「ヒトの歯の再生」をめざして
―硬組織生物学会賞を受賞して―

歯学部 生化学講座 元講師 大井田 新一郎


 

 「ヒトの歯を再生させたい」というのが私の夢である。1974年,東京医科歯科大学歯学部を卒業し生化学の大学院に入学した時には,ただの夢で終わるだろうと思っていたことが,今はたぶん実現できるのではないかと考えている。この夢の追求は「脱灰骨基質を皮下や筋肉中に移植すると,その部位に骨新生が起こる」という報告からスタートした。この分化誘導物質が精製できるかも知れないと思ったのは1983年の頃であった。1989年高度に精製した誘導物質と精製データーをもって文部省の長期海外研究員として渡米した。このときの状況は以前医歯大ひろばに原稿を掲載させていただいた。当時アメリカでは分子生物学を基礎としたバイオ産業が立ち上がろうとしているのが随所に感じられた。そして,骨の分化誘導物質(BMP:Bone Morphogenetic Protein)を同定する競争に勝利したのも,分子生物学を得意とするアメリカのベンチャー企業であった。その後,現在までの10年間で分子生物学的手法により,細胞分化に関する研究は急速に進歩した。
 骨の誘導物質として発見されたBMPは,その後構造の類似した多くのタンパク質からなるファミリーを形成していることが明らかとなり,このファミリーは歯の分化誘導にも関与していると考えられるようになっている。今回この原稿を書かせて頂くきっかけとなった,硬組織生物学会賞はBMPファミリーの一つであるGDF(Growth and Differentiation Factor)がラットの歯の形成に関与している可能性を示唆した論文で,解剖の寺島先生,歯周病の諸留先生と共に受賞したものである。その後,歯のGDFに関する研究はウシの歯胚で諸留先生により詳細に報告された(写真1)。もしGDFが歯の形成に重要なものであるとすると,魚類の歯でも発現しているはずである。そのことを確かめるため日本大学歯学部解剖の稲毛先生と日本歯科大学新潟の解剖の石山先生の協力を得て,伊豆下田のマリンパークでサメの歯を採取し,インサイチューハイブリダイゼーションで遺伝子発現を確認する事ができた(写真2)。
 最後に,本年7月1日より学生時代から約30年間お世話になった東京医科歯科大学歯学部から鶴見大学歯学部生化学に移り研究を続けることになりました。これまでに蓄積した,有形無形の研究財産を元手に,今後も,歯の分化誘導のメカニズムを解明し,ヒトの歯の再生治療を実現すべく努力するつもりです。これまで楽しく充実した研究生活を過ごさせていただいた東京医科歯科大学と,多くの関係者の方々に心から感謝致します。

写真1

ウシの歯胚でのGDF‐5,6,7の発現をSSCPで調べたもの。各部位で3種類のGDFの発現の割合が異なっている。
lane1:歯小嚢歯根部
lane2:歯小嚢歯冠部
lane3:象牙芽細胞
lane4‐6はコントロールで,それぞれGDF‐5,GDF‐6,GDF‐7。

 

写真2

A:サメの歯のHE染色。さまざまな発生段階の歯牙が認められる。

 

B: GDFのインサイチューハイブリタイゼーション歯胚の上皮系細胞に強い発現(黒く見える部分)が認められる。