臨床例★A 健康な人格の実現を目指した全人的医療
その診断と対話のプロセス:主訴が顎関節痛であった患者さんの臨床例
この症例の患者さんは43歳の主婦です。三年程前から顎関節痛のために、主婦としての役割、炊事、洗濯などが満足にこなせなくなり、家族との人間関係の悩みも深まりました。東京近辺の歯科大学、医科大学を転々とされ、治療を受けてこられたのですが、不幸なことに自分の考え方をわかってもらえる先生に巡り逢えなかったと申され、私のもとに紹介されてきました。
@ 一回目の診療:身体、心理的事実を診断し、人間関係や生活スタイルを理解し、患者の考え方をわかる。
主訴を聞く:顎関節痛、開口不全、腰痛、肩凝り
経過を聞く:顎関節痛、開口不全は、約三年前、歯医者さんで右側の下顎第一大臼歯の欠損部ブリッジをとりはずして、新しいものに作り変えてもらってから右側で噛めなくなってしまった。それから、顎の痛みや開口障害が始まった。開業医の先生や歯科大学の口腔外科の先生に診てもらったが、顎にも噛み合わせにも異常がないし、入れ歯はよく出来ているといわれた。更年期障害であろうと診断されたり、うつ症状があるから心療内科や精神科への受診をすすめられ、内科や心療内科や精神科に通ってみたが予後が思わしくなく、本院を尋ねた。最近、顎が強烈に痛む日が多くなってきた。主婦の役割も果たせず不安である。腰痛、肩凝りは五年前から始まり、近所の総合病院の整形外科や内科で痛み止めをもらったり、コルセットをつけるようにいわれたが、効果がなくやめている。鍼やマッサージをすすめられ、通ってみたがあまり効果がない。現在も腰痛、肩凝りが酷いが、入れ歯が原因ではないのかと考えている。
既往歴:生理は最近不順である。口内炎がよくできる。疲れやすく、恐ろしい夢を見たりして、睡眠不足である。精神科と心療内科でうつ症状があるといわれ薬を服用していたことがある。その他の身体、心理的な事実には特記すべきものなし。
家族構成:夫
(49歳、サラリーマン)、夫の母(姑)、息子二人(大学2年、高校1年)、本人(専業主婦)の5人。
口腔内、顎関節の状態:健全歯10本、DMFTは16本であった。上顎大臼歯4本にインレー、左右の下顎にブリッジ(第一大臼歯欠損、左側はバケツクラウンで作られている。右側は前述のやり直されたもの、それはキャストクラウンで作られている)。歯周組織の状態、全体に亙って歯肉の退縮が認められるが、歯周ポケットは、3mm以下、動揺もなし。顎が痛んでから左側で噛んでいる。噛み合せに異常なし(本人は、右が高いという)。X-P(某歯科大学の口腔外科のフィルムを持参、本学でもX-P検査)の結果では、歯槽骨の全般的な吸収がやや進んでいる程度で、歯周組織や顎関節部に異常なし。
患者診療録
: Patient Evaluation Grid(PGA)に患者像を描く
さて患者さんとの第一回目の対話、診療から、主訴に関係する身体、心理的事実やその経過などが明らかにされ、歯科専門的な立場からの口腔内の状態、顎関節の状態も明らかにされました。これらの身体的、心理的事実を以下のPGAの第一の患者像欄に記載します。
これにより、問診、対話からの情報や歯科専門的な視点からの身体的、心理的、社会的な客観的情報を整理し、診断することが出来ます。これは疾病を診断し治療するプロセスです。第一の患者像は、疾病の診断と治療のためのものであると言えます。
PGAの第二の患者像の欄には、生活スタイルと人間関係が記載されます。問診からえられた生活スタイルの基本的なこと、食事、運動、睡眠などの規則性や、これらの内容、質や量が、この欄に記載されます。
この症例の患者さんの場合は、朝食は健康のために、必ず食べようと努力している(しかし美味しくない)。就寝時間は、午後11時と決めている(しかし最近寝つきが悪い、悪い夢を見る)。デパートに出て、自分のための衣類などを見たり、外食をする時が一番楽しい時である。夕食の用意のための買い物の時間帯が苦痛、顎が一番痛む時でもある。姑が夕食時に、顔を出すが、いらいらしてしまう。高一の息子が髪の毛を茶色に染めたのが心配の種。
疾病の姿をより明確にするためには、PGAに示された患者さんの第一の像と第二の像との関係を明らかにする必要があります。砂を噛むよな朝食、姑との確執、気にかかる息子の行動など、これらの生活は、交感神経を介して顎顔面領域の緊張を引き出し、第一の患者像を結果させるでしょう。デパートへの買い物とその時の昼食は、楽しく、この時、顎の痛みが緩和しているようだ。いずれの生活にせよ、第二の患者像(生活スタイル、人間関係)が第一の患者像を導くと考えられます。したがって第二の患者像の診断と理想的な生活行動へ向けての行動変容が疾病予防の戦略となります(ヘルスプロモーション)。このように病人の生活の質や人間関係などを視野にした医療は、疾病を身体局所に診る医療より質が高いと言えましょう。現代の医学教育は、この第一と第二の患者像にむけてなされてきたといえます。
