チーム医療で患者さんを救え!

特集2.最重症で救急搬送されたタイ人女性を救った命のリレー

平成29年1月20日土曜日、日本に観光に訪れていたタイ人女性のチャイチャン ワン ウィサー(以下、ワンウィサー)さんは、東京上野のアメ横で、心臓発作を起こし救急車で東京医科歯科大学医学部附属病院に搬送されました。助かる確率が0.1%未満とも言われた最重症の状態に陥ったワンウィサーさんを、当院の医療スタッフが懸命に治療を行い、心臓カテーテル治療や、冠動脈のバイパス手術など、10日間で5回にわたる手術や治療を行い、その後のリハビリ治療などによって、平成29年4月6日、元気に帰国されました。2ヵ月半に及ぶ、患者さんと医療スタッフたちの取り組みについてご紹介します。

心臓血管外科 教授 荒井 裕国
-Hirokuni Arai-

タイ人女性の旅行者ワンウィサーさんは、どのような状態で東京医科歯科大学医学部附属病院(以下、当院)に搬送されたのでしょうか?

ワンウィサーさんは、平成29年(2017年)1月20日、観光に訪れた東京上野のアメ横で、突然倒れて救急車で東京医科歯科大学医学部附属病院に搬送されました。病名は、「虚血性心不全」、そして「心室頻拍(エレクトリカルストーム)」です。

ワンウィサーさんは、集中治療室(ICU)に2ヶ月以上いらっしゃって、治療を受けていましたので、「最重症の患者さん」と言っても過言ではない状態で、普通だったら助からなかったかもしれないくらいな状態でしたが、無事に2ヵ月半後に快復し、帰国されました。まさに当院ならではの医療で助かった患者さんのお一人だと思います。

ワンウィサーさんを救った『当院ならではの医療』とは?

まず救命救急(ER)の医師、看護師をはじめとするスタッフの皆さんによる、初療(初期治療)が非常に優れていたことがワンウィサーさんを救いました。ERで心臓マッサージなどの適切な処置と診断が行われ、直ちに循環器内科に連絡が入り、経皮的冠動脈形成術(PCI)などの治療がスタートできたという「診療科間の連携」が非常にスムーズだったことです。

その後のERでの治療中も、これまでの治療に加えて心臓の手術が必要となる可能性がありました。当院では毎朝8時に、ICUの重症患者さんのベッドサイドに、多くの診療科の医師や様々な職種の医療スタッフが集まって「多職種回診」を行っています。ですので、問題のある患者さんの状態をすぐに把握し、医療スタッフ間で直ちに情報を共有することができます。私たちがワンウィサーさんの相談を受けて診察した際も、「ああこの患者さんは、直ちに心臓のバイパス手術を行う必要があるな」と判断しました。

さらに東京医科歯科大学にはタイ人留学生も多く、さらにはワンウィサーさんが救急搬送されたときに、幸運にもタイの医科大学出身の研修医が1ヶ月間来日していたので、その方に通訳をしてもらい、インフォームドコンセントもとれ、スムーズに治療ができました。

それで心臓のバイパス手術を行ったのですか?

実はそこで立ちはだかったのが、医療費の問題でした。ワンウィサーさんは、旅行保険にも加入していませんでした。病院にはタイの医療制度に詳しいスタッフもいないので、タイ国大使館に問い合わせて、ヒアリングしました。

ICUの入院費、補助人工心臓装置の使用料、循環器内科での治療に加えて、心臓のバイパス手術をするとなると、治療費は1000万円を軽く超えてしまいます。果たしてこのまま治療を続けていいのかどうか、病院の事務にも確認する必要がありました。


病院の事務担当はどのように判断したのでしょうか?

病院の事務担当者からは、非常に心強い言葉をもらいました。それは「先生方は人道に則って治療をしてください。お金の心配は私たちがしますから!」という激励の言葉をもらいました。

手術後のワンウィサーさんの病状は?

手術後一度は回復しましたが、再び不整脈が出たため、心筋焼灼術(カテーテルアブレーション)を2回にわたって行ったことにより、劇的に回復しました。救急車で搬送されてから退院まで約2ヵ月半もかかりましたが、最初は助からないと思われていたワンウィサーさんが、再び笑顔を取り戻して、タイで幸せそうに暮らしているのを見るたびに、うれしい気持ちになります。

ワンウィサーさんを救ったのは、彼女自身が持つ生命力と、その命を守ろうとした当院の医療スタッフたちによる「命のリレー」だったと感じています。

荒井先生は、タイとの交流について、以前から積極的に取り組んでいらっしゃいますね?

