杉田 直のボストン留学記
はじめに
みなさんは長い自分の生涯の中で、海外で暮らしてみたいと思った事ありませんか?私は大学生の頃、ただ漠然とアメリカに住んでみたいという想いがありました。幸運にも2001年の11月から2年半の間、アメリカのボストンに留学するチャンスがありました。今思うに色々な意味で“自分の人生の中で最高の経験”をしました。たぶん、私の医者人生はこれから何年も続くはずですが、これ以上のすばらしい経験はないかもしれません。この<ボストン留学記>は医師を含む社会人になった人のアメリカ留学に対する情報として参考程度にして頂ければと思っています。
研究について(ハーバード関連眼研究所での仕事)
私は医者になってすぐに大学院医学博士課程に進学し、普通の医師よりは早めに研究を初めていましたので以前より留学の話がありました。話が初めて来たのは2000年頃でもともと眼免疫を研究していた私はそれらを応用出来る場所を希望していて、それを考慮してくれた教授がボストンのハーバード関連眼研究所の一つ、スケペンス眼研究所(Schepens Eye Research Institute)のDr. J. Wayne Streilein宛にコンタクトしてくれて、履歴書を評価してもらい留学が決定しました。そのDr. Streileinは我々の分野ではかなり有名な方で人間的にもすばらしく、特に眼の免疫抑制機構(Ocular immune privilege、ACAID、角膜移植など)での業績は世界でトップの方でした。実際の渡米は2001年の11月初旬で、2年間のビザ(J1 Visa)を所得して行きました。初めてその研究所(写真1)に行った事を鮮明に覚えていますが、のんびりした普通の所で、朝10時になっても人がいなくて10時半頃ぱらぱらと人が集まり仕事を始めていました。後で気づいたのですが向こうの人(特にアメリカ人や南米の人)はあまり日本人の様に仕事をしません。与えられた最低限の事をのんびりやります。がむしゃらに遅い時間まで働いていたのは日本人と一部の中国人だけでした。Dr. Streileinはもちろん快く私を迎えてくれて、初めて握手した時の大きくて分厚いその手の感触を今でも覚えています。その初日にはGroup meetingがあり参加しましたが、英語が全くわからず振られたらどうしようなんて思いながら参加していました。我々のグループだけではないのですがハーバード関連の研究所には多くの外国人が来て研究しているのです。私たちのグループだけでも日本人、ドイツ人、中国人、韓国人、コロンビア人、イギリス人、インド人、ブラジル人などとまるでワールドカップ状態でした。meetingでも、お世辞にも上手とは言えない英語が飛び交っていましたが、みんな頭が切れる強者ばかりでした。日々みんなのレベルの高さに驚かされる毎日で世界は本当に広いなあって思っていました。最終的には2年半そこの研究所で働かせてもらえてとても幸せでした。仕事の内容もおもしろく興味深いものばかりで(ぶどう膜炎の研究の項参照)、研究費もある程度自由に使わせてもらえて、もちろん研究する時間も内容も自分で管理していました。Dr. Streileinとの週一度のPersonal meetingも楽しくいろんな事を丁寧に指導してくれました。またラボのメンバーが多国籍軍でしたので、色んな国の文化を肌で感じる事が出来たのも自分にとっては大きかったです。それにいい人が多かったですし、色々気遣ってもらっていました。留学中の仕事が楽しく快適に出来るかどうかはボスやそのメンバー意外と重要ではないでしょうか。もちろんそれにある程度の研究成果が伴えば最高でしょうけど…。最後に2004年3月15日急死されました我々の尊敬するボス、Dr. Streileinに深い感謝の意を述べさせて下さい。彼の意思は今なお世界中の多くの研究者達に間違いなく引き継がれています。
ボストンでの私生活
アメリカのボストン市は東海岸ニューヨークの近くのマサチューセッツ州にあり、言わずと知れた学問の街です。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学など多くの世界的に有名な大学があり、各国から優秀な学生、研究者が集まって来ています。ボストンと言って皆さん最初に思い出すのがボストンマラソンではないでしょうか?(写真2)参加者は2万人以上で市民マラソンではないのでレベルの高い大会で、コース的にも有名な“心臓破りの坂”などがあり難関と言われているコースです。無謀にも私はフルマラソンにチャレンジしました。最初は軽い気持ちで応募、参加しましたがランナーのレベルの高さと沿道の応援のすごさに圧倒されていました。サッカーをしていたのである程度体力には自身があり望んだのですが、とにかく辛いの一言でした。長いし、坂が多いし、途中なんで走ってるんだろうという感じで…。しかし、最終的には5時間弱で無事完走しました。その時の感動は一生忘れません。その後完走の感動を覚えた私はニューヨークマラソンにもチャレンジしました。ボストンマラソンとはまた違い、この時は辛い事よりも楽しく走れました。橋の上から見えるマンハッタンの風景はすばらしかったし、市民マラソンなのでみんな遊び感覚で走っている人もいっぱいいたし、沿道の聖歌隊もとても美しかったです。フルマラソン完走は私の個人的な留学経験の中で最も印象深い楽しいものでした。日本に戻ったらもうこういう経験はできないでしょう。
