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第6回 五重塔

 第6回は五重塔についてのお話です.
 
 建立から何百年もの間,地震や大風にさらされても倒壊しない五重塔のしなやかな構造の検証から,連結強度を求められるとされる補綴装置の構造に対して,敢えて疑問を投げかけます.


第6回 五重塔 (2016年12月13日)

図1. 東寺の五重塔

 東京から新幹線で京都に近づくと左手奥に五重塔が見えてくる。東寺の五重塔である。今は高い建物の陰になって判りにくいが、新幹線ができる前は周りの建物も低かったので大きく見えて、やっと京都に着いたという気になった。先日京都に行く機会があったので、東寺に立ち寄った。この寺の講堂には空海による立体曼荼羅と称して真言密教の様々な仏像が安置されていて、興味深く、よく行く寺である。今回はちょうど五重塔の内部が公開されているというので早速拝観することにした。これまで幾度も訪れたが五重塔の内部を見る機会がなかった(図1)。
 北側の扉から入ると、左右の太い四天柱の奥に直径1メートルを優に超す太さの心柱が屹立し、それを取り囲む須弥壇には左右に菩薩を従えた如来像が四方に配されていた。幸いにも快晴で、南側の開かれた扉から陽の光が差し込んで内部が明るく、四天柱や天井の梁には花鳥竜などが極彩色で描かれ、側壁の弘法大師やその師である恵果の肖像画や高い格天井の装飾もよく見ることができた。このように柱や天井に見事な彩色が施されているのに心柱は素木のままで、表面に添え木が施され鉄のたがで締められていた。おそらく巨大な丸太を芯にしてさらに太さを増し、強度を高めるためと思われた。心柱は元来、塔の基盤から立ち上がり屋上の相輪などを支えるものである。そのため何本もの木材を継ぎ足してその長さを作るので基部ではかなりの太さが必要である。東寺の五重塔はおよそ55メートルと五重塔の中で最高の高さを誇るものだけに、その心柱が巨大なのは当然だろう。

 須弥壇の西向きの側面に窓が設けられていて心柱の基部が覗けるようになっていた。見ると、心柱は大きな礎石に円形に掘られた窪みから立ち上がっているようだった。心柱は法隆寺の塔のように地面を掘って立てられたものや礎石に窪みを掘りその上に立てられたもの、また心柱を宙吊りにして基部は浮かせたもの、さらには初層の屋根から立ち上がるものなどがある。東寺では、心柱は礎石の窪みから立ち上がっていると見えた。しかし、よく聞いてみると、実は心柱は礎石には触れていない、つまり見かけは礎石から立っているようだが窪みの中で僅かに浮いているというのである。やはりそうなのかと思った。
 これについて以前どこかで読んだことがあった。心柱は地面や礎石に立てられ、最上階の屋根の頂部を抜けて、そこに青銅製の筒と相輪がはめられる。屋根を抜ける部分では四角形の露盤にしっかり固定される。露盤は屋根に乗っているだけで接続はしていない。つまり心柱は五重塔の建物とはこの露盤を介して触れているだけである。建物には木材が幾重にも重ねられている部分が多いので、数百年も経つとその木材の収縮によって建物全体が沈下する。しかし、心柱は収縮して長さが変わることはほとんどない。その結果、心柱が上に突き出るようになり露盤も屋根から浮き上がる。屋根との間に隙間ができて雨水が入り込み、内部を腐食させる。そこで、この露盤の浮き上がりを補修するため心柱の基部を切断したということだった。初めから心柱を礎石から浮かせておけばそのような問題は防げるわけである。
 創建当初、工人たちは長い年月が経つとこうした状況が起きることを知っていたかどうか。法隆寺の五重塔が解体修理されたとき、心柱は基部がシロアリに食われて地面から離れて宙づりになっていたという。地面に掘っ建て式に心柱を立てると基部が腐食しやすいが、それがかえって露盤の浮き上がりを防ぎ、雨水による建物の腐食を防いだともいえるのである。奈良薬師寺の西塔は長らく失われ礎石だけが残っていた。そこにたまった水に東塔の影が映っているのが印象的だった。その西塔が三十数年前に再建されたが、塔の沈み込みを考慮して東塔よりも50センチほど高く作られたという。中の心柱の基部はどうなっているのだろうか。