もう5年目になりますが、タイで働く若い心臓外科医を集めてタイ国内で年1回、冠動脈バイパス手術のトレーニングセミナーを実施しています。この活動で培った人脈を活用して、現地の医師と情報共有し、ワンウィサーさんを無事に母国タイのチェンマイまで送り届けることができました。

心臓血管外科 講師 大井 啓司
-Keiji Oi-

ワンウィサーさんが救急搬送された当時の状態について教えてください。

平成29年(2017年)1月20日、観光に訪れた東京上野のアメ横で、ワンウィサーさんは突然倒れて救急車で東京医科歯科大学医学部附属病院に搬送されました。

病名は、「虚血性心不全」および「心室頻拍(エレクトリカルストーム)」。虚血性心不全とは、心臓の筋肉に血液を送り込む血管が狭くなったり、閉塞したりして血液が十分に届かなくなることによって収縮力が弱まり、全身の臓器に必要な血液量を送ることができなくなった状態です。

「心室頻拍」とは、正常な心臓のリズム(心拍数が1分間に60~100回程度)とは異なり、心室(心臓の下の部屋)から、心室期外収縮という種類の不整脈が、続けて出現する(心拍数が1分間に120回以上の頻度で心室期外収縮が3連発以上出現する場合)状態です。

自覚症状は、胸が急にドキドキする、息切れがする、めまい、ふらつき、意識消失発作など様々です。発作頻度や持続時間が短い、また頻拍の心拍数が遅いときなどは自覚症状が軽微なことがありますが、多くは血圧低下症状(めまい、ふらつき、意識消失)を伴います。

このうち、エレクトリカルストームとは、心室頻拍に対して適切な薬物療法や電気的除細動を行っても停止しない、停止後すぐ再発する、または24時間以内に3回以上出現するものを指しますが、実際は3回以内で治まることはほとんどなく、素早く適正な治療が行われても救命できないことも多い疾患です。

ワンウィサーさんの治療の経過について教えてください。

救急車でERに運ばれたワンウィサーさんには、まず経皮的心肺補助(PCPS)および経皮的冠動脈形成術(PCI)という治療が行われました。

PCPSとは遠心ポンプと膜型人工肺を用いた閉鎖回路の人工心肺装置による治療です。PCPSは、一般的に重症心不全や致死的不整脈による循環不全に対する心ポンプ機能の補助、心肺停止症例に対する蘇生手段として使用される治療法ですので、ワンウィサーさんが如何に重症であったかがわかると思います。

PCIとは心臓に血液を供給する冠動脈が細くなっているところにカテーテルを挿入して血管を押し広げて血流を取り戻す治療です。

これで一時的に命はつなげたものの、その後、心室頻拍が現れるようになり、危険な状態に陥ったために、続いて「冠動脈バイパス手術」が行われました。その後、改善が見られましたが、さらにエレクトリカルストームが出現したために、今度は「心筋焼灼術(カテーテルアブレーション)」という、不整脈の原因となる心筋の異常な動きを取り除くために、心筋の一部を焼灼する治療を2回行いました。

このように1月20日から1月下旬までの約10日間に、5回の難易度の高い治療・手術を行った結果、2月に入って間もなく、ワンウィサーさんの意識が回復しました。これらの治療はそれぞれ単独で行われる場合でも十分高度な治療ですが、治療後に続発する新たな病態は、単一の診療科のみでは対応できず、緊急性の高い連携が必要となります。この点の連携が速やかに円滑に行われることができたことが、今回の治療の成功につながっていると思います。

その後は、少しずつ順調に回復していったので、タイに帰国するための準備を始めました。東京からチェンマイまでのクルマや飛行機での移動をいかにトラブルなく遂行するか、帰国するために植込み型除細動器を装着する外科手術を行うかどうか、タイへ帰国してから治療を受ける病院探しなど、数多くの乗り越えなければならない壁がありました。

ワンウィサーさんのお母さんが来日して面倒をみていましたが、お母さんは英語も日本語もわからないので、手術の説明や同意書など、またその他の事務的なことについて、タイ語で説明する必要がありました。

幸いなことに、東京医科歯科大学には、タイからの留学生がおり、このときにも学内を探してタイ人の留学生に通訳をしてもらうことができました。さらに、ワンウィサーさんの故郷であるチェンマイの病院やバンコクの病院とも綿密な連絡を取る必要がありました。

