不整脈のゲノム研究とオーダーメイド医療
不整脈・突然死の遺伝子治療・核酸治療の基礎研究
iPS細胞由来心筋細胞を用いた不整脈研究
心血管系疾患の性差医療(GSM)の基礎研究
最先端テクノロジー(MVP法・スパコン)を用いた循環器研究



基礎研究の知見を臨床に還元することを目指す研究を 「トレンスレーショナル研究」をいいます。
当研究室では、突然死・不整脈を中心に心血管疾患のトランスレーショナル研究を展開することにより、 国民健康に貢献することを目的としています。

具体的な研究プロジェクトは下記のとおりです。

■不整脈のゲノム研究とオーダーメイド医療■(図1)

ヒトのゲノムは約30億塩基対からなり、この中の配列の変化が今までに約3000万個(全配列の約1%)同定されています。 1人1人はこの1/10の約300万個(全配列の約0.1%)の多型を持ちます。これらが様々な疾患の罹患しやすさ・薬物に対する応答性の個人差などを作り出します。 ちなみに、一般人での頻度が0.5%以下の配列の変化を変異mutation、 0.5%以上の変化を多型variant(あるいはpolymorphism)と呼んで区別する傾向があります。
今までの不整脈の遺伝子研究は、メンデル遺伝様式に従う稀な家族性不整脈疾患を対象としてきました。 これらの大部分は遺伝子をコードする領域(全ゲノムの約1.5%を占める)の単一遺伝子の変異を原因とし、遺伝子変異を持つと高い確率(浸透率)で発症します。 一方、コモン疾患(不整脈では心房細動、その他の心疾患では高血圧や心筋梗塞など)は遺伝子をコードしない領域(全ゲノムの約98.5%)の複数の多型が関係し、 1つ1つの多型を持っていても疾患にかかる確率は1.5倍程度高くなる程度です。 このような1つ1つの影響はそれほど大きくない疾患関連多型のもっている数により疾患の罹りやすさが変わってきて、 多くのもっている場合は○○疾患家系ということになります。 今までは、このような多くの多型を調べることは技術的にできませんでした。ところが、テクノロジーの進歩によりゲノム全体で多型を調べることが可能となり、 これを全ゲノム相関解析(genome-wide association study [GWAS])と呼びます。 GWASの普及により、オーダーメイド医療の実現が夢物語ではなくなってきています。

◆GWASによる心房細動関連common variantsの探索◆

本研究室では、心房細動と呼ばれる不整脈のオーダーメイド医療を目指した取り組みを行っています。 心房細動は最も頻度の高い不整脈であり(患者数約100万人)、 高齢者では脳梗塞合併による寝たきり老人・高率に発症する認知症等のために、健康寿命の短縮をもたらします。 壮年期では、無症候性患者(推定約100万人)における脳梗塞による就労年数短縮が社会的問題となっています。 新抗凝固薬(NOAC)の普及により脳梗塞を未然に防ぐことが可能なステージを迎えており、無症候性患者の抽出、 すなわち心房細動のオーダーメイド医療が国民健康に大きく貢献することが期待されます。
心房細動発症には遺伝的リスクの存在が示唆されることから、 欧米では全ゲノムアプローチ(genome-wide association study[GWAS])により 心房細動の遺伝子的リスク(SNPs)の同定が報告されていましたが(ref. #1-#3)、我が国では報告がありません。 私たちは、理化学研究所ゲノム解析チーム(田中敏博博士[現本学疾患バイオリソースセンター教授])との共同研究で、 我が国唯一の心房細動関連遺伝子のGWAS研究を開始し、 第1期GWASで6つの心房細動感受性SNPを同定しました(その成果を国際メタ解析の一部として2012年Nat. Genet.(ref. #4)に報告しました [図1])。 また、第1期で有意水準に達しなかったSNPを対象とする閾値下解析(第2期GWAS)でさらに2つ、計8個の心房細動感受性SNPを同定しています。
これら8つの遺伝的リスクをもとに作成した遺伝的リスクスコアでは、心房細動発症予測の感度は55%、特異度は72%であり、 心房細動発症予測の一定の向上を達成することができました。 反面、オーダーメイド医療(先制医療)を展開するには十分ではなく、更なる予測精度の向上が必要なことも判明しました。

