1989年にR. ロバーツにより執筆された「Serendipity: Accidental discoveries in science」という書が出版された。この書には、現在の科学分野の基礎となっている理論や技術について、また生活を便利に、健康的にしてくれる様々なものがセレンディピティーの結果としてもたらされたものであることの歴史がまとめられている。セレンディピティーという言葉は、「偶然に幸運にめぐり合う天性、予想外の発見をする能力」と定義されている。予想外の偶然を発見に変えた人たちは、「観察の場では、幸運は待ち受ける心構え次第である」あるいは「重要な発見は偶然と洞察力による」と述べた。セレンディピティー的発見、発明にはその分野の深くて広い知識は必須であり、充実した創造力も大切である。彼らの多くは観察する場において旺盛な好奇心と認知力を備えていたといえる。天才といわれる人たちだけがこうした才能を持っているのではなく、誰もがこれらの能力を伸ばし育てることができる。J. グリックは、「天才にはごく当たり前の天才と、魔術師的な天才の二種類がある。前者の天才は、もし我々がいまより何倍か賢くなれば誰にでもなれるような天才である。このような天才ならばその頭脳の働きに何の神秘もなく、彼らが何を行なったのか理解できれば、我々にだってきっとできたはずであると確信できる。しかし、魔術師的天才の場合、彼らの頭脳の働きは理解できない。もし何を行なったのか理解できたとしても、その過程は全く謎である」と、表現している。つまり当たり前の天才になることは可能であり、また幸運を待ち受ける心構えは育てることができるのである。誰もが未知の領域にある新しい発見に遭遇できることを確信して欲しい。
抗生物質をはじめとして医学に役立つ多くの薬は、セレンディピティー的に発見されてきた。また、ある目的のために開発された薬が、予想外の目的に有用となることが偶然発見され薬となった例もある。疾患生命科学の理解が原子レベルで議論されるようになり、薬の開発戦略も大きく変わってきた。薬の創出のために、セレンディピティー的というより現在のはやりのドグマにあてはめた計画的な発見が中心となっている。薬は疾患の治療に不可欠であり、大きな効果をもたらしてくれる。薬を発見するために、現在の創薬研究の流れの中で一度立ち止まり、じっくり考えてみることも必要ではないかと思う。ノーベル化学賞および平和賞を受賞したライナス・ポーリングは、ただ生き続けることと健康で生き続けることの違いを指摘した上で、ビタミンなどのように生体内に存在する物質により疾患の治療を目指す"orthomolecular medicine"を提唱した。この彼の考えは、合成あるいは植物由来の薬を服用し多くの患者が亡くなっているが、ビタミン過剰投与により亡くなった患者は一人もいなかったことに基づいている。新たな予想外の効き目を持つ生体物質の発見は、あなた方の研究の場での偶然と洞察力により達成されるだろう。1890年代に登場し、現在も解熱、鎮痛剤として使用されているアスピリンのような薬を創出することも、筆者自身また創薬に携わるものの大きな目標である。若い学生には、彼らの柔軟な発想、探究心、研究分野の幅広い知識の習得をベースに小さなものから順次大きなセレンディピティー的発見をして欲しいと強く願っている。「発見とは、誰もが見ていることを見て、誰もが考えないことを考えることである」と、アルバート・セント-ジェルジは述べている。