これも幸いなことに、当院の心臓血管外科はタイとの交流が深く、ここ数年タイからの心臓血管外科医師の短期留学を受け入れてきた実績があります。

また、昨年は心臓血管外科荒井教授のもとに、タイの心臓血管外科の主要な医師たちが当院への視察、および東京医科歯科大学-タイ胸部外科学会・合同研究会のために訪れた、という経緯があり、その中にバンコク、チェンマイの一流施設の心臓血管外科医がいたために、スムーズに連携をとることができました。

本当に人の縁というものは、不思議な形でつながって役に立つものだと実感しました。タイとの友好関係が強い東京医科歯科大学に救急搬送されたワンウィサーさんは、本当に幸運(強運)だったと思います。

当院がワンウィサーさんの快復に貢献したところは?

東京医科歯科大学の救命救急センターは、全国第1位の評価を5年連続して獲得しています。24時間365日体制で優秀な医師や看護師、医療スタッフが、どのような背景の患者さんであっても分け隔てなく受け入れ、救急医療を行っています。その実績が何より功を奏したと思います。さらに、ワンウィサーさんの受けた難易度の高い治療や手術に関しても、高度な技術と経験を積んだスタッフが担当し、全力で貴重な命を守ったことが何より素晴らしいことだと思います。また、心臓血管外科では虚血性心疾患に対する植え込み型補助人工心臓という困難な治療を普段から積極的に行っており、重症心不全の患者さんに対してあきらめない治療を日常的に行っています。またタイ人留学生の協力や、タイの医師たちとの連携がスムーズに進んだことも、日頃から積極的に国際交流を行い、東京医科歯科大学の高い医療技術を世界に紹介する努力を一人一人の医師が、忙しい時間を割いて継続的に行ってきたことが実を結んだと言えます。当院にはカテーテルやアブレーションを行う設備も最新のものが設置されており、それをフル稼働させて、医師たちが患者さんの治療を行っています。

医学部附属病院 事務部 医事課 課長 高砂 健介
-Kensuke Takasago-

タイの救急患者さんワンウィサーさんの治療費は、約2ヵ月半の入院で、どのくらいかかったのでしょうか?

1月20日~4月6日までの入院で、費用の総額は約1500万円です。主なものとしては、手術・麻酔およびこれに伴う医療器材の料金が約700万円、ER・ICUの入院料が約150万円、一般病棟の入院料が約100万円、注射料が約200万円、その他画像診断、検査などの費用です。

ご本人とご家族の希望で、それらの診療が行われたのでしょうか?

それぞれの主治医から、タイ人留学生などの通訳ボランティアを介して、治療について細かい説明を受けたワンウィサーさんのお母さんに、全て了承を取っていたと聞いています。私たち事務サイドも、金銭的に心配だからといって、治療を中止するようなことはできませんから、患者さんのためにできるだけのことは行って、治療費の回収に関しても、誠意的に対応しています。

タイ大使館からの支払いもあったそうですね。

はい。タイ大使館から当院へ約800万円の立替支払いがありました。その後、4月5日の帰国前に、ワンウィサーさんのお母さんから、帰国後にお金を工面し毎月約3万円を振込みで支払うとのお約束をいただき、少しずつお支払いいただいています。日本とタイとでは物価も異なり、病後すぐにはワンウィサーさんも働けない状態だと思われるので、病院としては毎月ご本人やご家族と連絡を取り、長い目でお支払いを待つことにしています。

このような外国人患者さんは他にもいらっしゃいますか?

ワンウィサーさん以降、4件の海外旅行中の外国人が救急搬送されており、増えているという実感はあります。

先日の新聞報道でも、2010年には約861万人だった訪日外国人旅行者が、政府の観光振興キャンペーンなどで2016年に過去最高の約2404万人に急増し、さらに東京五輪・パラリンピックが開催される2020年には4千万人にまで増やす目標を掲げています。このような中で、近畿運輸局が昨年、大阪府で実施した調査では、訪日客を受け入れた病院の30%で未払いが発生しているということで、病院経営を圧迫する要因になりかねません。


このような海外で病気になる救急患者さんのトラブルを減らす方法、そこから学ぶ教訓などがあれば教えてください。

日本に来る海外旅行者には、ぜひ旅行保険にも加入して欲しいです。旅行保険に加入していないと、全額自費払いになります。

日本人が海外に行くときにも、まさかのときに備えて、保険への加入をおすすめします。海外は日本に比べて医療費が高い国が多いので、旅行先の医療制度なども調べておきましょう。