◆ポストGWAS研究◆

そこで、さらに予測精度を上げる工夫として私たちは下記の3つのポストGWAS研究の取り組みを展開しています。

(1) GWASは、コモン疾患はコモン多型(頻度が5%以上の多型をコモン多型と呼びます)によると考える common disease common variant(CDCV)仮説にしたがっています。ただこれでは疾患発症予測が十分でなかったため、 一部のコモン疾患がレア多型(頻度が0.5〜5%の多型)による考える common disease rare variant(CDRV)仮説が提唱されています。 そこで、心房細動とレア多型との関連を高密度GWAS(第3期GWAS)により検討しています;

(2) コモン疾患は遺伝リスクと環境リスクの組み合わせにより起こると考えられており、それぞれの割合は疾患ごとに違っています。 心房細動では、遺伝リスク約30%、環境リスク約70%と考えられています。この両者には相互作用があり、 例えばある遺伝的リスクは高血圧を持つ人ではリスクをさらに上げるが、喫煙者ではほとんどリスクとならない、などが考えられます。 そこで、遺伝リスクと環境リスクの相互作用gene-environmental interactionをエピゲノムの観点から検討しています;

(3) マイクロRNAと呼ばれる約22塩基からなる小さなRNAがあることが分かり、 疾患発症などへの関与が注目されています。2008年には、血中にマイクロRNAが存在することが分かり (循環マイクロRNAと呼ぶ)、これが疾患発症・重症化の新たなバイオマーカーとなるのではと期待されています。 そこで、心房細動の発症・重症化と関連する循環マイクロRNAの解析を行っています:

以上の多角的なアプローチから、包括的な心房細動発症・重症化予測のアルゴリズムを構築することを目指しています。 これができれば、自治体が行う検診や民間が行う人間ドックに反映させることで、 国民の健康寿命の延長、(平均寿命−健康寿命)の短縮をもたらすことができるのではないかと考えています。

◆疾患モデル動物を用いた研究◆

コモン疾患は、根本的原因に修飾因子が加わって発症します。今までの疾患研究は、 患者からの血液サンプルや根本的原因を人工的に作ったモデル動物の解析を中心に行われてきました。 したがって、根本的原因ではなく修飾因子の解析が中心となり、疾患の特に重症化につながる因子が同定されます。 一方、GWASは網羅的解析であり、根本的原因も含めた今までに同定されていなかった疾患パスウェイが同定され、 新たな創薬につながることが期待されます。そこで、 今後はGWASで同定された新たな遺伝子で、in vitro実験で疾患との関連が示唆された遺伝子を改変した疾患モデルマウスを用いた研究を中心に展開していきます。


Ref. #1. Nature 2007;448:353-357, Variants coferring risk of atrial fibrillation on chromosome
4q25. Gudbjartsson DF, et al.
#2. Nat. Genet. 2009;41:879-881, Variants in ZFHX3 are associated with atrial fibrillation in individuals of European ancestry. Benjamin EJ, et al.
#3. J. Am. Coll. Cardiol. 2010;55:747-753, Chromosome 4q25 variants and atrial fibrillation recurrence after catheter ablation. Husser D, et al.
#4. Nat. Genet. 2012;44:670-675, Meta-analysis adentifies six new susceptibility loci for atrial fibrillation. Ellinor PT, Furukawa T, Tanaka T, et al.