図2. 法隆寺の金堂と五重塔

 ところで、この心柱何のためにあるのか。一説によると、仏教が入ってくる前、人々はもっぱら神を信仰していた。太い丸太を地面に立ててそれを神としてあがめる、つまりご神体とした。その名残が信濃諏訪大社の大丸太引きのあと、それを境内に立てるという行事だというのである。それが仏教に取り入れられ、釈迦の舎利を地中に収め、その上に太い柱を立てるようになる。それを覆うため建屋が作られるが、それが三重であったり五重であったりする。というわけで、心柱は仏を表現したものであり、五重塔は寺院の中で本尊を収めた金堂とともに極めて重要な建物ということである(図2)。 
 東寺の場合、心柱には何も描かれていないが、密教の中心である大日如来を表している。先に述べたように、その四方に如来像が配されていたが、それは講堂の中央に安置されている如来群と全く同じで、立体曼荼羅の中心部分であることに改めて気づいた。
 心柱はそんな精神的なシンボルである一方、五重塔が地震に強いということの根拠にされてきた。何百年も経つ五重塔が地震で倒壊したという記録はないらしい。この東寺の塔も創建は826年だが落雷や兵火でたびたび焼失し、そのたびに再建された。1596年にはマグニチュード7.5と推定される慶長伏見大地震が起こり、多くの家屋や寺社が倒壊し東寺も金堂や講堂はじめほとんどの建物が倒壊したが、五重塔だけは残ったという。現在の塔は1644年将軍家光の寄進によって建てられて、その後の大地震、近年では阪神淡路大地震にも耐えたのである。
 確かに五重塔は地震に強いようである。しかし、本当にそうなのかはわからない。何百年も倒れたという記録がないという経験則によるだけで、今後さらに大きな地震が来て倒れるかもしれない。そこで、これまでの地震に五重塔の何が効いていたのかを明らかにすることで今後に備えると同時に、超高層建築の耐震設計のヒントを探ろうとしてこれまで多くの建築工学の専門家たちが関わってきた。
 かつては心柱が耐震に有効に働いているとの見方が強かった。それは先に述べた法隆寺の塔で心柱が地面から離れて宙づりになっていたことから、それが重りとして地震による建物の揺れを抑える制震構造だというものだった。しかし、心柱が礎石から立ちあがる塔の方が普通で、宙づりになっているものは少なく、そうした考えは支持されなくなった(図3)。

図3. 法隆寺aと東寺bの五重塔の断面図
屋根の構造が法隆寺の塔に比べて東寺の塔はかなり複雑になっている。

 最近は実際の五重塔についての観測とともに模型を使った振動実験もよく行われている。五重塔の固有振動を測定した実験ではその周期は地震のそれよりも大きく、また塔の高さと比例する、つまり塔が高いほうが周期が大きく地震の揺れに共振しにくいという。これは地震で多くの家屋が倒壊したのに高い五重塔だけが残ったという事実と符合する。また、模型実験で心柱が閂の作用で塔の倒壊を防ぐという知見も出てきた。各層は屋根の部分の井桁が心柱を取り囲むように組まれているが、与える振動を倒壊するほどまでに増大させていくと各層の井桁が心柱に接触離反を繰り返すようになる。しかし、塔全体は倒壊には至らず、心柱は閂のように働くというのである。のちに述べるように、各層は下の層の屋根の上に載っているだけである。そこで大きな地震が起きると各層は横にずれたり浮き上がったりするが、その井桁が心柱に当たってそれを防ぐというものである。こうした現象が起こりうることはすでに五重塔の構造から推測されていたが、それを模型実験で実証したものである。
 一方、模型実験で心柱と外側の建物の固有振動数に差がないことから、両方とも同じように揺れるので、心柱の効果を疑問視するものもある。それに関連して心柱ではなく周りの建物に注目した説が出てきた。
 五重塔は大抵初層しか入れない構造だが、先に述べたように内部に入ってみると須弥壇を囲む四天柱や外郭の側柱が太く、それらが場所をとっていて大変狭い。それぞれの柱は天井までしかなく、その部分で太い梁でつながれ、その上に2、3段の木組みを介してさらに太い梁が通っている。その柱と梁はほぞとほぞ穴の嵌合によって組まれている。四天柱、側柱をつなぐ梁を上からみると正方形の井桁になるが、塔の断面図からすると、そのような井桁が斗とか束とか呼ばれる木のブロックを介して数段重ねられてその上に屋根の支えとなる垂木が斜めに通されていることがわかる(図4)。四天柱上に組まれた井桁の上や垂木の上には第二層の四天柱、側柱を立てるための柱盤を置く木材が井桁に組まれ、それを土台にして初層と同様の仕方で第二層が組みあげられる。第三層以上も同じである。上層の柱は下層の柱より少しずつ内側に立てられるので、塔の重心を下げ中央に集めることになる。