PGAの第三の患者像には、患者さんが自分自身の症状や病気やライフスタイルや人間関係に対して、どのように考え(知)、感じ(情)ているのか、そしてこれからどうしようと考えているのか(希望、意志)、を分析、診断するためのものです。患者さんの思い(意識)の世界をわかろうとする欄です。医者がこの患者さんの思いを知情意からわかろうと関わっている態度は、病気を診断したり、病人の生活を調査したりしている態度ではありません。人間として関わろうとしている態度です。私たちの全人的医療は、この第三の患者像をわかること、患者さんの意識の世界(知情意)を分析し、それらに統合と調和が生じるような生活行為を自らに下していける人格の実現に置かれています。それではPGAの第三の患者像を参考にしてください。
そこには患者さんの主訴に対する患者さんの思い、知情意が記載されています。また姑や夫との人間関係に対する患者さんの思いも記載されています。この症例の患者さんは、この世界をわかってくれる医療を求めていたのです。しかし現代の医学が示してきた人間理解は、第一、第二の患者像までですから、不幸な結果とならざるを得ませんでした。第三の患者像が第一、第二の患者像を創造するのです。以下の表は、全人的診断録(PGAをまとめたもの)です。
三つの患者像:PGAへの記載……全人的な診断録
第一の患者像(身体、心理的事実)
主訴:顎関節痛、開口不全…………
s−1
経過:顎関節痛、開口障害は3年前から、予後不良
腰痛、肩凝りは5年前からはじまり、整形外科で治療を受ける。 s−2
精神科では、うつ症状と診断され、抗うつ剤を投与される。 s−3
身体心理的事実:疲れやすい、睡眠不足、生理は不順、
うつ症状で薬を服用していた s−3
第二の患者像(人間関係、ライフスタイル)
家族構成:本人、姑、夫、二人の息子、同居
家族の食事の用意、洗濯が苦痛である(夫は理解を示し、援助してくれるが、
姑はどんなに痛くても家事ぐらいは出来るでしょうと言う) s−4
生活スタイル:
AM. 5:00 . 6:00 8:00 10:00 12:00 2:00 4:00 6:00 8:00 10:00 12:00 2:00PM
起床 朝食 昼食 買い物 夕食 就寝
デパート デパート 夕食のため s−5
痛みの評価 5 、 7、 3、 2,1 8、9、10、 7、(0…10) s−6
第三の患者像(意識の世界)
s−1:顎の痛みは入れ歯の噛み合わせが高すぎてよく噛めないため、入れ歯の形態が不自然なためによると考えている(知)。どうして先生は、入れ歯に異常がないというのか、そしてうつ症状が原因といわれることが理解できない(怒りの感情)、こんなことを一日中考えている。このまま口が開かなくなり食事が出来なくなっていくのではと不安の毎日である。デパートで買い物に夢中のときだけが心が和らぐ。就寝時にこのまま死んでしまいたいと思う(s−5)。
s−2:整形外科で診てもらい、痛み止めやコルセットでの治療を受けたがこれでは治らないと考えている。精神科の先生は、家庭の人間関係からくるストレスやうつ症状が原因であると診断しているが、患者さん自身はうつ病ではないと考えている。先生の考え方、態度に怒りや不安を感じている(先生は、患者さんのこれらの思いに「人間として」対処すべき=知情意をわかる)。s−3:最初
1,2週間は薬を服用して、痛みが和らいでいることが、後の対話のときに明らかとなる(患者さんはこの事実を理性的に理解していなかった。その事実を伝える)。
s−4:夫は家事を手伝ってくれたり、同情してくれて嬉しいが、姑は、本当に痛いのと疑っている(悔しいし、これでは一緒に暮らせない。…第二回目の診療のとき、実は家の別棟に台所を造って、姑は、一人で食事をしていることが明らかにされた)。s−5:生活スタイルを記録し、痛みの自己評価をする。夕食の準備が一番苦痛である。離れにいるはずの姑が夕食時に顔をだし、必ず愚痴を言う。その時が一番痛みの症状が激しい(s−6)。
A 第二回目の診療:自己と自我と心地よさをわかる
さてこの患者さんにどんな診療をすすめていくのがよいのでしょうか?