留学生活はみなさん口を揃えるように楽しいといいますが、ボストン生活においていくつかストレスを受ける事がありました。一つは、お金の問題(医者の留学の場合)、もう一つは言葉の問題(もちろん個人差あり)、それとボストンの場合は冬の寒さです。とにかく寒かったです。南国宮崎生まれ、育ちの私はとにかく寒いのが嫌いで初めて寒冷ストレスを経験しました。一度大雪が降ると気温が低いために解けないし(写真3)、チャールズリバーという大きな川が何ヶ月も凍る程とても寒いのです。初めてマイナス30度を経験した日は外を通勤で歩くだけで危険を感じました。それでもボストン市民はがんばってスキーやスケートなどウインタースポーツに出かける人達がいます。私たち家族は子供のスケートにボストンコモン(ボストンダウンタウンの大きな公園)に行ったり、裏庭でそりをしたり、雪だるまを作ったりしていました。ボストン日本人サッカー同好会に所属していた私はハーバードの庭の凍った芝生の上でサッカーしたりもしてました。またボストンに留学したいのですが、寒さだけは一生慣れない気がします。
留学生活の楽しいイベントの一つにホームパーティーがあります。日本ではほとんど経験のない家族ぐるみのお付き合いとして多くのホームパーティーに行かせて頂きました。ボスのDr. J. Wayne Streileinはアメリカ人なので当然みんなで集まってパーティーなどするのが大好きで、私たちも家族で呼ばれて遊びに行きました。静かな海の近い小さな街に大邸宅があり、これぞまさにアメリカンドリームと言った感じでしょうか。家の裏にはプライベートビーチがあり、グランドピアノやビリヤード台が置いてある大きな家でホームパーティーがありました。その時に彼が披露してくれたピアノの腕前に驚かされた事を鮮明に覚えています(写真4)。それ以外でもボストンはとにかく日本人が多いので、医者の家族以外に多くの企業のご家族と知り合いに慣れて、家族ぐるみのお付き合いをして頂きましてました。夏は外でバーベキューをして遊んだり、冬は家に招いてホームパーティーをしたりとにかく楽しかったです(写真5)。帰国した後はみなさんなかなか時間が取れなく集まる機会が減り残念です。
ホームパーティー以外でもアメリカには子供を楽しませるイベント文化が多く存在します。何と言っても日本と違うのは子供のための誕生会じゃないでしょうか?その日だけはシンデレラやアニメのヒーローのようになれるので子供にとってはクリスマスよりも楽しみなイベントみたいです。とにかくスケールが違いますが、大きな会場を貸し切ったりして行うのが普通みたいです。娘が実際体験したのは映画館を貸し切ったところで映画を見たり、ぬいぐるみの工場へリムジンで行ったり、子供博物館で遊んだりととにかく色々招待され参加していました。我が家も娘の8歳の誕生日を大きなパーティーができる場所を借りて行いました(写真6)。最初にジャングルジムのようなところで1時間遊んでその後でパーティールームに移って誕生会をしました。とにかく喜ぶのがゲストからもらえる大量の誕生日プレゼントで、みんなの前で一つずつ空けて披露するのが嬉しそうでした。親は準備とかが大変ですが、子供の一生の思い出にとみなさんがんばってやっています。その他、10月末のハロインパーティー(写真7)、サンクスギビング、クリスマスと冬場でもイベント盛りだくさんでした。
留学の大きな楽しみの一つに色んな場所へ旅行できる事があります。郊外へショッピングに出かけたり、全米の観光スポットやカナダなどへ遊びに行ったりととにかくいい思い出ばかりです。あるいはバハマやジャマイカなどの日本からならば遠いカリブのリゾートにも国内旅行感覚で行けるのがよかったです。ボストンからはカナダとアメリカの国境のナイアガラの滝が以外と近く、車で家族と一緒に行ったのも印象的でした。これは行った人にしかわかないと思いますが、実際目の前で見たナイアガラの滝は想像していたよりも遥かにすごくてきれいでした(写真8)。カナダ側は観光化されていますが、自然のすごさに驚くばかりでした。もう一つ楽しい思い出にタングルウッドでのクラシックコンサートがあります。タングルウッドというボストンの郊外に家族で行き、芝生席にてピクニック気分でクラシックコンサートを聞くのですがとても楽しかったです。ちょうど私達の滞在中にボストン交響楽団の最後の小沢征爾の指揮を見る事ができてとても感激でした。旅行以外では、紅葉見物、SL機関車乗車(写真9)、野球やバスケなどのスポーツ観戦などなど色んな体験をしました。日本にいては出来ないような事色々できてとにかく良かったです。最後にボストンレッドソックスワールドチャンピオンおめでとうございます。ヤンキースに負けないようこれからもずっと応援しています。
最後に
冒頭で留学は“自分の人生の中で最高の経験”をしたと書きましたが今はそれらの事がとても懐かしく思えます。日本にいると毎日時間に追われ、あっという間に毎日が過ぎて行きます。この2年半の充電期間が今のモチベーションになっていますし、やはり考え方が大きく変わりました。これを読まれている方の中でもし留学をするチャンスがあれば個人的には強くお勧めしたいです。もちろん言葉や文化の違いに初めは確実に戸惑いますが、トータルで考えるととても良かったです。感じた事は、日本は狭い、世界はとにかく広いというところでしょうか。
研究所の正面玄関前にて(写真1)
ボストンマラソンの風景(写真2)
ボストンの冬はとにかく寒いです(写真3)
ボスのホームパーティーにて(写真4)
自宅のホームパーティーにて(写真5)
娘のお誕生会(写真6)
ハロウィーンパーティー(写真7)
ナイアガラの滝(写真8)
コネチカットのSL機関車(写真9)