My Research

日本神経病理学会賞受賞によせて

難治疾患研究所 神経疾患研究部門 教授 桶 田 理 喜



 

 日本神経病理学会の英文の学術誌“Neuropathology”の18巻27〜32頁(1998)に掲載された我々の研究論文に対して今年6月3日から5日の間横浜で開催された第40回同学会学術総会で1999年度の実験病理学部門の学会賞が授与された。この賞は3年前にこの雑誌の質を高める目的で設定され,毎年若手研究者による人体病理学と実験病理学の論文の中から1編ずつ選ばれることになっている。一昨年度には本学の神経内科の山田 正仁助教授が人体病理学の部門で受賞している。我々の論文のタイトルは“An in vivo and in vitro comparative study on the mechanism of the selective vulnerability of the inferior colliculus in experimental thiamine‐deficienct encephalopathy”であり,筆者は孟楊紅,桶田 理喜,田島たよ子,岡田 忍である。この論文は,中国はハルピンからの大学院留学生 孟 楊紅君の学位論文であった。この機会にこの論文内容を紹介すると共に,その背景について述べて見たい。  
 我々病理学研究の重要な使命は,色々の疾患の病因と病変の発生機序を解明することであるが,その中で病因が分かっているもののその病変発生機序が不明のものが多い。脳は色々の機能と構造を持ったパーツが複雑に組み上げられて成り立っている臓器であり,各々の疾患では特定の部位が侵されるが,では何故その様な病変部位選択性が生じるのか,その機序が未解決の疾患が多い。我々はこの問題に以前から取り組んでいるが,この論文で取り上げた疾患は,ビタミンB1欠乏によって生じるWernicke脳症である。“この飽食の時代にB1欠乏なんて”と思われるかもしれないが,病理解剖をしているとそれ程稀とは言えない。今日,アルコール依存症の増加に加えて,癌等の重症患者のケアの頻度も増加しており,その際の栄養管理の手落ちや保険点数をおもんばかってB1投与がなされなかった症例(このいずれも医療過誤と判定される)に生じた場合も多いのである。この疾患の脳病変は,乳頭体,中脳の下丘や中心灰白質,第3及び第4脳室壁の灰白質に選択的に生じ,その性状は神経細胞間の領域の小空胞の多発と細血管の拡張,内皮細胞腫大並びに小出血である。中脳では上丘は変化を免れる事が多い。この中脳におけるB1欠乏性病変の選択性の機序を解明する目的で,上丘と下丘を各々組織培養し,その培養液をB1欠乏状態とし,更にB1と拮抗するpyrithiamineを添加する等した場合にも生体で見られた選択性が保たれているか否かを調べた。その結果,両方の組織共に同じ病変が生じ,電子顕微鏡的にも差異は見られず,従って,この選択性の機序として組織培養では除外されるところの各々の組織に分布する血管の機能や構築の違い,或いは神経終末の違いによる可能性が考えられる事になった。この様にnegativeな結果ではあったが,そのために上丘と下丘を3週間以上に亘って別々に組織培養する方法を確立し,乳児ラットでもin vivoでやはり中脳下丘が選択的に侵され,上丘は免れる事(図)を確かめた等,裏付けをしっかり取った点が受賞に際して評価されたのではと考えている。実際に,秘儀的であった脳組織培養を確立するのに3年間以上に亘る試行錯誤を要したので,この様な実を結んだ事はとても嬉しく感じている。この脳組織培養の手法は何も栄養障害の研究に限らず,薬剤の神経毒性発現機序の解明等色々の研究にも応用でき,本学でも用いられる事を期待している。

右から孟 楊紅、岡田 忍、田島たよ子 離乳したラットに体重100g当り30μgのピリチアミンを投与して18日目の下丘(A)と上丘(B):
下丘の神経細胞間に小空胞が多発しているが、上下は変化を免れている。(PAM染色)

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