英文講読II

English for Nursing II

 

遠 藤 朋 之

 

1 科目の概要

人間のsexualityの問題を中心に据え,それにまつわる問題を英語で読み解きながら,AIDS,transsexual,その他の問題にまつわる差別を考え,それが医療にもたらす問題を考える。

 

2 教育方針・教育目標

差別は意識下の問題である。なぜ,日本では男女が結婚すると男が「主人」で,女は「奥さん(もちろん,家の奥にいる人,の意味)」なのか? なぜ,「人夫(ひとおっと)」とは言わないのに「人妻」とは言えるのか? なぜ,皆さんくらいの年の女性が赤ちゃんを見て「かわいい!」と言うと「母性本能」とされ,同じような年齢の男性が似たようなことを言うと,「結婚願望が強い」になるのか? こういった問題は,通例sexualityの問題,と呼ばれる。この講座では,普段当り前だと思っているsexualityについて,英語で書かれた物を読むことにより,いくつかの観点から光りを当ててみたい。わかりやすい言い方をすれば(当講座の担当者はこの表現が嫌いではあるが,わかりやすいので使わせてもらう),「クサいものにされているフタをはずす」のがこの講座のねらいのひとつである。そうすることにより,多様な人間を相手とする医療の現場におけるsexualityの問題を考えるきっかけにすることが,当講座の目的である。

「性」の問題は、誰もか避けて通ることのできない問題である。当然、患者となる人にも sexuality はある。そして受講者である人、さらに当講座の担当者であるわたしにも、避けることのできない問題である。そのsexualityを,社会が要求する「性役割」よりも,人権を優先させたかたちで考えてみたい。

 

3 教育内容

回数

日 時

内  容

担当者

1

4/7(水)

2

ガイダンス

遠藤朋之

2

4/14(水)

2

Transsexualについてのビデオ

3

4/21(水)

2

「経口避妊薬認可」についてのJapan Quarterlyからのエッセイ

4

4/28(水)

2

同 上

5

5/12(水)

2

同 上

6

5/19(水)

2

同 上

7

5/26(水)

2

同 上

8

6/2(水)

2

同 上

9

6/9(水)

2

「日本の広告における男女差別」についてのJapan Quarterlyからのエッセイ

10

11

6/16(水)

1,2

同 上

12

13

6/23(水)

1,2

同 上

14

15

6/30(水)

1,2

同 上

テスト

〔単位〕必修1単位

〔場所〕第2講義室(3号館9階)ほか

 

4 教科書・参考書

特に指定しない。毎回プリントを配布する予定。しかし,学校のfacilityを有効利用する意味で,インターネットのアドレスを指定して,そこから皆さんにダウンロードしてもらうときもある。

参考書としては,入門書として,若桑みどり著『お姫様とジェンダー』(ちくま新書)、大越愛子著『フェミニズム入門』(ちくま新書)と上野千鶴子著『スカートの下の劇場』(河出書房新社),中級篇として竹村和子著『フェミニズム』(岩波書店,「思考のフロンティア」シリーズ),上級篇としては,上野千鶴子著『女は世界を救えるか』(勁草書房),同『発情装置−−エロスのシナリオ』(筑摩書房)の五冊を挙げておく。

 

5 他科目との関連

特に,直接的な関連はない。しかし,sexualityの問題は,誰もが避けては通れないものなので(いままでは,メンドウだから「男」と「女」というふたつだけに限定して,考えないようにしてきただけ),医療はもちろん,そのほかの社会的に当り前とされてきた問題に対しても開かれた授業であるし,そういった授業にしていきたい。いままで「当り前」と考えられてきたことに対して,疑問の目を持つ意識を養っていきたい。

 

6 受講上の注意

語学においては,予習は必須である。予習とは,自分がどこがわからないかをはっきりさせること。予習の最低ラインが,単語調べである。くれぐれも,「この単語の意味はなんですか?」と言って,担当者を辞書代わりにすることのないように。

 

7 成績評価方法

学期末にテストを行う予定。詳細はガイダンス時に,受講者と話し合って決める。

 

8 その他

講義期間中に雑誌等に掲載されるであろうタイムリーな医療関係のエッセイを読む時間を設けることもあるかもしれない。

 

日本の社会と「自己決定」という概念を考えながら,sexualityの問題へと踏み込んでいきたい。

「自己決定」という部分は,インフォームド・コンセントの問題とリンクしてくるし,いままで「当たり前」とされてきたものに疑問の目を向けることは,「医療における安全性」の再確認のための眼差しを養うであろう。