分子代謝医学分野

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研究内容

ライフスタイルの欧米化に伴って肥満、糖尿病、高血圧、脂質異常症、動脈硬化性疾患などの生活習慣病の罹患率は増加の一途を辿っており、国民医療の観点からもこれらの疾患の克服は極めて重要な課題です。特に、内臓脂肪型肥満を背景として耐糖能障害、脂質代謝異常、血圧上昇を同時に発症するメタボリックシンドロームは、動脈硬化の前駆段階として注目されており、2008年の国民健康・栄養調査により2000万人以上と推定されています。メタボリックシンドロームの成因の解明と新しい治療戦略の確立は、超高齢化社会を迎えつつあるわが国の国民の健康、医療、福祉の向上に不可欠なものと考えられます。

メタボリックシンドロームの概念は、内臓脂肪蓄積を起点として、脳、脂肪組織、骨格筋、肝臓、腎臓、膵臓、心臓、血管などの全身臓器の機能不全が並行して進展するという流れを指摘したものであり(図1)、臓器別の詳細な病態解明とともにメタボリックシンドロームの発症・進展の背後に存在する複雑かつ巧妙な臓器代謝ネットワークとその破綻の臓器横断的理解が重要です。私たちの研究室では、メタボリックシンドロームあるいは多くの生活習慣病に共通する分子基盤として「慢性炎症」(図2)と「エピジェネティクス」に注目し、以下の研究課題に取り組んでいます。

微生物感染に代表される「急性炎症」と同様に、メタボリックシンドロームや多くの生活習慣病の病態に炎症性サイトカインや免疫細胞が関与することは良く知られていますが、これらの疾患における持続的な炎症反応(慢性炎症)の実体は明らかではありません。従来、急性炎症の5主徴として、発赤(Rubor)、発熱(Calor)、腫脹(Tumor)、疼痛(Dolor)、組織の機能不全(Functio laesa)が広く受け入れられていますが、「慢性炎症」の分子機構は、急性炎症とは質的に全く異なっており、単なる急性炎症の繰り返しや持続化では説明できません。

慢性炎症では、長期にわたるストレス応答により各臓器の機能を担う実質細胞とその隙間に存在する間質細胞の相互作用が遷延化し、本来可逆的な適応反応の破綻により不可逆な「組織リモデリング」を生じて臓器の機能不全や種々の疾患をもたらすと考えられます。最近では、ストレスあるいは傷害を受けた実質細胞より放出される自己由来成分(内因性リガンド)とマクロファージなどの間質細胞に発現する病原体センサーの相互作用により誘導される慢性炎症として「自然炎症」の概念も提唱されています。例えば、肥満の脂肪組織では、実質細胞である脂肪細胞より放出される飽和脂肪酸が間質細胞であるマクロファージに発現する病原体センサーTLR4を活性化することにより、「悪循環」を形成して炎症反応が持続化しますが(脂肪組織リモデリング)(図3)、これは自然炎症のプロトタイプと考えることができます(図4)。私たちの研究室では、メタボリックシンドロームや生活習慣病における慢性炎症の分子機構の解明と新しい診断・治療戦略の開発に関する研究を推進しています。

【参考文献】

  • T. Suganami & Y. Ogawa. Adipose tissue macrophages: their role in adipose tissue remodeling. J. Leukoc. Biol. 88:33-39, 2010.
  • 小川佳宏、真鍋一郎、大島正伸、竹田 潔(編集):「慢性炎症-多様な疾患の基盤病態」実験医学 増刊 2010年
  • 小川佳宏(編集):「異所性脂肪:メタボリックシンドロームの新常識」日本医事新報社
  • 小川佳宏(編集):「慢性炎症の分子プロセス」実験医学 特集2010年7月号
  • 菅波孝祥、小川佳宏:「メタボリックシンドロームと自然炎症」 実験医学  28:1717-1723, 2010.
  • 水島 昇、小川佳宏(編集):「栄養に応答する細胞シグナル:細胞生存、糖尿病、肥満,癌とのかかわり」細胞工学 特集2009年8月号
  • 菅波孝祥、小川佳宏:「遊離脂肪酸のセンシングと細胞応答 メタボリックシンドロームの病態形成における意義」 細胞工学 28:801-805, 2009.

生活習慣病は環境因子と遺伝素因の複雑な相互作用により発症する代表的な多因子疾患です。肥満や糖尿病には、単一遺伝子変異により発症する頻度が低いものと疾患感受性を付与する一塩基多型(SNPs)が関連する比較的頻度の高いものがあります。一方、塩基配列の変化を伴わないものとして、種々の外的要因(環境因子)によりもたらされる後天的なゲノム修飾(DNAメチル化、ヒストンメチル化・アセチル化など)による遺伝子発現制御(エピジェネティクス)の機序が注目されています。

多くの疫学調査や動物モデルを用いた研究により、胎児期~新生時期の栄養環境が何らかの形で記憶され(エピゲノム記憶・メタボリックメモリー)、これが成人期に発症する生活習慣病の「かかり易さ」に関連する可能性が提唱されています(Developmental Origins of Health and Disease)(図5)。器官が形成される胎児期あるいは個体の成長が著しい新生児期は、個体の一生を通じて全身臓器の可塑性が最も高い時期であり、胎生期~新生児期の環境因子の変化がどのようにしてエピゲノム記憶されて成人期の慢性疾患の発症に関与するのかを解明することにより、エピゲノム記憶を標的とする新しい医学応用が期待されます。私たちの研究室では、DNAメチル化に焦点を当てて、メタボリックシンドロームあるいは生活習慣病のエピジェネティクス制御の分子機構に関する研究を推進しています。