第一、第二の患者像を分析すれば、嫁と姑の人間関係を改善するか、抗不安薬、抗うつ剤を投与したり、心理療法をして、入れ歯には異常がないことを説得すれば、直ぐにでも治癒しそうです。しかし三年間も同じ症状に苦しんでこられてきましたから、第一と第二の患者像はかなり固まっていると診断されたのです。
例えば、入れ歯の高さや形態に関する歯科専門的な診断の結果(第一の患者像)を少しほのめかしただけで、たちまち受け入れ難しとの態度が、患者さんの表情や語調から返ってきました。普通は少しは、聞く耳があるはずだのに、痛みに悩まれた期間の長さに応じて、考え方がだんだん固まってしまったのです。入れ歯に異常がないとの歯科専門的な診断、説明を容易に受け入れるはずはありません。第三の患者像を観る視点が乏しい医師には、この患者さんの態度に、思わず「わからず屋」とのレッテルをはり、自分の感情が苛立っていても気づかないかもしれません。ここに示したように第三の患者像を意識的に診断しようとすれば、自ずとこの患者さんの感情の動きがわかり、その感情が患者さんのどのような考え方から生じたかをわかろうとする態度が生まれます。患者さんの感情の変化を見逃しませんし、自分自身の怒りの感情にも容易に気づくでしょう。この姿は自分自身の知情意もわかり、患者さんのそれも大切にしようという態度です。理性的にこのような対話を進めれば進めるほど患者と医師が信頼を深め、双方が倫理的に成長するのです。
入れ歯や顎に異常が認められないのだから、症状の原因が嫁姑の確執にありとか、心理テストでうつ症状であったからと診断されて(心身医学的に正しくても)、この患者さんはすっかり現代の医療に絶望されていたのです。第三の患者像を診断すること、わかることを理解しないままに、患者さんの前に立っては、患者さんを不幸にしてしまうと思えるのです。
この患者さんは、私との第二回目の診療が楽しみだったのですといわれました。それは初診のとき、私が説明した「いのちの二つの意味」についての考え方が、とても新鮮で気に入ったというのです。またいのちの二つの意味を考えたからこそ、第三の患者像を診断し、それを大切にできる私が誕生したのですとの私の説明もなるほどと納得できたといわれました。
私は、ここで伝えたいのは、勿論自分の自慢話ではありません。人間であれば「真実の在り方」が、示されていれば、そこには必ず通じ合うものが行き交うのであるということです。それでは真実の在り方とは何でしょうか。少なくとも私と患者さんの間でなされた二つのいのちに関する話題は、ある一つの考えに偏った視点から出されたものではないということです。誰しもの意識に巣くう偏った考え方(自我)を、まるで嘲り、無視すべきとの働き、大きな存在こそが私たちの本当の意識(自己)であると話し合ったということです。患者も医者も、自分が偏った見解をして、それを相手にぶつけても、その背景に、大きな存在があるのですということがわかっていれば、互いに考え方の相違を認め合うようなこころの状況になるものだと伝えたかったのです。こうして対話を進めれば、極めて心地よい心身の状態になるということです。
私たちは、このことを治療に応用すべく、研究を進めてきました。その一つがエゴグラムから自分の意識の在り方をわかる方法です。この患者さんは、いつも本音を出せないでいる自分の姿に気づかなかったといいます。エゴグラムテストから自分の自我、エゴ状態がわかり、さらにこの自我のこころは、姑に対するとき、夫に対するとき、息子達に対するときでそれぞれ違った様相を呈していることに気づかれたのです。仮面をとりかえるように、場所により、他者により自分のエゴを揺るがせてみてはと、話し合いました。そして一番心身に心地よい仮面、自我でいればいいのですと伝えたのです。私たちのエゴをこのように揺るがせる働き、存在はだんだん意識にのぼり、意識に深く刻まれだしたのです。患者さんは、「この働きにおすがりすればいいのですね」と申されて目が輝いたのです。私はその時に、この患者さんは癒されたのだと思ったのです。
