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沿革と人事の略歴

 東京医科歯科大学の前身である東京高等歯科医学校が文部省歯科医師開業試験附属病院を母体として、昭和3年1012日に設立された。修業年限は本科4年、研究科2年であった。
 初代校長には歯科医師開業試験附属病院院長であった島峰徹先生が就任された。翌4年4月に一回生100名の入学式が行われた。一ツ橋の東京商科大学(現一橋大学)の校舎の一部を改築した仮教室で授業が開始された。
 昭和4年4月に藤田恒太郎(ふじた つねたろう)先生が解剖学の専任者(副手)として東京帝国大学医科大学から着任され、本学の解剖学教室が開設された。昭和5年
12月にはお茶の水の東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)寄宿舎跡を一部改築して、本校及び附属病院が移転した(現在地)。また、昭和94月に本学旧本館(現2号館)の基礎工事が始まり、翌107に竣工し、8月に移転が行われた。
 昭和6年3月、藤田恒太郎先生は教授に昇任され、昭和8年から10年までドイツのベルリン大学に出張されることとなった。開設当初は教官が手薄で、歯の組織学は口腔外科学の金森虎男教授、歯の解剖学は補綴学の川上政雄教授、系統解剖学は東大の西  成甫(にし せいほ)教授、組織学は東大の森  於莵(もり おと)助教授、発生学は東大の井上通夫(いのうえ みちお)教授の各先生が非常勤講師としてそれぞれの学科目を担当されていた。また、当時の解剖学実習は東大の実習室を借りて行われていた。
 また、本学の創設期から昭和18年頃にかけては、当時のドイツの著名な歯の解剖学者(Wilhelm Dieck, Wilhelm Meyer, Karl Greve,  Hermann Gross,  Gerhart Steinhardt,  J. Eschlerら)が相次いで本学に招聘され、歯の組織などの講義が行われた。
 文部省直轄諸学校管理の一部改正によって、本学は昭和19年4月から東京医学歯学専門学校と校名が変更され、医学科(定員80名)が増設された。歯学科は従前どおり定員80名のままであった。教官の定員は教授31、助教授21、助手21となった。昭和20年3月10日と4月13の2度にわたる空襲で、木造建築の建物は大部分が焼失し、旧本館(現2号館)のみとなってしまった。
 昭和2011月、藤田恒太郎教授は東大に転任され、後任として昭和21年6月に新島迪夫先生(前橋医専・群馬大学解剖学教室初代教授)が教授に就任された。昭和21年には東京医科歯科大学が設立され、10月には長尾 教授が初代学長に任命された。さらに昭和24年には解剖学教室は医学部2講座、歯学部1講座となり、歯学部の解剖学教室には桐野忠大助教授(きりの ただひろ)が就任したが実際には、教授は3講座で新島教授だけであった。そして25年8月からは新島迪夫教授が歯学部解剖学教室の併任教授となった。したがって当初は歯学部の解剖学教室が新島迪夫教授と桐野忠大助教授で運営されることとなったが、桐野助教授のもとには富田喜内助手(元 北海道医療大学学長)、小林茂夫助手(元 松本歯科大学学長)、橋本 巌副手(鶴見大学名誉教授)などがおられ、すでに歯学部においても2講座の体制が整いつつあった。さらに、昭和26年2月には、新島迪夫教授は医学部から歯学部の専任教授に配置替えとなっている。なお、歯学部の解剖学教室の教官は1講座ながらすでに教授1、助教授と講師計2、助手4となっていたが、当時の解剖学の授業と実習は医歯両学部が合同で行っていた。昭和3012月、再び新島迪夫教授が歯学部教授から医学部解剖学第2講座の教授に配置替えとなったのにともなって、桐野忠大助教授が歯学部解剖学教室の教授に昇任した。
 昭和32年には歯学部の解剖学教室が2講座となり、大江規玄助教授が教授に任命され、口腔解剖学第一講座は桐野忠大教授が、また第二講座は大江規玄教授が担当することになった。それに伴って昭和32には窪田金次郎講師(東京医科歯科大学名誉教授)が助教授となり、小林茂夫助手は33年に講師に,35年には助教授に昇任した。また、昭和36年、佐伯政友助手(さへき まさとも 東北大学名誉教授)が講師に昇任した。
 昭和39年4月、大江規玄教授が東大に転出され、その後任として翌40年4月に一條 尚講師(いちじょう たかし 東京医科歯科大学名誉教授)が口腔解剖学第二講座の教授に昇任した。また、同年1月には佐伯政友講師が助教授に昇任している。昭和4110月、平井五郎非常勤講師(松戸歯科大学名誉教授)が助教授として着任した。昭和43年2月、橋本巖助手が講師に、また同年10月には助教授に昇任した。昭和47年には野末哲夫助教授が着任している。昭和51年3月、山下靖雄助手は講師に、また52年4月には助教授に昇任した。
 昭和
42年には歯学部附属研究施設として顎口腔総合研究施設の咬合研究部が設置された。また、昭和44年の1月から3月にかけて、新築された管理棟(1号館)へ口腔解剖学教室は移転したが、大学紛争で管理棟が封鎖され、当分の間建物内に入ることができなかった。昭和46年4月には顎口腔総合研究施設に咀嚼研究部が設置され、また同年3月には管理棟の2期工事が竣工し、その建物の4階に7月より歯学部の組織実習室が移転した。

 昭和53年には顎口腔総合研究施設に転任していた窪田金次郎先生のデザインした作品が東京医科歯科大学創立50年記念事業の一環として行われたシンボルマーク図案として採用された。
 昭和56年4月、桐野忠大教授の退官後、同年8月その後任として山下靖雄助教授が口腔解剖学第一講座の教授に昇任し、第二講座の一條 教授とともに口腔解剖学教室を担当することとなった。
 平成63月、一條 尚教授の定年退官にともなって、その後任として高野吉郎教授が平成81月着任し、口腔解剖学第二講座を担当することとなった。この時点で口腔解剖学教室の教官は、口腔解剖学第一講座が山下靖雄教授、柴田俊一講師(現 北海道医療大学教授)、鹿野俊一助手、鳥居秀平助手、口腔解剖学第二講座は高野吉郎教授、寺島達夫助教授、坂本裕次郎助手(現 歯学部口腔保健学科講師)、馬場麻人助手の陣容となった。
 その後、大学院重点化に伴い口腔解剖学第一講座は平成11年に、口腔解剖学第二講座は平成12年にそれぞれ顎顔面機構制御学講座 顎顔面解剖学分野、硬組織再生学講座 硬組織細胞生物学分野に改組した。
 顎顔面解剖学分野では平成1810月に柴田俊一助教授が北海道医療大学歯学部に転出され、その後任として硬組織細胞生物学分野から同12月に寺島達夫助教授が着任した。
 平成14年3月、顎顔面解剖学分野では鳥居秀平助手が退職し、後任として同年6月今井元(現 昭和大学医学部講師)が着任した。
 平成16年3月、今井元助手が退職し、後任として阿部達彦が着任した。
 平成17年には解剖実習室が旧3号館(平成22年度解体)より、医歯学総合研究棟(三号館、I期棟)へ 移転した。
 平成19年、通達により助教授は准教授へ、助手は助教へ呼称を変更させられ、以降この表記に従う。

 平成21年にはMDタワー(U期棟)6階へ研究室の移転が行われた。
 平成223月、山下靖雄教授が定年退職した。
 平成23年10月、柴田俊一教授が北海道医療大学歯学部学より着任し、顎顔面解剖学分野の陣容は寺島達夫准教授、鹿野俊一助教、阿部達彦助教となっている。



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