図4.法隆寺の五重塔初層の屋根組み
A:心柱、B:側柱、C:四天柱、D:尾垂木、E:隅の尾垂木、F:隅木、G:出桁.
図右側:井桁(肘木)が二段まで組まれた状態、図左側:井桁が四段まで組まれた状態、この上に地垂木が組まれ、屋根の基本構造が完成する。
(西岡常一ほか:法隆寺より図の一部改変)

図5.法隆寺の五重塔の屋根の構造
A:心柱、B、B’:初層と第二層の四天柱、C、C’:初層と第二層の側柱、D:尾垂木、E:地垂木.

 つまり、各層は下の層の四天柱と垂木上の井桁に乗っているだけで、建物は全体として繋がっていない。ちょうど糸底の高い酒杯を重ねたような形である。地震で初層が揺れても上には伝わりにくい。この仕組みは法隆寺の塔の断面図をみるとよくわかるが(図5)、屋根の垂木は側柱を繋ぐ梁より外に張り出し、軒先として上に瓦が乗り荷重される。このとき垂木の梁より内側の部分には上方へ跳ね上がる力が働く。そこに上層の柱盤を置いて柱を立て建物が組まれると荷重されて均衡が保たれる。つまり垂木には梁を支点とした梃子の原理がいかされているのである。これによって地震で下層が右に傾いたときそちらの軒先、つまり垂木の外側が下がるが、その内側にある垂木が跳ね上がり上層の柱盤を突き上げて上層が左に傾く。同様なことがさらに上層にも起こり、結果として各層が互い違いに左右に揺れることになるが、そうして揺れが伝播する間に木材のほぞとほぞ穴による嵌合部分が緩むことでエネルギーが吸収されて減衰する、というわけである。実際、大地震のとき五重塔の各層の軒が互い違いに上下し、塔全体がくねくねした動きをしたという話がある。なお、東寺の塔は法隆寺のものと屋根の構造や柱盤の位置が異なり複雑に見えるが、上層の支え方は原理的に同じである(図6,7)。

図6.東寺の五重塔の屋根の構造
A:心柱、B、B’:初層と第二層の四天柱、C、C’:初層と第二層の側柱、D:尾垂木、E:地垂木、F:ひえん垂木、G:桔木(はねぎ)、H:野垂木.
第二層の四天柱、側柱はそれぞれ初層の四天柱上の桁、地垂木上の桁から立ち上がっている。法隆寺の塔よりも複雑な構造に見えるが、野垂木や桔木は屋根の反りを保つためのもので上層の支えには関係しない。

図7.東寺の五重塔の屋根の下面
A:隅の尾垂木、B:隅木、C:尾垂木、D:出桁、E:地垂木、F:ひえん垂木.

 また、地震の際に建物全体が基底部を支点として一種の振り子になり、心柱は上から吊られた振り子になり、両者が地震のエネルギーを吸収して制震効果をもたらすという二重振り子説というものもある。これは最初に挙げた説と同様、心柱が宙づりになっている場合はいいが、基部が礎石や初層の屋根に置かれたものについては説明がつかないだろう。
 ただ、地震の際にこのような心柱と建物との揺れの形を変えることで塔全体の揺れを抑えようとする考え方は東京スカイツリーの設計に見られる。その概要は、中央の階段室と呼ばれる円筒部と外側の鉄骨造りの塔本体とを分離し、円筒部上部に重りを設けることで地震の際の両者の振動のタイミングをずらす、つまり塔本体と重りの揺れを相殺させて全体としての揺れを抑制する制振システムを構成しているという。このスカイツリーの二重構造は五重塔の心柱と建物と殆ど同じである。そのためよく五重塔の心柱の働きが活かされているという。しかし、心柱の働きそのものがまだ明らかでないし、頂部に相輪などが載っているが十分な重りにはならないのでそれは当たらないだろう。スカイツリーと五重塔は形は似ているが制振のメカニズムは違うのではないか。
 というわけで、五重塔がこれまでの地震で倒壊しなかった理由は諸説あってまだ解明されていないが、心柱があることと建物の柔構造によって地震の揺れに柔軟に対応してきたことは確かである。

