就任時(2003.6.1)のご挨拶 から 近況報告まで。

科学研究に思うこと(2009.11)

最近、科学雑誌PLoS ONEのeditorをしていて、いろいろと感じることがあります。一つは、研究領域によって尺度がいろいろと異なるということです。私の扱う論文は神経科学の幅広い領域に渡っています。神経解剖、神経発生、神経生理、神経疾患病態、神経心理と様々な論文を、いわゆるその道の優れた研究者と思われる方々にレビューをお願いするわけです(レビュワーの方々、どうも有り難うございます)。もちろん大半は外国人の方ですが、非常にestablishedされた研究者でもポンと引き受けてくれたり、一方、そこそこの方でも忙しいとお断りになられたりします。印象としては日本人の方が断られる確率が少し高く、随分世の中も変わったものだと思います。(私も他所の雑誌を断っていますから文句は言えませんが。)論文の質も研究領域によって様々です。分子生物学というのは、ある種の基準があり、多少エリアが異なっても研究の厳密さというものは判断できます。しかし、神経科学でも、生理や心理になるとやはり異なる研究言語であり、証明がどこまで厳密か?ということはその道の専門家に頼らざるを得ません。しかし、あっさりと高い評価をされる方と、非常に厳密なことを言われる方と、それ以外にもいろいろなレビューワーがおられるわけです。PLoS ONEについては主張の確かさが最も重要なファクターの一つですから、ここはなかなか悩ましいところです。査読者御自身の研究との関わりは、投稿論文との距離感が個人によって異なるのでなかなか難しい訳ですが、そういう影響もあるのだろうか?と感じることもたまにあります。できるだけ、予断のない真摯な御評価を頂けると私たちとしては嬉しい訳です。もちろん最終的にはeditorの判断になるのですが。ただ、そのような苦労の後に発表された論文をみると、非常に質が高く新しい視点を提示する論文ばかりで満足に思っています。いわゆるJBCレベルは超えたか?という気もします。もちろん、領域によって差があることは無論です。

一方で他の雑誌で査読を受ける場合、査読者のコメントになるほどと思える事がeditorとして感じるのより少ないのは私だけでしょうか。それと所謂一流誌のeditorが査読者に対して弱腰なのは残念です。職業的editorが増えて来たからでしょうか?このあいだ会った著名誌のeditorはimpact factor 50を目指すと言っていましたが、そうすると皆が知っている著名研究者の論文を優先したくなることもあるでしょう。あるいは、その領域に影響を与えるであろう査読者を選んで評価の高いものを優先することにもなるでしょう。引用が増える可能性が高いでしょうから。確かに、この方法は大筋を踏み外さない比較的安全な運営方法です。しかし、このようなスタンスが新しい進歩を遅らせる可能性もあります。それは、ちょうど超一流プレーヤーを揃えたサッカーチームが意外に優勝できないのに似ています。科学研究を健全かつ最速で進めるというのは、結局なかなか難しいというのが結論でしょうか。それぞれの研究者が精一杯取り組んでベストなサイエンスを領域に提供し、それを建設的に批判しあう。その中で新しい道を見つけるということでしょうか。

そこで、若い人に言いたいのですが、研究者の自律的かつ真摯な姿勢は極めて大事です。一生懸命(一所懸命ではなく)取り組んだ仕事は、時間をかけて評価されることもあります。怠けている、あるいは研究という仕事に興味のない研究者(これは成果という外形では判断しにくく、身近なものにしか分からない)は論外だと思います。

教授  岡澤 均

2009年11月

神経疾患研究に思うこと(2008.11)

他大学や研究機関の研究室のホームページをサーチしていると、しばらく更新されていないものを散見します。所謂 Principal Investigatorになって張り切ってホームページを作る訳ですが、段々状況に慣れて、あるいは疲れて?、ホームページが放置されるものだと言うことが、自らの経験で分かるようになってきました。今回は、なんとか年内にupdateしたいと言う気持ちのみで作成しています。お金が余っていて毎年自動的に作成されると良いのですが、残念ながら我が研究室はまだそうなっていないということです。

神経科学研究には逆風が吹いているなどという偉い先生も何人もいらして、世の中は単純に神経科学あるいは臨床神経科学に打ち込むことを許してくれないようです。これは神経領域に限らずあらゆる分野に共通する現象なのでしょう。再生、ナノ、インフォマティックス、トランスレーショナルなどのキーワードに当てはまると研究費が獲得し易いということがあるようです。しかし、多くの研究者は研究費を取るために方向を変えながら研究をしている訳ではなく、それぞれの研究者が重要と思う、あるいは興味を持つ研究をしていて、そのために研究費が必要な訳です。

