現代社会は、情報が氾濫している時代である。インターネットばかりでなく、至る所で、有益、無益、有害、無害を問わず様々な情報が目に入ってくる。これは、日常生活ばかりでなく、研究においても同じであろう。あふれる情報から、如何に自分が必要としている情報を探し出せるかということは、成功の一つの鍵と言える。
私たちが学生の頃は、長い時間、図書館にこもって、ケミカルアブストラクトやバイルシュタイン(独語)などの二次抄録誌をひたすらめくっていたものである。たまたま開いたページに、目的としていた情報とは無関係の、しかし、何か感じる文献を目にして、そこから新たな研究課題が始まることもあった。今は、自分のデスクに座ったままで情報を入手できるようになり、とても便利になった反面、このような「出逢い」の機会も減り、また問題点も多いと感じている。例えば、私たちの分野では、まず目的化合物を合成する方法を探索することから始まるが、多くの場合、最新の方法から目にはいる。文献では、その方法が最も優れていると述べているのは当然あるが、実際には、特殊な手法であったり、再現性、汎用性に乏しかったりということもしばしばである。新しいからといって、また、流行っているからといって、必ずしも優れた技術、面白い研究というわけではない。
一方、検索機能の向上によって情報の入手が簡便になったがために、いわゆる原著論文まで手を伸ばさない傾向もあると聞く。簡単な概説書、語句解説で満足してしまうらしい。しかし、本当に良いものを見つけるには、経験と知識によって培われた「自らの目」が必要である。何を感じて、そして、それをどう展開するか。いろいろと試行錯誤して、自分にとって良いものを見分けていく審美眼を鍛えることが大切なのである。優れた研究は決してルーチンな作業だけからは生まれない。最近では、研究が単に一つの職種として捉えられがちであるが、研究は非常に高度な専門性を必要とするとともに、「科学者」としての好奇心と向上心に支えられている。これから研究を志す人たちには、是非その心を大切にして欲しい。また、私自身も、忘れずにいたい。日々の業務に追われ、つい言い訳してしまう自分への戒めでもある。