医歯工連携の学際領域研究の重要性が、近年特に唱えられています。生体材料工学研究所はまさしくこの使命のために設立されたものであり、これまでに多くの業績を残し世界に向けて情報を発信してきました。私は4年前に当研究所に着任して以来、研究の柱のひとつとしてドラッグデリバリーシステム(DDS)の開発に力を注いでいます。DDSは医歯と工を繋ぐ重要な概念のひとつです。我々はDDSを通じて本学医学部、歯学部、難治疾患研究所との共同研究を進めており、いくつかの優れた成果が出てきました。医療の現場の声を聞きながら、研究を進めることができる環境の重要性を実感しています。
DDSは創薬や再生医療の分野でなくてはならない技術となってきました。大学、企業を含め薬の開発に多大な労力が費やされています。研究者の懸命な努力により、すばらしい効果をあげる薬が設計・合成され、最終的に臨床試験で試されます。しかし、最後に副作用の問題で日の目をみなかった薬は数多く存在します。もし、作用部位だけに選択的に運べ、適正な量を適正な時に放出するようなキャリアがあったらどうでしょう。今まで、捨てられてきた薬が一気に表舞台に登場し、患者さんにとってもこのうえない福音となるでしょう。また、ヒトの遺伝子が解読されて遺伝子レベルでの治療の可能性が広がり、欠損した遺伝子を人工的に外から運びこんで治療する遺伝子治療も可能になりつつあります。必要な細胞に効率よく遺伝子を運ぶDDSの開発が急務となっています。再生医療においては、組織再生の足場となる材料が重要ですが、その際必要な時に必要な場所で生理活性タンパク質(サイトカインなど)が働くようなDDS機能を有する足場材料の開発が成功の鍵を握っていることが分かってきています。
一方で、現実問題として実用化されているDDSはまだそれほど多くはありません。生命は長い進化を経てきわめて巧妙なDDSをすでに完成させています。赤血球の中に含まれるヘモグロビンというタンパク質は、血管を通して体の隅々まで酸素を運び、不用になった二酸化炭素を肺から放出しています。また、血中グルコース濃度に応じたインスリンの放出制御システム、コレステロールを運んでいるリポプロテインナノ微粒子、また遺伝子の運び手としてのウイルスさらに、サイトカインの徐放担体としての細胞外マトリクスなど枚挙にいとまがありません。
究極のDDSは、生体DDS機能をまねた人工バイオマシンさらには人工細胞の創製にあるといえるでしょう。これらの夢をかなえるもっとも近道は先に述べたような生体システムを改変して利用するか、あるいは生体にあるシステムを手本として同じような原理で働く似たシステムを作ることでしょう。近年、生体機能の巧妙な仕組みが分子レベルで明らかになり、その基本原理が化学の方程式で表せることがわかってきました。それさえわかれば、似たような機能を有する分子システムを我々化学者は設計し、創りだすことができる時代です。ナノサイズの構造体を自在に組み立てる方法論を確立するのがナノテクノロジーのひとつの目標でもあります。その意味でも生体のシステムが機能する仕組みは大変参考になります。生体機能に啓発されてその機能システムを設計、応用する研究分野は、バイオインスパイアードサイエンスと呼べるものです。
生体分子システムは確かに優れていますが、様々な生命現象維持のためにむだも多いシステムです。必要な用途に特化したシステムであれば、生体に迫る、そして凌駕するような人工分子システムの開発も夢ではありません。生体分子システムの人工的再構築とその医療応用、それは次に向かうべき科学の大きな目標のひとつでもあります。また、その努力は生命現象の解明にも少なからず貢献するものと思います。 "生体システムへの挑戦" から生まれてくる新しい概念の創出と新規分子システムの創製、さらにその原理にもとづいてDDSを含む新規バイオマテリアルの開発に今後も努力していきたいと思っています。