■不整脈・突然死の遺伝子治療・核酸治療の基礎研究■

遺伝子治療は、1990年米国で”First kids with new gene”というキャッチフレーズで アデノシンデアミナーゼ欠損症に対して行われ一躍脚光を浴びました。 日本でも1995年北海道大学で同じ疾患に対して行われましたが、 その後はiPS細胞などの再生医療に押され気味であまり話題となっていません。 ところがここにきて、欧米では遺伝子治療が再注目の兆しを見せています。 米国NIHがTarget 10として標的とする10疾患を発表し、グラクソ・スミスクライン社やバクスター社などのメガファーマがこぞって遺伝子治療に参入し、 2012年には欧州で世界初の遺伝子治療薬も承認されました。 The Journal of Gene Medicine誌のホームページに 遺伝子治療の臨床研究プロトコールが登録されています。全部で3397件が登録されていますが、 その中で日本からの登録はわずか26件(1%以下)だけです。 厚生労働省で昨年「第1回遺伝子治療臨床研究に関する指針の見直しに関する専門委員会」が行われ、 そのパワーポイントがインターネットにアップされています。 これを見ても日本での遺伝子治療の遅れが問題となっていることが分かります。

それではなぜ世界で遺伝子治療が再注目されてきいているのでしょう。 その要因の1つは、遺伝子導入効率が飛躍的に改善されたことにあります。 ウイルスベクターを用いた遺伝子導入法には、

・レトロウイルスベクター
・アデノウイルスベクター
・アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクター
・レンチウイルスベクター

などがあります。AAVウイルスは比較的最近開発されたもので、AAV1〜AAV12の12種類があります。 それぞれが比較的特異的な臓器親和性を持っており、AAV9は心筋細胞に特異的で高い親和性を示します。 これにより、心臓での遺伝子治療が普及することが期待されます。 実際、上記のHPで登録されている遺伝子治療臨床研究プロトコールのうち、心血管疾患に関するプロトコールは8.3%を占め、 癌・単一遺伝子疾患に次いで第3位です。 そこで、今まで私たちが研究を行ってきた家族性不整脈疾患に対する遺伝子治療の可能性を動物モデルで検討しています。





■iPS細胞由来心筋細胞を用いた不整脈研究■(図2)

2006年マウス、2007年ヒトで山中先生がiPS細胞を発見しましたが、 これを踏まえて2008年内閣府からiPS細胞医療応用のロードマップが発表されました。 これは3つの柱、@創薬応用、A疾患iPS細胞、B細胞移植治療、からなります。 世間的には細胞移植治療に注目が集まっていますが、今まではモルモットなどを用いて行われていた創薬研究がヒトの細胞を用いてできるようになる創薬応用、 病気が起こるメカニズムが分からず治療薬がなかった疾患のiPS細胞の利用にも大きな期待が寄せられています。 私たちは、創薬応用と疾患iPS細胞の研究を展開しています。

◆先天性心疾患患者由来iPS細胞を用いた疾患モデル心筋細胞の樹立と応用◆

私たちは、慶應義塾大学医学部循環器内科学(福田恵一教授)との共同研究で、家族性不整脈患者の皮膚生検由来の iPS細胞から分化誘導した心筋細胞を用いて、病態発現機構の研究を行っています。 すでに複数家系iPS由来心筋細胞が樹立され、解析段階に進んでいます(図2)

◆ヒトiPS由来心筋細胞の創薬応用◆

今まで、薬物の効果や安全性は他種の動物を用いて行われてきました。ヒト心筋細胞を用いることが可能となり、薬物の効果・毒性の 評価システムが飛躍的に改善されることが期待されています。そこで私たちもヒトiPS由来心筋細胞の薬物の効果・副作用スクリーニング系構築を目指した研究を行っています。
ところが、予備実験からはヒト細胞を用いることによる改善はごくわずかである感触を得ています。 その原因として、@ヒトiPS由来心筋細胞には、心室筋細胞・心房筋細胞・結節細胞・His-Purkinje細胞などが混在していること、 A比較的幼弱な段階の心筋細胞であること、の2つが大きな問題となっています。 そこで、これら2点を改善するための工夫に取りかかっています。
(本学生体材料工学研究所安田賢二教授、国立医薬品食品衛生研究所薬理部楝田泰成博士との共同研究)





