kawanina
☆カワニナ日記
 この作品は、現実をもとに創作されたフィクションであります。

第1章

 2002年7月13日、私たちは赤倉にある大学の寮へおもむき、研究のために サワガニやヘビを採取する計画だった。普段の行いの良い我々は、台風をも吹き飛ばし、天候にも恵まれ、大量のサワガニを捕獲することに成功した。が、ヘビについては、あえて触れないことにしよう。
 サワガニには、肺吸虫という寄生虫が住みつくといわれている。
2002年7月15日、私たちはカニの甲羅をはずし、せっせと肺吸虫のメタセルカリアを探した。しかし、お宝は簡単には見つからない。結構くたびれたころに、ふと、バケツに目をやると、何やら平凡な姿の貝殻がつまらなそうにころっと転がっていた。私は先生に尋ねた。
「これは、何の貝ですカイ?」
「えぇ、カワニナですよ。」
か。わ。に。な。!!
 そういえば寄生虫の授業で耳にしたことがあると思い、早速調べてみるとそれはサワガニと同様、肺吸虫の中間宿主であった。そうとわかれば、我々のなすべきことはただ一つ。早速、メタセルカリアを求めてカワニナと名乗るその貝を襲った。・・・。

 しかし、そのときに得られた光景は、我々の期待、想像したものとは全く異なっていたので、あった。メタセルカリアというものは、透明で球型をした魚の卵の小さいものと表現すればよいだろうか。顕微鏡でのぞくとキラッと輝くので我々の間では、これを「お宝」と呼ぶのである。
 カワニナの体内に見られたものは、「お宝」ではなく、「子宝」であったのだ。
大きさはそれほど変わらないが、「子宝(つまりカワニナの卵)」は「お宝」より少し大きく、いくつも連なってお行儀良くこちらを見上げていたので、初めて見た我々にもすぐに検討がついた。死にゆくカワニナの母体に宿る小さい生命力・・・。
「この子達をせめて助けたい。」
誰もの胸に、この思いが湧き起こった。ならば、なぜ、この子達の母の命を奪ったのか。そのような思いを抱いた者が何人いたのかは、未だに謎に包まれている。
 カワニナという貝について何の知識もない我々が、どうやってこれらの卵を育て得るのか。このことが国会の議題になるほど大きな問題になった。
 とりあえず、カワニナの採取された赤倉の川になるべく近い環境が望ましいのではないかという結論に達した。「故郷の香り」・・・次の瞬間、我々はもう夕日に向かって明日の方向へ走り出していた。行く先は、大学生協売店である。
 六甲のおいしい水
 宮城のまつばら源泉の水
 DAKARA
・・・
 必死で買い集めた水はこれら3本のペットボトルだけであった。DAKARAを買ったのは不思議であるかもしれないが、ただの水よりも、栄養分の含まれた水分の方が良いのではないかという心からである。研究室へ戻って、我々は早速シャーレにこれらの水達を配分し、一応比較のために「メタセルカリア保存液」という妙な液体も用意した。
 六甲のおいしい水。
 宮城のまつばら源泉の水。
 DAKARA
そして、メタセルカリア保存液。
どの水へ飛び込むのか、卵達に決定権は与えられない。我々は、連なって並んでいた卵達を引き離し、全く何の意図もなく4つのシャーレに分けた。


第二章

 故郷に近い環境の水、卵。はて、
「何かが足りない。」
と思った。子供が育つということに必要なものはこれだけであろうか。実際、日本の社会でも問題になっているが、かけがえのない子供達に必要なのは、
「母の、海のように深い愛情」
「愛情」
「愛情」
・・・この2文字が、我々の胸にこだました。
「そうだ!せめて、砕かれた母体の貝殻をいっしょに置いておこう。」

 このとき気づいたのであるが、実は、バケツの中には、もう1匹のカワニナが生きていたのである。早速調べてみると、カワニナはホタルのエサとして育てられるようであり、雌雄同体であるらしい。
「もしかしたら、このカワニナの体内にも、新しい命が宿っているかもしれない。ならば、このカワニナは大切に育てなくては。」
二度と同じ過ちは起こしたくはない!そんな、強い思いが湧き起こってきた。
4つの卵と母なるカワニナの貝殻(つまり、母の愛情)の入ったシャーレと生きたカワニナ。シャーレのフタには
「カワニナの卵、母の愛にて育成中!」
と刻まれた。
 この日から、我々のカワニナ日記が始まったのだった。