第二回目の診療が終わるときに、患者さんは次のように申されたのです。「このままでは、姑を殺しかねないから、離れに台所を作ってくださいと夫に迫り、そして姑を追い出してしまえば、私は楽になると考えて実際にそうしてきてしまった私がいますが、それが本当の私であったのでしょうか」と。
患者さんのエゴグラム
姑との対話のとき、
AC>>FC、NPは最小
夫との対話のとき、FC>AC
息子との対話のとき、CP>>
この患者さんの場合は、総ての人に対して、A(大人の理性的こころ)が最小値でした。
患者さんは、過去に精神科の先生から投薬を受けて、その薬を服用して症状がよくなっているのに、薬の作用機序を理性的に理解しようとしていませんでした。大人の心を育てながら、治療を進めていれば治癒に至ったかも知れません。しかしその時は、私は精神病ではない、入れ歯が悪いのだとの考え方に縛られ、医者の診断、処方に感情的になってしまっていたのです。理性的になりすぎても困りますが、知恵を働かせ、大人の心を働かせれば、容易に治癒したのにと思えます。いや大人の心が育っていなかったから心身症になってしまったとも言えましょう。
エゴグラムは、エリックバーンにより開発されました。
それは、父親のこころ(
CP)、母親のこころ(NP)、大人の心(A)、自由なこころ(FC)、適応のこころ(AC)からなり、それぞれのこころのエネルギー状態を評価できます。
CP:
倫理道徳的なこころ
NP:養護的なこころ
A:大人の心
FC:自由なこころ
AC:適応のこころ (詳細は、後述の実習編)
B 第三回目の診療:患者さんが独自に自分の人間関係を分析する
私は、第三の患者像を診断、分析し、対話をするという全人的医療をすすめてきて、気づいたことは、患者さんが自分の生活行為の一つ一つについて、自分の心身が一番心地よい意識の在り方を探り始めると、患者さん自身が抱えていた一番本質的な問題が、必然的に明るみに出てくるということでした。この症例の患者さんの場合も、対話が進むうちに、顎関節痛の問題よりも、姑との人間関係が本質的な問題として自然に浮かび上がってきたのです。そこで患者さんは、前回受けた治療を応用し、姑や夫に対して、不満に考えてきた出来事を生活記録紙に記載し、自我で理解を進めたときと、その時に心身の心地よさを求めて自我をゆるがせたときの二つの自我状態の違いを比較検討し、その結果を報告してくれたのです。
患者さんは、自分が画いた二つの自我像を前にして、「以前ほど母の考え方や夫の考え方に、怒りや不安を感じなくなりました。姑も自分の価値観だけで生きてきた人だから、この結果になったのだな。これはなるべくしてなったのだ。被害者(姑)と加害者(私)の関係だと考えなくてもよいのだ、と思えるようになってきたのです」と言われました。随分と長いこと胸の奥につかえてきたものを吐き出せてほっとしたといった様子が手にとるようにわかりました。
患者さんは、心療内科の先生に、「姑と仲良くすれば、顎の痛みも腰も肩凝りも全部治ってしまうよ」と言われていたのです。夫の許可を得たとはいえ、姑を離れで一人で生活させることに罪の意識があり、心療内科の先生の言葉はひょとすると正しいかもしれないと考えたそうですが、直ぐに入れ歯のせいだという考えで、心療内科の先生の言葉を否定したそうです。しかし本当のこころは、心療内科の先生の言葉により、さらに患者さんを悩ませたと申されたのです。なんと罪深い嫁であるのかと自分を責めない日はありませんでした。それでも姑を赦そうなどとは今日の今日まで考えてもみなっかったことなのですと付け加えられました。
C 第四回目の診療、D 第五回目の診療
