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第3回 遊びさまざま その1

第3回から第5回まで「遊び」というキーワードをもとに,身近な遊びから咬合の中に潜む遊びの意味を考察していきます.

3部作の「その1」は,導入として一般的な「遊び」について論じます.


第3回 遊びさまざま その1 (2016年9月2日掲載)

 “遊びをせむとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば我が身さえへこそ揺るがるれ”、これは梁塵秘抄の今様の一節である。NHKの大河ドラマ平清盛でよく歌われていたので広く知られるようになった。嬉々として遊ぶ子供たちの声を聴くと童心が騒ぐといった大人の感慨を謡ったものである。

 自分が子供のころ東京の下町ではめんこ、ベーごま、缶けりなどが遊びの定番だった。戦時中だったこともあって鉄のベーごまは陶製になり、形を自分で調整するのが難しかった。学校から帰るとすぐ友達を誘って路地や原っぱでそんな遊びに夢中になったが、大声で騒いでいても誰にも文句は言われなかった。近頃は外で遊ぶ子供の姿はほとんど見かけない。子供たちは学校の帰りに友達と遊ぶ約束をして、帰ってから親の許しを得て電話で遊ぶ時間や場所を決める。場所はどこかの家や児童館、団地の建物の入り口辺りで、大体ゲーム機を使ってお互いが画面を見つめて勝敗を競っていたりする。たまに団地の広場でドッジボールなどしていることがあるが、大声で騒ぐと近所から苦情が出る。だから子供はあまり大声をたてない。

 さきの一節に次いで、“舞え舞え蝸牛 舞わぬものならば馬の子や牛の子に蹴させてん踏み破せてん 真に美しく舞うたならば華の園まで遊ばせん”、というのがある。かつては東京の住宅地にも梅雨時には大きな蝸牛がよくいた。とんぼや蝶、蝉などもごく普通にいて、捕虫網や鳥もち竿をもって追いかけたりした。近くの池や川には蛙やどじょう、ざりがになどを採りに行った。こうした小動物が身近にいて捕まえては、この謡どころではない悪さをすることがあったが自然とそれらの体の仕組みや生態を知るようになった。今はとんぼや蛙など見かけなくなり、そんな遊びはできなくなってしまった。

 ところで遊びって何だろう。定義すれば生活するのに欠かせない仕事や強制される作業以外の、気が向くままに楽しいと感じられる行動とでもいえようか。就学前の子供たちは遊びが日課である。朝から晩まで好きなように、自分がしたいようにしている。学校に行くようになると勉強や宿題を課される。それはほとんどの子供にとって嫌なことで仕方なくやっている。だから親が言わなければ学校から帰ると宿題などはそっちのけで、すぐ友達と遊ぶのに飛び出してゆく。そこですることは何であれ強制されない楽しいことである。

 大人も遊びをする。大人は生活するため仕事が第一である。それが楽しいものなら遊びと同じかもしれないが、つらく嫌な仕事であっても生活のためにはするしかない。さらに社会的な責任があり、義務的な仕事もある。遊びはその余暇にすることになる。

 現役から退くと余暇は多くなる。かつて定年退職した先輩たちに余暇をどうしているか尋ねたことがあったが、自分がその立場にたつと後輩たちから同じような質問をよく受ける。そんな時きまって遊んでいると答える。すると相手は何をして遊んでいるかと聞く。確かに遊ぶというのは漠然としていて具体性がない。ゴルフやボーリング、釣りなど、それらは遊びというよりもスポーツかもしれないが、絵画や音楽、演劇や映画の鑑賞、読書、庭いじりなどは、遊びの中でもしゃれていて人に誇れる遊びだろう。囲碁、将棋、マージャン、野球やサッカーの観戦、競馬、カラオケとなると庶民的である。女性では料理や手芸、買い物なども遊びの仲間になるかもしれない。趣味という言葉があるが、こうした遊びの中で特に好きで比較的頻繁にするものということになるだろう。というわけで、遊びの内容はさまざまである。

 ただ、好きな遊びは人によって違う。先に言ったように勉強は字のごとく強制されるもので普通楽しくない。しかし、それが楽しく、遊びだという人も稀にはいる。逆に、大抵の人が楽しいというカラオケやマージャンなどが苦痛で遊びにはならないという人もいる。自分はその類だが、韓国に行ったときしきりにカラオケに誘われた。日本人は皆カラオケが好きでよく行ったからとのことだった。

 終戦の翌年、疎開先から一人東京に戻り、知人の家の一間を借りてそこから中学に通っていた。その辺りは戦災を免れた古い家ばかりだったが、駅まで行く途中には間口一間半ほどの新しい小さな店が道路の両側に並ぶ奇妙な一角があった。朝学校へ行くときにはその入り口は閉っていたが、午後帰ってくるときには開いていた。しかし、何か売っている様子はなく、一段高くなった小さな座敷の奥で若い女性が鏡台に向かって化粧をしているのが時折暖簾越しに見えたりした。夕方になると入り口には赤い電灯がつき、厚化粧して派手な着物を着た女性が立っていて、時々“坊や、チョコレートあげるから寄っておいでよ”なんて声をかけてくる。ドキッとして聞こえないふりをして足早に通り過ぎた。食糧難でお米などは全く手に入らず常に飢えている中学生にはチョコレートは大変魅力的だったが、暗くなるとそのあたりをうろつく進駐軍の兵士や得体のしれない若者が女性に腕を掴まれて中に連れ込まれるのを見たりすると、怖くてとても近づく気にはなれなかった。帰りが遅くなった時には仕方なく遠回りして帰るようにした。この一角は男の夜の遊び場だったのである。こうした場所は当時繁華街周辺にはよくあった。入学した高校は当時新宿駅南口の近くにあったが、道路一つ隔てた処にはそんな店が大量に軒を連ねていて、生徒は近づかないよう言われていた。それらは1956年法律によって全廃された。というわけで、大人の遊びには誇らしい遊びもあれば公にしたくない遊びもあるということが分かった。

 しかし、誰もいま挙げたようないろいろな遊びをいつもしているわけでなく、毎日何となく過ごしていて、たまにそうした遊びをするというのが普通だろう。遊んでいると答える自分はとなると、たまに気が向くと絵をかいたり、こんな雑文を書いたりすることもあるが、殆どはテレビをつけてぼやっと見ていたり、新聞を斜めに目を通したり、陽気が良いとふらっと外に出かける、そして気が付くと暗くなり一日が終わってしまうということの繰り返しである。それらはもちろん仕事ではなく遊びでもない無為の過ごし方ということになるだろうが、言いようがないので格好をつけて遊んでいるというだけである。

 兎に角、人の遊びには善かれ悪しかれ際限はないらしい。それは生活するうえで不可欠ではないが、その楽しさによって心身のリラックスに必要だろう。古来自然発生的に出来てきたと思われるが、遊びは楽しむのが目的だからでそれで何か得をするということはまれである。大体はお金がかかる。古典落語には大店の若旦那が遊びに夢中になり勘当されたり、身上をつぶしたりといった話があるが、遊ぶ金欲しさに犯罪に走るなんてことは今日でも日常的にある。自他に支障をきたすようでは困るので、遊びはほどほどが肝要だろう。