【参考文献】

  • S. Yura et al. Role of premature leptin surge in obesity resulting from intrauterine undernutrition. Cell Metabolism 1:371-378, 2005.
  • 亀井康富、江原逹弥、小川佳宏「代謝疾患とエピジェネティクス」実験医学 28:203-208, 2010.
  • 亀井康富、江原達弥、小川佳宏:「生活習慣病のエピジェネティクス」 細胞工学 28:528-533, 2009.

メタボリックシンドロームの概念の普及とともに、なぜ太るのか、やせるためのダイエットの手法、抗肥満創薬など肥満に関する話題には事欠きません。一方、肥満症治療の基本はダイエットによる減量ですが、首尾よく成功してもしばしばリバウンドを経験します。長い飢餓の時代を生き抜いてきた人類は、全ての身体機能を総動員して低栄養状態に対して「飢餓応答」するためです。飢餓時の骨格筋において誘導される転写因子FOXO1は骨格筋委縮を誘導しますが、この過程でオートファジーなどの蛋白分解によりアミノ酸が放出され、肝糖新生の基質として利用されて低血糖を是正します(図6)。脂肪組織より分泌されるレプチンの減少に伴う視床下部-下垂体-副腎系(HPA axis)の賦活化による糖質コルチコイドの増加も飢餓応答の一つです(図7)。

近年、若い女性の強い「やせ」願望により、やせている女性の割合は、20歳代、30歳代の若い世代で年々増加しており、「やせすぎ」が深刻な社会問題です。神経性食欲不振症などの中枢性摂食異常症の予備軍も30年前に比較して確実に増加しており、医療経済的にも大きな社会問題になっています。厚生労働省の難治性疾患克服研究事業「中枢性摂食異常症に関する調査研究(代表研究者:小川佳宏)」は、「摂食障害のプライマリケアを援助する基幹医療施設のネットワーク」を形成し、対症療法しかない難治性疾患である中枢性摂食異常症の成因の解明から疫学調査、予防法・治療法の開発を目指しています。私たちの研究室では、飢餓応答とやせの分子機構の解明とこれを標的とする新しい医学応用に関する研究を推進しています。

【参考文献】

  • Y. Yamazaki et al. The cathepsin L gene is a direct target of FOXO1 in the skeletal muscle. Biochem. J. 427: 171-178, 2010.
  • 小川佳宏(編集):「やせとアディポサイエンス」アディポサイエンス 特集2011年3月号
  • 亀井康富、杉田 聡、服部真季、小川佳宏:「飢餓における骨格筋代謝調節」 アディポサイエンス 24: 29-33, 2011.
  • 小川佳宏(編集):「やせの医学」 Pharma Medica 特集2009年10月号
  • 亀井康富、小川佳宏:「骨格筋機能とFOXOタンパク質」 生化学 80: 1026-1029, 2008.

脳血管障害、虚血性心疾患、閉塞性動脈硬化症などは、糖尿病や脂質異常症などの代謝疾患における主要な死因であると同時に、寝たきりや足壊疽などにより患者の生活の質(QOL)を著しく損ないます。動脈硬化症や血管攣縮などの「血管病」の最上流には、NO産生能の減弱や血管新生能の低下などの血管内皮の機能異常が存在します。高血糖、インスリン抵抗性あるいは脂質異常症では内皮機能障害が早期に出現するため、これらの代謝異常がどのようにして血管内皮障害をもたらすのかを理解することは重要な課題です。

骨格筋や肝臓などの代謝臓器では、過栄養、飢餓、低酸素、運動などのエネルギー環境の変化に対応するために、エネルギー産生機構(酸化的リン酸化、脂肪酸酸化、ミトコンドリア生合成、糖新生など)を制御する転写調節機構が存在します。代謝異常によりもたらされる血管内皮機能障害においても、同様の代謝応答性転写調節機構が重要な役割を果たすと考えられます(図8)。一方、血管は、単に臓器に酸素・栄養素を供給するのみならず、内皮細胞に由来する液性因子(パラクリンシグナル)や血管新生そのものにより、代謝臓器の機能を積極的に調節することが明らかになってきました。私たちの研究室では、血管と代謝臓器のダイナミックな機能連関と代謝疾患における血管合併症に焦点を当てて、血管病と代謝疾患の成因の解明と血管を標的とする治療法に関する研究を進めています。

【参考文献】

  • N. Sawada et al. Rac1 is a critical mediator of endothelium-derived neurotrophic activity. Sci. Signal 2: ra10, 2009.
  • N. Sawada et al. Novel aspects of the roles of Rac1 GTPase in the cardiovascular system. Curr. Opin. Pharmacol. 10: 1–6, 2009.
  • 澤田直樹:「循環器疾患と細胞骨格−血管内皮Rac1の機能に関する新知見−」 分子細胞治療 8: 15-20, 2009.