 さて、規模は違うが我々はいろいろな補綴装置を作り患者に装着する。その成功、失敗はそれが壊れることなく、生体を害することなく長く使用されたか否かで判定される。つまり使用期間の長さが成否の主な判定基準になっている。かつて歯の生理的動揺を重視する動きがあった。それによると、歯を連結することは個々の歯の生理的動揺を阻害するとして否定された。固定性のブリッジもその対象にされ、半固定にすべきとされた。その意見に従ったわけでなく支台歯の平行性が得られなくて半固定ブリッジを適用したところ、そのほとんどは数年後、固定部が緩み、支台歯の動揺が増大した。歯周組織を保護するどころか逆に傷害したわけで、補綴方法としてできるだけ避けるべきと思った。やがてそうした考えは影をひそめてしまった。

図8.醍醐寺の五重塔
951年の建立で三番目に古い塔。重厚感と屋根の反りが美しいが、構造は法隆寺の塔に近く桔木がない。

 パーシャルデンチャーについては、この道の大家と呼ばれた先生に偶々縁があって親しくして頂いた。あるときその先生の講演を聞く機会があったが、クラスプは支台歯にふわーっとかけるのが良いと言っていたのが印象に残った。具体的にどのようにすればいいのか判らなかったが、ワイヤーで緩く適合させるという意味と理解した。当時自分はクラウンブリッジの教室に入ったばかりで、クラスプとはそういうものなのかと思って拝聴した。のちにパーシャルデンチャーの教室を担当することになり、改めてこの補綴法を調べてみると、義歯として使われ始めたときから常に支台歯への対処の仕方が問題になり、如何に負担を少なくさせるかに苦心してきたことが分かった。やがて教室員の努力によって徐々にパーシャルデンチャーを用いた補綴法のあるべき姿が明らかになったが、とくにコーヌステレスコープが紹介されたことでそれはより明確になった。つまり、条件を整えたうえで義歯と支台歯とをしっかり連結することで歯列の一体化が得られ、長期にわたってよい状態が保てるということである。こうした方法は最も理にかなったものと今も信じているが、これを主張して間もなく、先の大家の先生の好意的だった態度は一変した。自分のこれまで築いてきた考えや方法が全く否定されたと思ったからだろう。以後ろくに話しをする機会もなく過ぎてしまった。

 いま五重塔の下に立ってその木組みの巧妙さに見とれ、よく何百年、いや一千年以上ものあいだ風雨にさらされ地震にも耐えてきたなと感心する(図8)。常に点検し補修を加え、時には解体修理したからこそ完成時の形が保たれているのだろうが、古い塔を見るたびにそのすごさに圧倒される。そして、当時の工人たちは叡智を尽くしてこれを製作したはずだが、これほど長くもつと考えていたかどうか。彼らが甦りこの五重塔の姿を見たとき、当然のことというか、信じられないというか、聞いてみたい気がする。でもそれはおとぎ話の世界で現実にはあり得ない。だからこそいま多くの専門家たちがその謎を明らかにしようとしているのである。
 そう考えたとき、我々が良しとしている補綴の考え方や方法、本当に正しいものなのか。長期間使用に耐えることが成功の評価基準だとすれば、そのような義歯について設計、構造、材料、支持組織の反応などの点で細かく検証すべきではないかと思い至った。なぜもっと早く気づかなかったのか、自分の愚鈍さに愕然とした。今頃気づいてもどうしようもない、後輩の人たちに任せる以外にないのである。いま良しとしている考え方は理論ではなく仮説である。それを検証して適切と判定されてこそ理論として成り立つのだと思う。
 陽が落ちて夕焼けの空を背景に灰色のシルエットとして浮かぶ五重塔の姿は大変美しい。いつまで眺めていても見飽きない。美しいものは機能的にも優れているという。五重塔は普段は静かだが地震や大風に十分耐えられる優れた機能をもっているのである。