今年は、日本からノーベル賞受賞者が沢山生まれたという喜ばしい出来事があり、何となく科学の端くれにいるものとしても浮き浮きする気分も味わいましたが、益川先生のおっしゃるように、今の科学の状況が将来評価される研究につながるか(もちろん個別の努力でそれなりの成果はでるのでしょうが)どうかは、確かではないのでしょう。すぐに予想されること(簡単に見込みが立つこと)を研究した場合に、どれほど大きな発見が含まれるのかはいささか疑問です。今はiPSで有名ですが、われわれがOct-4(Oct-3/4)を発見した時も、その後10年近く、ほとんど注目されなかったことも思い出します。

なんだか愚痴になりましたが、私たちの研究自体は神経変性研究も発達障害研究も非常に面白くなってきている感触があります。なかなか論文が通らない訳ですが、今後、十分水準を超える良い仕事が出来ると思っています。少しづつ良い人たちが研究室に集まってきました。来年には祝杯があげられますように。

教授  岡澤 均

2008年11月

神経変性研究に思うこと(2007, 7)

ホームページ更新の季節になりましたが、あまりの忙しさにまぎれて2ヶ月も遅れてしまいました。この間にも、神経変性疾患研究は急速に進歩しており、病態研究から治療研究にフェーズが移りつつあります。私たちが2003年から科学技術振興機構より援助を受けて行なってきた『ポリグルタミン病分子病態のオミックス解析』の結果も、この流れの中に危うく飲み込まれそうになりました。しかし、最後の一息で、なんとか新規病態を世の中に示すことができたと思っています。

トランスクリプトーム、プロテオームの結果を見て感ずるのは、やはり変性疾患では極めて多様な現象が引き起こされているということです。基礎生物学ではシンプルな分子経路がエレガントな現象の基礎を成しています。しかし、本来存在すべきではない変性タンパクが存在する場合には、進化による分子選択と言う磨きはかかるはずもなく、とんでもないような現象が雑多に引き起こされるというのが、本当のようです。軽重の差はあるにしろ、様々な分子病態が関与していることは間違いのないことです。

ポリグルタミン病では、転写障害、軸索輸送障害、ミトコンドリアストレス、小胞体ストレス、シナプス伝達障害などの様々な分子病態の存在がこれまでに知られています。これに対して、わたしたちが Nature Cell Biologyに今回報告した結果はリンク、DNA損傷修復異常という新たな病態があるらしいということです。わたしたちの示した結果はほんの入り口でこれから検討を重ねていく必要がありますが、以下の事実を考え合わせると、わたしたちの結果は大変興味深いものがあります。すなわち、様々な早老症候群が知られていますが、色素性乾皮症、Werner症候、Cockayne症候群などの早老症候群は、いずれもDNA修復タンパクの遺伝子異常が原因です。また、Ataxia-Telangiectasia、AOA1/EAOH, AOA2といった比較的まれな劣性遺伝変性疾患についても、DNA修復タンパクの遺伝子異常が原因ということが知られています。

これらの老化疾患・変性疾患では、2つある遺伝子が共に遺伝子異常を持った場合にDNA修復タンパクが不足して病気になる訳です。私たちの結果は、複数のポリグルタミン病も同様な病態を持つ可能性があると言うことを示しています。つまり、類似の分子病態が、遺伝形式、疾患グループなどの枠組みを超えた多くの疾患において『変性』を起こしているのかもしれません。言い換えれば、変性の基本原理としてDNA修復異常があるのかもしれません。しかも重要なことは、ポリグルタミン病においては、遺伝的にDNA修復タンパクに元々異常があるのではなく、ポリグルタミン異常タンパクによる二次的(あるいは後天的)にDNA修復タンパク異常を起こしている、ということなのです。

これは前記の疾患群が比較的若年から発症し、ポリグルタミン病は高齢発症である(緩徐進行性)ということにも関連するかもしれません。つまり、プロテオソーム系あるいはオートファジー系が若いころには一生懸命働いて異常タンパクを分解するが、歳をとって異常タンパクが溜まってくると、いよいよ加速老化を起こすということではないでしょうか。”ポリグルタミン蛋白とDNA修復蛋白の2段階仮説”と言えるかもしれません。

さらに、転写とDNA修復が極めて密接に関係していることも明らかになっています。私たちは昨年、転写障害が細胞死の原因になるということを報告しましたが(リンク)、転写障害によって神経細胞機能障害を示す段階から、ゆっくりした細胞死までの一連の過程が、1)ポリグルタミンーDNA修復障害(=転写を含む神経細胞機能障害)、2)転写障害が起こす緩慢な細胞死、の2つの発見を通じて見えてきているような気がします。

少し妄想のようなことを書きましたが、神経変性の全体像が少しずつ見えてきていることは確かなようです。次は、どうやって治療するのか?! 私たちを含めて、多くの研究者がアイデアを持っており、必ず実現することでしょう!!

