先導人(せんどうびと) No.4 岸田教授
先端医療技術を支える社会基盤とは
国立大学法人東京医科歯科大学 生体材料工学研究所
分子制御分野教授
岸田 晶夫
平成18年5月19日
医用材料の研究を始めてから、そろそろ四半世紀が経とうとしています。中途半端な年数ですが、本コラムの執筆がよい機会ですので、私の頭の中を整理させてもらうためにも、考えていることを書いてみます。
私が学生時代に医用材料の研究を始めたころは、研究室や学会もさることながら、世の中も医用材料、人工臓器に大きな夢を抱いていました。この状況は日本だけでなく、世界中の雰囲気もそうであったと思います。学会に出席すれば国内でも国外でも、医者、歯科医、工学者、細胞生物学者など異分野の人間が入り交じって熱い討論を交わしていました。そのような状況から、いろいろな医療機器が世に出て我々の生活を支える技術となっています。しかし、今、状況をみてみると、先端医療の焦点はナノメディシンや再生医療に移り、医療機器研究は一定の地位を確保し淡々と進んでいるようです。このような状況は、先端技術にありがちなことで。それ自体は特に悲観することでもないのですが、ひとつ気になっているのは、欧米との差です。医療機器開発が成熟産業になったのであれば、コンスタントに学生が企業に就職し、企業からは新製品が市場に送り込まれ、という連鎖が活発化するはずですが、どうも日本だけが元気ないようなのです。これは私だけが感じることではないらしく、日本政府もいろいろな手段を講じているところです。いくつかの要因が考えられます。私が考えるものを挙げてみます。
- 日本の健康保険制度は同じ治療法であれば同じ額の保険料しか出ないので、いいものを作っても高く売れないので企業がやる気を失っている。
- 日本人は「完全な安全」を望むので、医療機器の市販化に際しての規制のハードルが高すぎる。
- 日本の企業が国内で治験をしようとしても、方法論の指針はないし、お金もかかるので、大変だ。
- 新しい医療を望んでいる人もいるし、チャレンジしたい医者や会社もあるけど、失敗するとマスコミを含めて世間からバッシングを受けるおそれがあるので、企業は先駆的な挑戦はしたくない。
- あまり人の手をかけて寿命を延ばしたり、治療したりするのは自然に反している気がする、という患者さんが多い。
皆さんはどう考えますか?私の経験では、欧米人は「生きる」ということに真剣であるという感覚があります。以前に勤務した大学で、学生達に「人工心臓をつけたいか?」という質問を、肉親が病気になったときと自分が病気になった場合について質問しました。大多数の学生が、肉親は人工心臓をつけてでも長生きしてほしいが、自分ではつける気はない、と答えました。この考え方は現在の日本人の気持ちを代表しているのではないかと思います。すなわち、医療あるいは人生についてのリアリティが欠けている、と思うのです。私にできることは、ある結論に人々を導くのではなく、広く知らしめることによって、社会と自分との関わりについてもっと具体的な考えをもっていただく、ということです。その結末が、高度医療不要論であれば日本はそういう社会である、ということになります。しかし、現在の時点で、このように結論するには、人々の認識があまりにも先端技術と離れてしまっているのではないでしょうか。技術革新と人の心の関わり合いの中で、医療は最も身近なものです。我々から、いろいろな提言や情報を発信することが、将来の社会(特に医療)を形作る社会基盤だと考えています。時には、未来の医療と自分自身の関わりについて考えてみてください。いつか、その考えを表明しなければならない時がきます。その時のために。