■心血管系疾患の性差医療(GSM)の基礎研究■(図3)

疾患の発症リスクや薬物の効果・副作用には男女差があり、これを念頭に置いた性差医療(gender-specific medicine) の重要性が注目されています。
心血管系疾患も性差が著名です。Y染色体上にある遺伝子Sryが♂に精巣を作り、これによる性ホルモンの違いが男女差の主な原因であると考えられ、 性ホルモン作用が関与するメカニズムの検討が精力的に行われてきました。私たちも、性ホルモン 非ゲノム経路による不整脈リスクの性差を明らかにしてきました(図3)(Ref. #5-10)。

性ホルモン以外に性差をもたらすメカニズムとして、性染色体(♂XY vs ♀XX)があります。約80遺伝子が存在するY染色体は男性にしかありません。 また、女性では片方のX染色体は不活性化されますが、約1100遺伝子の10%(約100の遺伝子)は不活性化されないので女性でコピー数が2倍あることになります。 Y染色体上のSry遺伝子が常染色体に転座した自然発症マウスから、この違いにアプローチ可能な4系統のマウス、

XX♀;XX♂;XY♀;XY♂

。 私達は、これらのマウスを用いて心血管系の生理、病理の性差、特に冠動脈の性差の検討を行っています
(東京大学医学部栗原裕基教授、西山功一博士との共同研究)


Ref. #5. Circulation 2005;112:1701-1710, Nontranscriptional regulation of cardiac repolarization
current by testosterone. Bai C-X, Kurokawa J, Furukawa T, et al.
#6. Circulation 2007;116:2913-2922, Progesterone regulates cardiac repolarization through a nongenomic pathway: A in vitro patch clamp and computational modeling atudy. Nakamura H, Kurokawa J, Furukawa T, et al.
#7. Pharmacol. Therapeut. 2007;115:106-115, Regulation of cardiac ion channels via non-genomic action of sex steroid hormones: Implication for gender-difference in cardiac arrhythmias. Furukawa T, Kurokawa J.
#8. J. Physiol. 2008;586:2961-2973, Acute effects of estrogen on the guinea pig and human IKr channels and drug-induced prolongation of cardiac repolarization. Kurokawa J, Furukawa T, et al.
#9. Pharmacol. Therapeut. 2007;115:106-115, Regulation of cardiac ion channels via non-genomic action of sex steroid hormones: Implication for gender-difference in cardiac arrhythmias. Furukawa T, Kurokawa J.
#10. PLoS Comput. Biol. 2010;398:e1000658, Acute effects of sex steroid hormones on susceptibility to cardiac arrhythmias: a simulation study. Yang PC, Kurokawa J, Furukawa T, Clancy CE.



■最先端テクノロジーを用いた循環器研究■(図4)

◆Motion vector prediction (MVP)法を用いた心不全薬スクリーニングシステムの構築◆

ソニー株式会社はテレビ技術を応用することにより、心筋細胞の収縮と拡張をリアルタイムでモニターするシステムMotion vector pewdiction (MVP)法を 開発しました。心不全には、収縮不全と拡張不全がありますが、同方法は心筋細胞の収縮機能と拡張機能を分けてモニターできる画期的システムです。私達はこれを用いて、 収縮機能、拡張機能を改善する心不全薬のスクリーニング系、および心毒性をスクリーニングするシステムを開発しています(図4)
(ソニー株式会社先端マテリアル研究所安田章夫博士、松居恵理子博士、早川智広博士との共同研究)

◆スーパーコンピューターを利用した薬物の効果・安全性評価システムの構築◆

薬物の効果・安全性の評価システムとしてヒトiPS由来心筋細胞とともに大きな期待を寄せられているのがコンピューターシミュレーション モデルです。私達は、東京大学新領域創成科学研究科久田敏明教授のスーパーコンピューター応用プロジェクトに協力する形で、3Dシュミレーターを用いた 薬物の効果・安全性評価システムの構築を試みています。



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