研究

当教室では、研究は法医学的な応用を視野に入れながら、科学の発展に寄与できるように取り組んで行きたいと考えている。具体的には、以下の研究が進行中である。

薬毒物による中毒作用の機序の解明

薬毒物(覚醒剤、コカイン、硫化水素、アルコール、ヒ素、など)による細胞障害の機構の解明を目標として、生化学・分子生物学・細胞生物学的手法を適宜用いて研究している。 主として培養細胞を用いて研究しているが、これは緑色蛍光タンパク質GFPを用いた細胞内オルガネラ・タンパク質の動態解析、各種蛍光プローブによる活性酸素等の傷害因子の評価が容易であり、また遺伝子の過剰発現・RNA干渉法を用いた遺伝子発現抑制が簡便に行えることから、毒性発現の分子機構解析に適しているためである。

覚醒剤(メタンフェタミン)

日本で乱用される覚醒剤のほとんどはメタンフェタミンである。メタンフェタミンは主として中脳黒質のドーパミンニューロンにおけるドーパミンの代謝・情報伝達を攪乱することで、最終的にニューロンの死滅を引き起こす。ヒト神経芽腫由来細胞株であるSH-SY5Y細胞は、レチノイン酸で処理することによりドーパミンニューロンの特徴を有した神経様細胞への分化が可能であり、メタンフェタミンによる細胞毒性の研究に広く用いられている。我々はSH-SY5Y細胞を高濃度のメタンフェタミンで処理すると数時間以内に細胞内に空胞が形成されることを見いだした。この空胞の起源を調べたところ細胞外溶液成分を取り込む飲作用の一つであるマクロピノサイトーシスによるものであることがわかった。更に、過剰なマクロピノサイトーシスはその最終目的地点であるライソソームに肥大化・加水分解酵素の不活性化といった障害を引き起こすことを見出した。これはマクロピノサイトーシスによるメタンフェタミンの過剰な細胞内取り込みが最終的にライソソームの破綻を引き起こしているものと考えられ、その分子機構の解析を行っている。


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図 覚醒剤暴露による細胞内空胞形成

(参考文献)
Methamphetamine induces macropinocytosis in differentiated SH-SY5Y human neuroblastoma cells. (2010) Nara A, Aki T, Funakoshi T, Uemura K., Brain Res. 1352, 1-10

覚醒剤原料(ノルエフェドリン)

エフェドリン類は、漢方薬である「麻黄」に含まれる成分であり、長年にわたって血管収縮剤として一般市販薬の鼻炎薬、風邪薬等に使用されてきた。しかしながら、エフェドリン類服用患者において、脳出血、心筋障害、肝機能障害、精神障害など多くの副作用に関する症例報告があるが、現在も脱法ドラッグの主成分として使用され続けている。そこで本研究は、法医実務上取り扱われる薬物中毒の中でも、比較的容易に入手が可能であることから問題となっている脱法ドラッグの主成分ノルエフェドリンに着目し、その細胞毒性の作用機序を明らかにすることを目的としている。

ケレリスリン(植物アルカロイド)

アルカロイドを含む植物・真菌の二次代謝産物が有用な薬物の宝庫であることは、ペニシリンの例からも明らかである。一方で人体に有用な薬理活性が見出されず、もっぱら毒物としてのみ作用するものも多い。ケレリスリンはケシ科植物の一部から抽出されるアルカロイドで、民間療法薬として用いられたこともあるがむしろ毒性の方が顕著である。生命科学研究ではタンパク質リン酸化酵素の阻害剤として用いられている。ケレリスリンは多くの細胞で極めて迅速に(暴露数分以内)アポトーシスを引き起こすことが報告されており、毒物により惹起されるアポトーシス型細胞死の実行機構を調べるには理想的なモデル毒物であるとも考えられる。我々はラット心筋由来細胞H9c2を用いてケレリスリンによるアポトーシス型細胞死の分子機構を調べたところ、典型的なミトコンドリアアポトーシスであることを確認した。しかしながらミトコンドリア障害に由来する活性酸素の発生はごくわずかで、その後のアポトーシス経路の活性化への寄与は極めて少ないと判断された。これは活性酸素以外の細胞死誘導因子の存在を示唆するものであると考えられる。 (参考文献) Reactive oxygen species-independent rapid initiation of mitochondrial apoptotic pathway by chelerythrine. (2011) Funakoshi T, Aki T, Nakayama H, Watanuki Y, Imori S, Uemura K. Toxicol In Vitro.

