(1)教育プログラム開発の動機および背景
医学・歯学教育は、臨床実習教育カリキュラム(5〜6年次)と、その準備段階である前臨床実習教育(1年次〜4年次)から構成され、このうち社会が求める全人的医療を適切に実践できる医師・歯科医師を育成するには、とりわけ臨床実習が重要である(資料−1:医歯学教育の構造)。しかし、従来の臨床実習は学生が指導医のそばで見学する見学型臨床実習が多く、学生が卒業時点で十分な診療能力を身につけておくことは期待できなかった。このため、臨床技能の習得は卒業後の臨床研修に頼らざるを得ず、このことが医療体制の不備につながる要因の一つになっている。
こうした背景を踏まえ、臨床実習の参加型への改善が1987年に文部省から提言され、さらに学生が診療に参加するための条件が1991年に厚生省から示された。しかし、現在においても、臨床実習が十分に改善できたとは言えない。その原因としては、診療参加型臨床実習を行うのに相応しい教育カリキュラムが整備されていないこと、学生に十分な能力が確保されていないこと、指導者に臨床実習指導方法が備えられていないことなどが上げられる。臨床実習において診療に参加できる能力を学生が十分に習得さえしていれば、臨床実習での安全性が確保されるとともに、学習者である学生が全人的医療を実践できる態度、知識、技能を着実に積み上げていくことが可能となる。卒業前にできるだけ高い診療能力を養えば、当然、卒業後の臨床研修での学習効率も向上し、ひいてはわが国の医療レベル全体の向上にもつながる(資料−2:わが国の医学教育の流れ)。
そこで、本教育プログラムでは、臨床実習を開始する医学生・歯学生を対象に、態度・知識・技能の修得を適正に評価する共用試験システムを構築し、十分な能力を持った学生に効率よく臨床実習を行い、卒業前に十分な診療能力が習得できるよう企画した。
(2)教育プログラムの目的・目標
全国108医学部・歯学部が協力して、臨床実習開始前に学生が臨床実習に進むに足る基本的臨床能力を備えているかどうかを適正に評価するための共用試験を実施し、学生の能力を適正に評価した上で参加型臨床実習が円滑かつ効果的に実践できることを目的とした。そして、臨床実習中に学生が全人的医療の実践に必要な能力を身につけることを目標とした。
共用試験では、参加型臨床実習を行うのに必要な知識はComputer-Based Testing(CBT)で、態度、技能は客観的臨床能力試験(Objective Structured Clinical Examination: OSCE)で評価する。
CBTは全国医学部・歯学部教員が作成し、精選しブラッシュアップした問題をプールし、学生にランダムにコンピュータ画面で出題される形式をとる。臨床実習では幅広い知識が要求されるので、基礎医学から臨床医学全般を統合した問題を出題し、全人的医療を実践するのに必要な知識の有無、さらに基礎知識を解釈し応用できる能力を問う(資料−3:CBTの仕組み)。とくに共用試験のために新たに開発した順次解答型試験問題は、学生が診療を行う実際の場面を想定し、基本的臨床的能力の有無を適正に評価する新しい試験形式である。
一方、OSCEでは、学生が医療面接、身体診察、基本的検査手技、基本的治療手技などの試験会場(ステーション)を次々に回り、評価者の前で実技を行って、その実技に対する評価を受ける。医療面接では、標準模擬患者といわれる患者役を演じる人を患者に見立て、患者に接する態度、話しかけて必要な情報を得ることができるかどうかを評価する。つまり、OSCEでは、臨床技能だけでなく、患者への配慮などの態度面での評価も行うことができる(資料−4:OSCEとは)。
CBTとOSCEの2つの共用試験に合格した学生は、臨床実習を受けるための基本的臨床能力を有していることが保証され、参加型臨床実習で全人的医療を実践するためのトレーニングを受けることができる。
(3)教育プログラムと大学病院の理念・目的との関連