教授  岡澤 均

2007年7月

 

神経病理学分野の現況(2006, 5)

2006年度に入り、研究室は新しい段階に入りつつあります。3月には2名の修士過程学生、1名の博士課程学生が無事に卒業し、学位を取得しました。その一方で、4名の新しい学生(修士2名、博士2名)が入学しました。修士課程2年の堀内君は就職も内定し、研究に打ち込んでいます。助手の田川一彦さんは、新しい道をベンチャー企業に見つけて巣立ちました。そして、群馬大学より、ショウジョウバエの専門家である田村拓也さんが後任の助手として加わりました。メンバーが盛んに入れ替わる一方で、研究は佳境に入りつつあります。PQBP1 は思いもかけず面白い分子らしく、ブレインサイズ(脳の大きさ)の決定といったサイエンスの上でも興味深いテーマに関わりつつあります。もちろん、神経変性とも新たな観点から関わりが見えてきました。

修士卒業生の一人は2年の間に立派な論文を出しましたが、自ら起業する道を選びました。人それぞれに目指す道は様々ですが、短い間でも神経病理学分野での研究生活から何かを学んで、一回り大きくなって巣立ってほしいと思う今日この頃です。

教授  岡澤 均

2006年5月

神経病理学分野の現況(2005, 11)

当分野では神経変性疾患の分子病態解明と新たな治療戦略開発を目標に研究に邁進しています。赴任以来2年間に、戦略的創造究推進事業(タイムシグナルと制御)研究代表者として、またCOE事業担当者として、分野のスタッフ(2003年に田川一彦助手が着任、2005年に榎戸靖助教授が着任)および大学院生とともに、変性神経細胞におきるトランスクリプトーム、プロテオーム変化の網羅的解析を行い、新規病態関連分子を複数発見しました。神経変性の細胞死分子機構についても、同様の網羅的アプローチから新しい細胞死の概念を提唱しようと試みています。また、私たちの発見した新規分子PQBP-1(Waragai et al., Hum. Mol. Genet. 1999; Okazawa et al., Neuron 2002)は、小頭症を伴う精神遅滞の原因遺伝子であることが明らかになり(Kalsheuer et al., Nature Genet. 2003)、脳のサイズを制御する分子の一つであることが明らかになりつつあります。Conditional knock-out miceの作成などを通じて、現在この分子の発生段階における機能を解析中です。これらの研究成果については、その一部をJournal of Biological Chemistry, Human Molecular Geneticsなどの国際誌に8報の論文として公表し、さらに成果の中核部分の論文を作成中です。また、研究成果から特許3件(JST2件、知財本部1件)を申請しました。教育面では2年間に修士学生3名、専攻生1名を受け入れ研究成果が得られつつあります。今後、先端的研究成果を活かした診療  への貢献も出来うると考えています。対外的には国際シンポジウム2件を本年度主催しました。              

わたしたちの研究室は規模の小さいものですが、幸い複数の興味深い(基礎的にも臨床的にも重要な)プロジェクトが進行しつつあります。意欲溢れる若者の参加を期待しています。

                                                  教授  岡澤 均

2005年11月

ご挨拶 (2003.6)

  

 神経病理学分野は、平成15年6月より桶田理喜前教授からわたくし岡澤均(前東京都神経科学総合研究所分子治療研究部門長)に教室主任が引き継がました。これを機に、これまで当分野で行われてきた真摯な形態学的研鑽を踏まえつつ、分子生物学を中心に置いた研究への変革を行うことになりました。対象とする神経疾患についても、脳血管障害に加え、アルツハイマー病、脊髄小脳変性症、ハンチントン病などの、いわゆる神経変性疾患に重点をおくことになります。いずれの変性疾患も高齢化の進行する日本社会において増々発症頻度の高くなるものであり、これらの難病の病態機序の解明と治療法の開発は社会的に極めて重要なテーマと認識しています。

 かつて神経変性疾患は神経難病という名のごとく治療不可能な病気と考えられ、医学部においてさえそのようなニュアンスを持って教育されました。しかし多くの研究者/臨床家の努力によって今日ではその原因遺伝子と発症メカニズムの大筋が解明されるに至りました。また、同様に不可能と思われていた中枢神経系の再生も、今日では多くの実験事実から再生が可能であると考えられています。これらの先端研究の進歩は、神経変性疾患も近い将来必ず治療できるものだとの確信を私たちにもたらしました。

 一方で、神経栄養因子のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者さんへの最近の臨床治験で経験したように、マウスなどの動物モデルで極めて有効な結果を得ていたのに、患者さんでははっきりした効果が得られないという、基礎データと臨床事実の解離も生じてきています。このことは、神経変性疾患が真に治療可能なものとなるためには、まだ多くのなぞが解明されなくてはならないことを如実に示しています。

 わたくしたち神経病理学分野は神経疾患において基礎と臨床の間をつなぐ立場として、神経難病の分子機構を分子レベルで研究し、あくまでこれらの難治疾患の治療開発を目標に置いて、邁進していく所存です。これまで当分野に賜った御厚意と同様に、新しく展開する神経病理学分野への内外の皆様の暖かい御支援を切にお願い申し上げます。

教授  岡澤 均

2003年6月

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