四回目、五回目の診療は、知情意の視点から、生活の一つ一つをひたすら見つめることに置きました。また一番患者さんを悩ませてきた人間関係、姑との確執や罪の意識のこころに対峙するとき、何度も従来の癖のついた思考パターンや行動に心身を任せてしまう自分を意識し、それを客観視して、昔の自分を泳がせてみたり、新しい考え方を自らに処方してみたりして、「ドッチガいいの?」と自らに問うことを指示したのです(今ここでの知情意の在り方をわかる。V.S.罪の意識に反省的に迫ったのではありません)。そしてその報告に対して、患者さんと医者が対話を展開します。この頃、顎の痛みや腰痛や肩凝りは、もはや話題にもなりません。
E 六回目の診療、七回目の診療
私は、最後の詰めの診療に入ります。患者さんに宿題をだし、レポートを提出してもらいます。その解答如何によって卒業が決まるのです。
1.あなたは誰?
、2.志村はあなたにとってどんな存在であったか?、3.自我と自己の違いについて、4.知情意の統合と「他者をわかること」、5.自立したか?:治療前と後での相違は、6.知情意と隣人愛について、7.知情意と一期一会について
これらの質問について、レポートを提出し、なおかつ報告をすることが、患者さんの最後の義務となります。また自分をさらけだせるまで覚悟が決まった患者さんには、学生の前で講義に臨んで頂きます。
卒業論文の要約
不思議なことだと思います。あれほど苦しんでいた顎の痛みや腰痛や肩凝りが治癒したのですから。魔法でも使われたのかなとも思ったりしました。
しかし冷静に
7回にわたる治療を振り返ると、また先生のいわれた考え方を素直に受け止め、一段一段、しっかりと階段を昇る思いで、すすめてくれば、極めて当たり前のこととも思える結果でもありました。私のように何年も、顎の痛みや入れ歯の具合が悪くて悩んでいる人が多くなっていると聞かされて、今では、わたしが簡単に治してあげるのにとさえ思うのです。先生は真理は極めて平易であると言われていましたが全くその通りであると思います。
宿題に答えます。
知情意の統合と他者をわかる態度との関係
1.身近な人との接触の中で、自分の都合のよいように相手を理想化し、現実と違ったときに嫌な思いをし、傷つき泣く。それは相手を本当に理解していることではないし、自分を大事にしていることではない。
相手を本当に理解するということは、現実とぶつかり、自分の思い通りにいっていないようだが、そのままの相手を受け入れるから、ギャップもなく、傷つき泣くこともなし、相手のことも尊重することにもつながる=隣人愛。
2.自我と自己のちがい
自我:エゴグラムに現われる「現実に流された自分」、その現実に流される自分を見つめているもう一人の自分が自己だと思いました。他人と出会うとき、自我を「私よ」と考えると同時に、自己がその自我の私を何時でも修正してくれるのと考えるようになりました。
3.何が大事か、本当に大事なものは?
本当に一つだけと言われたら、「誇れる自分」と言えるようになりたい。そして日常の生活を通じて、そのことを実現させるこころの在り方を自分自身に処方できます。
4.知情意の統合と
いのちの能動性
一期一会
自我と自己
隣人愛
相手を理想化しない…………
みんなイコールで繋がった思えるのですが
私はこの卒業論文を見て、歯医者になって本当に幸せであると、あらためて思っています。歯科大学での一人の教育者として、このシンプルな全人的医療を何がなんでも学生に伝えたいと思うのです。
この症例の患者さんは、歯医者さんのお役にたつなら何時でも、何処でも参りましょうと申されています。また学生の講義にも私をお使いくださいとまで申されています。今、医学教育は、医学専門家だけでは成り立ちません。一般の人々の協力を必要としているのです。極めてシンプルな課題、「人間らしく生きる」「ありのままに生きる」がテーマであるからです。