本大学病院では、安全良質な高度・先進医療を提供し続ける社会に開かれた病院を基本理念として、(1)患者中心の良質な全人的医療の提供、(2)人間性豊かな医療人の育成、(3)高度先進医療の開発と実践、(4)国民のニーズに応える開かれた病院を目標に医療活動を行っている。さらに、プライマリケアを始め、全人的医療の実践を行うとともに、医学生、臨床研修医の教育を行い、国民のニーズに応える医師を育てる教育を活発に行っている。今回実施する教育プログラムは、医療を受ける患者を中心とした全人的医療を実践する医学生、歯学生を教育するもので、まさしく大学病院の理念・目的に適うものである。
(4)全人的医療を行える医療人としての学識や能力向上との連関
幅広い臨床能力を有し、かつ病める患者の心情を十分に理解した上で医療を行う医師、歯科医師を育成するためには、医学部および歯学部で十分な臨床実習を行い、その期間中に学識および能力を培うことが求められる。臨床実習では、学生が医療チームの一員として医療に参加して主体的に実習活動を行うことが重要であり、学習効果も期待できる。ただし、参加型臨床実習を受ける大前提として、学生が患者を思いやり、かつ医療チーム全体と協調性を保つ態度、十分な知識、そして基本的な医療を行える技能を身につけておかねばならない。共用試験は、学生がこれらの基本的臨床能力を習得できているかどうか評価するもので、評価試験を受けることにより学生の学習意欲の向上が期待できる。さらに、評価を受けた学生のみが参加型臨床実習に参加することで、医療の安全が保たれ、学生にとっても臨床トレーニングを効果的に受けることができる。
(5)独創性ならびに新規性
臨床実習を受ける医学生、歯学生全員に全国規模で共用試験を実施し、これに合格した者だけが臨床実習を受けるプログラムは従来まったくない。また、学生の基本的臨床能力を問うために新しく開発している順次解答型試験問題を作成し、かつ各大学の教育カリキュラムに試験日程を柔軟に対応できるシステムを構築しているなど、欧米の制度にもない新規性がある。この教育プログラムは、将来的には医療に携わる専門職員を養成する薬学、看護学など、多くの教育にも応用できると期待される。
(6)既存の教育プログラムとの比較
従来の学生評価は、主として講義および実習を担当した教員が試験を実施し、評価するものであった。しかし、この評価システムでは、教授した内容しか評価できず、全人的医療の実践に必要な幅広い学識、能力を評価することはできなかった。学生にとっても、教員に教わった内容さえ理解すれば良いというような偏向も生じていた。また、従来の試験問題自体も、客観的に公正に学生の能力を問えるかどうかは疑問があった。
共用試験では、全国の医学部、歯学部教員から幅広い領域での問題作成を依頼し、かつブラッシュアップを入念に行って、学生の能力を客観的かつ公正に評価できるシステムである。コンピュータを駆使したCBTでは、良質の問題をプールし、プールされた問題から出題する方式が行える。また、各学生にはランダムな問題が出題できることから、各大学の教育カリキュラムに柔軟に対応した試験体制を取ることもできる。OSCEでも、学内の教員が評価するだけでなく、他大学の教員が評価者に加わることで、より公正な評価を行うことができる。
さらに、共用試験で評価し、適正な知識・技能・態度を持つ学生のみを臨床実習に参加させるという方式は、参加型臨床実習を円滑かつ安全に実施する上で意義深く、全人的医療を実践できる医療人を育成するのに最適のプログラムである。
(7)プログラムへの教職員、学生の関与
共用試験は、全国医学部、歯学部の教員が問題を作成し、良質の問題をプールしている。また、共用試験は全国規模で行われるだけに、試験の準備、試験の運営など、医学部学務課・歯学部総務課を中心とした職員の参加が必須であり、全学の教職員を上げて実施する体制が確保されている。学生は共用試験を全員が受験し、かつ合格しなければ臨床実習を受けることができない。