 7月16日、顕微鏡で4つのシャーレを調べたが変化が見られない。我々の不安であったことは、
「果たして、この卵達は受精卵なのか??」
という点であった。卵の殻のような部分は透き通っていて中が見えるが、肝心の中身は真っ黒で分裂の様子もよくわからなかった。一方、生きたカワニナはエサも与えられず、葉っぱとともに小さな容器に入れてあったが、たまに首を出してはのっそり、のっそりと動き、あまり落ち着いたようではなかった。やはりおなかがすいているのか?貝の生態について知る先生にうかがったところ、「カワニナは流水のもとでないと育たない。」 ということであった。どう見ても流水ではないこの環境。それがカワニナには不満なのかもしれない。しかし、「流水」という、一見とても「キーワード」と思える点には全く誰も気を留めていないようであった。勿論、私も同様であり、私は
「えさ、えさ。」
そのことで頭がいっぱいであったのだ。
4つの水は、2日に一回くらいの頻度で交換することにした。深い意味はない。

 私は早速、インターネットを使ってカワニナのエサを調べた。そこにはいくつかの情報があったが、私が記憶したのはただ一つ、「メロンの皮」だった。なぜかといえば、確か家に「メロン」が冷えていたというのを思い出したからである。これは、私が生まれ育った故郷で作られた「メロン」を、昔の知人が送ってくれたものであり、母が大切に冷蔵庫に保存してくれていた。「故郷」という温かい響き。そして「母の愛情」。カワニナのエサにぴったりだと思った。「思い立ったらすぐに行動。」が信条の私は、次の日の朝、さっそくメロンを食べ、残った皮を持っていくことにした。ちなみに、皮といっても、少しはメロンの果肉も残しておいたのだ。

 7月17日、朝、教室に着くやいなや私はカワニナのもとへ走った。容器に持参したメロンの皮(+少しの果肉)を入れると、それはそれで何か、模様替えをした後の部屋のようで新鮮であり、見る者に希望を抱かせた。
「これでようやく、カワニナも元気に育ってくれるだろう。うまくいけば、稚貝も生まれるかもしれない!」
 一安心して、この日は家へ帰った。


第三章

  7月18日、「天災は忘れたころにやってくる。」幼い頃、「『天才』は忘れたころにやってくる」と勘違いしていた人は多いだろう。その、信じられない事態がこんなにも早くやってこようとは思ってもみなかった。今、こうして日記として文字として残すのも忌まわしいほどである。が、報告せねばならない。
 単刀直入に言えば、その朝、カワニナはもはや息をしていなかったのだ。原因は。
・・・。
メロン。
メロンの皮だった!
私はその場に立ちつくした。
「愛情ってなんだ?」
「母の愛ってなんだ?」
「故郷の香りってなんなんだ?!」
やりきれない気持ちでいっぱいだった。


 「カワニナがメロンに殺された。」
そんな話は聞いたことがないが、後で冷静になってよく考えてみれば、あの容器にメロンを入れておけば腐るというのも納得できる。
 立ちつくす私の背後で、誰かが
「そりゃあ、腐るよ。」
という声が聞こえたような気がした。それが誰だったのか、そういう問題ではなかった。


7月19日、脱力した私は半分朦朧としてカワニナの卵を観察していた。「帰らぬ貝」となったカワニナには、どうしてやることもできず、放置されていた。


7月22日、卵の容態は悪化しているように思われた。なぜかと言えば、卵の色は、当初透き通ってみえたが、このときすでに茶色を帯びていたからだ。しかも、浸透圧の関係なのか、卵が破裂して中身のようなものが飛び出しているではないか!何より衝撃的だったことは、「DAKARA」を入れたシャーレに、「カビ」が発生していたのである!
 再び目の前が真っ暗になった。
「そうか、サトウ、サトウのやつめ!!」
DAKARAにはカワニナにとって豊富に糖分が入っていたのである。メロンといいDAKARAといい、我々が良かれと思ってやったことは、全て、悪い結果を導いてしまったのである。


7月26日、私はひとり、教室を出ていった。亡くなったカワニナの入った容器を持って。行き着いた場所は、神田川のほとりである。

カワニナよ 川に流れて 川になれ
            
 〜詠み人知らず〜


(作品解説)
哀れにも、命を落としてしまったカワニナさん、せめて、川に戻り、川の一部となって、我々の心に永遠に生き延びて下さいませ。という想いを詠ったもの。
「カワニナ」の音を3回ふんでいるのが、少々くどい作である。

・・・。

〜エピローグ〜

何となく放心して教室へ帰ると、今朝インドネシアから帰国したばかりのH先生が、笑顔で
「これを、あげよう。」
と言って、サナダムシを下さった。
「先生、このフタのところにサインしていただけますか?」
と尋ねると、
「いや、このままヒモをついけてキーホルダーとかにした方がきれいだから。」
「あ、そうですね!」
この時は、ふむ、なるほど、と思ったのだが、あとで聞いた話によると、これはH先生なりの「お断り」だったようである。あともう少し、というところで頼み方に「色気」が足りなかったのか。


我が色は 虫以下なのか そうなのか
            
〜詠み人知らず〜


(作品解説)
特になし。


かくして、カワニナ日記第一弾は幕をとじることになる。
いつの日か、カワニナの1匹くらい、立派に育てられるようになって、帰ってきます、お父さん!!