アルコール(ブタノール・エタノールなど)

エタノールの毒性に関する報告は多数されているが、有機化学溶媒や工業用溶剤として幅広く使用されているその他のアルコールの毒性に関する報告は少なく、細胞レベルでの毒性発現の分子機序の研究は殆どなされていない。1-ブタノールは特臭のある無色透明の有機溶媒で、頭痛、眩暈、中枢神経系麻痺、接触性皮膚炎などを引き起こし、過去には自殺目的で使用されたという報告もある。アポトーシスの過程で細胞の収縮や核の凝集などの形態学的変化が観察されるが、細胞膜ブレッビングもその一つである。細胞膜ブレッビングは細胞膜が泡状に突出し、退縮するという動きを繰り返す現象で、一般にアクチン-ミオシンの過剰な活性化/収縮により細胞内圧に偏りが生じることで起こるとされている。細胞膜ブレッビングはRho結合キナーゼROCKの阻害剤であるY-27632によって抑制されることが知られている。セリン/スレオニンキナーゼであるROCKはミオシン軽鎖を直接リン酸化し活性化することで、細胞膜ブレッビングを制御している。1-ブタノールによるROCKの活性化、ミオシン軽鎖のリン酸化から細胞膜ブレッビングが起こること、さらにミトコンドリアアポトーシス経路の活性化がROCK依存的に誘導されていることを明らかとしている。

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図 1-ブタノールにより引き起こされる細胞膜ブレッビング

コカイン

コカインの乱用は日本ではそれほど多くないが、欧米では大きな社会問題である。ラット心筋由来細胞H9c2にコカインを暴露することで発現が迅速に誘導されるタンパク質を、質量分析計を用いたプロテオミクスの手法により同定、現在その役割について解析している

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図 質量分析計を用いたタンパク質の同定

硫化水素

硫化水素は特徴的な強い刺激臭の有毒な気体である。硫黄化合物を含んだ入浴剤と酸性洗剤の混合により家庭内でも容易に発生することから、近年、市販の薬剤を使用して硫化水素を発生させ自殺するケースが増え、社会問題になっている。硫化水素は高濃度に吸引すると短時間で意識を消失し、死に至る。以前から個体レベルでの研究は行われているが、細胞レベルにおける詳細な毒性の機序は未だ明らかにされていない。そこで種々の培養細胞を用い、高濃度硫化水素による毒性を検討している。

ヒ素

ヒ素は毒物として有名です。特に亜ヒ酸は無色無臭で、西洋では昔から毒殺の手段として、しばしば用いられてきました。法医学においても、時々、ヒ素による自殺、他殺、事故による中毒死症例が見られます。しかし、ヒ素は医薬品として使われてきた歴史があります。過去には、ヒ素の化合物サルバルサンは梅毒の治療薬でした(現在では、梅毒の治療は、より有効で、安全な抗生剤に代わっています)。しかし、近年、ある種の白血病の治療薬として、亜ヒ酸(As2O3)が使われています。このように、ヒ素は多量に用いると毒になりますが、適量ではたいへん有用な医薬品です。当教室では、亜ヒ酸の様々な作用について研究しています。毒作用として、亜ヒ酸は高濃度では典型的なアポトーシスを細胞に引き起こします。現在、この中毒作用に焦点をあてて、その機構についての詳細な研究を進めています。

動物を用いた病態モデルにおける各種臓器不全の分子機構の解析

培養細胞を用いた毒性発現の分子機構解析と実験動物(ラット、ウサギ)を用いた臓器組織の障害機構の解析は、互いに相補的なものであると考えられる。各種臓器障害におけるアポトーシス、ネクローシス、オートファジーの関与について、その障害部位の特定含めて研究している。

ラットを用いた敗血症モデルと一酸化炭素による保護作用

敗血症は多臓器不全を引き起こし約半数が死に至る、極めて重篤な病態である。大腸菌などのグラム陰性菌の細胞壁成分であるリポポリサッカライド(LPS)は、実験室における敗血症性ショックの誘導に広く用いられている。LPSを腹腔内投与したラットの肝臓・心臓を含む各種臓器における障害発生機構を解析している。また、一酸化炭素の保護作用も解析している。

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図 LPS投与により敗血症性ショックを誘導したラット肝臓におけるタンパク質の変動例

死後経過時間の推定

ウサギを用いて、直腸温、眼球内温度、等を指標としながら、より正確な死後経過時間の推定を目指して、研究している。

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