科歯科大学は、その前身の東京高等歯科医学校によって1929年から発足したのですが、創立当時には保存・補綴・外科等の区分は明確でなく、最初は長尾 優教授が歯科保存学の講義をされていました。1931年より檜垣麟三教授が歯科保存学を担当され、さらに1941年より今川教授が就任され、共に担当されることになりました.


東京医科歯科大学へ

昭和58年歯周病学会.jpg東京高等歯科医学校は第2次大戦中に医学科を併設して東京医学歯学専門学校となりましたが、戦後昇格して東京医科歯科大学となり、さらに1949年には新制大学に切り替わり、保存学教室は学制上3講座となりました。しかし保存学教室は引き続き1単位として檜垣教授が主宰され、これを鈴木賢策教授が補佐され、その後、山下浩教授も教室運営に参加されました。
 そして、山下教授が小児歯科学教室の新設を引受けられたために、暫く大学を離れておられた今川教授が1957年4月に再び来任され、この時より3講座の分担科目が明確に区分されることになりました。.


今川与曹教授から 木下四郎教授へ

宴会写真.jpg今川教授が歯科保存学第2講座(歯周治療学)、檜垣教授が歯科保存学第1講座(保存修復学)、鈴木教授が歯科保存学第3講座(歯内療法学)を担当され、実質的に歯科保存学の3講座制が始まりました。 今川与曹教授は、臨床歯周病学の体系づくりに主力を注がれ、日本歯槽膿漏学会(現在の日本歯周病学会)の設立、育成、発展にご尽力なされました。
 1968年に今川与曹教授が定年退職され、その後任教授として今川門下の逸材として知られる木下四郎先生が同年7月に就任されました。今川与曹教授の後を受けた木下四郎教授は、歯周病学の研究とその発展に全力を注ぎ、特に、歯周病の原因とその予防法および治療法に関して多大なる成果を挙げられました。プラークコントロールが歯周疾患の予防と治療に最も重要な因子であることを見いだし、その方法の確立に精魂を傾けられました。また、日本歯周病学会理事長として、「歯周疾患治療指針」を完成され、我国における歯周治療の確立と普及に寄与されました。しかし、1983年10月、その志なかばで木下四郎教授は逝去され不帰の人となられました。

誕生 石川教授

石川烈教授就任.jpg1984年8月には、石川烈先生が木下四郎教授の後任として当教室3代目の教授に就任されました。1997年には教室の40周年記念式典も行われました。2000年4月1日には、東京医科歯科大学の大学院重点化計画がみとめられ、全学的に東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科に移行しました。歯科保存学第2講座は、東京医科歯科大学・大学院医歯学総合研究科・生体支持組織学系専攻・生体硬組織再生学講座・歯周病分野になりました。また、2004年7月に石川教室開講20周年を迎え、20周年記念式典が行われました。石川 烈教授は、細菌学的、免疫学的および遺伝子工学的手法を用いた歯周疾患の病因の解析、診査、診断法、Er:YAG レーザーを用いた歯周治療、BMP(bone morphogenetic protein: 骨誘導因子)、エナメルマトリックスタンパク質(エムドゲイン)および歯根膜シートを用いた歯周組織再生療法、歯周疾患と骨粗鬆症、糖尿病、心疾患、バージャー病などの全身疾患との関係についての研究に力を尽くされ、多くの業績を挙げられました。また、国際的な活動としては、諸外国から多くの留学生を受け入れ、研究、臨床、教育など多方面で指導されました。社会的活動としては、日本歯周病学会の理事長を努められ、学会の国内外での評価を高められ、特定非営利活動法人化を達成されました。石川教授は、22年間、精力的に活躍され、2006年3月に退官されました。

和泉教授へ

和泉教授記念祝賀会全体写真 のコピー.jpg
2007年4月からは、和泉雄一先生が教授として就任され、これまで築かれてきた歯周病学をさらに発展させるため活動しています。