当研究室では、肝臓を中心とする器官の発生と再生の分子機構を、発 生工学、遺伝学、細胞生物学、分子生物学、生化学などの幅広い手法を用いて解明し、肝不全や肝癌などの難治性疾患に対する再生医療の開発を目指した基盤研 究を展開することを理念としている。また、広範な細胞機能の発現に介在する細胞内シグナル伝達の観点から研究を行なうことにより、高次生命現象である器官 の発生や再生の一般性と特殊性を明らかにするとともに、創薬の可能性を追求する。
外部環境の変動に応答する仕組みを、生物は進化の過程を通じて生存 に必須の機構として獲得してきた。紫外線によるDNA損傷に対処する修復機構, ウイルスや細菌感染から個体を防御する免疫系, 心理的あるいは生理的刺激に対するホルモンによる個体の恒常性を維持する内分泌系などがあげられる。これらストレス応答機構がどのような細胞内シグナル伝 達を介して機能するかは不明の点が多い。我々は様々なストレスに応答し活性化するSAPK/JNK系がこの機能発現の一端を担うと考え、その活性化機構や 生理的役割に関する研究を行なっている。我々は、2種類の活性化因子SEK1とMKK7が協調的に働き、SAPK/JNKを相乗的に活性化する分子機構を 明らかにした。また、SAPK/JNKの活性化は刺激の程度に応じたON/OFF型の細胞内分子スイッチとして機能する可能性を見い出した(図1)。
SAPK/JNK系の生理的役割を明らかにする目的で、SEK1と MKK7を欠損するキメラマウスやノックアウトマウスをそれぞれ作出し、本シグナル系が免疫応答や発生の制御に必須の役割を果たしていることを見出した (Nature 385, 350, 1997, J. Exp. Med. 186, 941, 1997, Development 126, 505, 1999, J. Exp. Med. 194, 757, 2001, Dev. Biol. 250, 332, 2002)。本年度は、SEK1, MKK7→SAPK/JNKのシグナル系が、転写因子c-Junを標的にして細胞周期制御因子CDC2の遺伝子発現を誘導し、マウス肝臓の幹細胞である肝 芽細胞の増殖を制御していることを明らかにした(図2と5)。また、本研究を遂行する過程で"胎児肝特異的な単クローン抗体"を約20種類作製したが、こ のうち抗Liv2抗体と名付けた抗体は肝芽細胞を特異的に認識し、マウス胎児肝の解析に有効であることから市販もされ(株式会社 医学生物学研究所)、今後の肝再生研究の発展に大きく寄与することが期待されている。
肝臓はその再生能の高さから、生体肝移植に代表される先端医療の標 的器官としての実績があり、有効性に加えて安全性や倫理的な問題点を抱える再生医療の面からも優れた標的器官であると考えられている。しかしながら、発生 研究の面では造血系や神経系に比べてはるかに遅れをとっている。メダカは肝形成過程の観察が行いやすいという発生学的な利点と系統的な変異体のスクリーニ ングが行えるという遺伝学的な利点を併せ持つ脊椎動物であり、ヒト疾患モデル生物として注目されている。当研究室では肝形成や肝機能に関わる遺伝子の解明 を目指してERATO近藤分化誘導プロジェクト(近藤 寿人教授/清木 誠チームリーダー)に参画し、メダカを用いた大規模スクリーニングを進めてきた。2004年度は、既に単離済みの変異メダカ(内胚葉形成に影響のある遺伝 子変異4種類、肝形成不全7種類、肝機能不全6種類)を発生の国際誌Mechanisms of Developmentのメダカ特集号に報告した。この中にはヒト無脾症や脂肪肝の表現型を呈する変異メダカも存在し、疾患モデルとして、また薬剤のスク リーニングの対象としての活用が期待されている(図3)。
ES細胞は自己複製能と多分化能を有することから、将来の再生医療 の有力な細胞源として注目されている。我々は、ノックアウトマウスを用いた解析では困難な初期胚の運命決定に関与するシグナル伝達系の研究をES細胞を用 いて行なっている。 これまでにin vitroでES細胞から破骨細胞へ分化誘導する実験系を確立し、破骨細胞分化に関与するシグナル系を明らかにしている(Dev. Cell 3, 889, 2002)。最近は、ES細胞から中胚葉系の心筋細胞分化と外胚葉系の神経分化の運命決定にストレス応答性のp38MAPキナーゼが関与することを見い出 している(図4)。
SAPK/JNKシグナル伝達系のストレス応答性アポトーシス誘導 能は、細胞の状態によって異なること, 細胞分化の過程で獲得される可能性を示した。また、本シグナル伝達系は遺伝子発現制御や老化抑制の細胞機能に関与することを明らかにした。さらに本シグナ ル系が発生期の肝幹細胞の増殖に必須の役割を果たしていることを示し、"肝幹細胞の生死の制御は、増殖シグナルであるSAPK/JNK系と生存シグナルで あるNF B系, 細胞死誘導シグナルであるカスパーゼ系の3者のバランスによって制御される"という概念を提示した(図5)。