Hollenback Memorial Prizeを頂いて

医用器材研究所有機材料研究部門 

教授 中 林 宣 男


 新素材は社会を変えると言われている。読者各位には何のことか良くおわかりにならないかと思う。情報の流し方,捉え方に大きな変化が起こり,社会構造にまで変化が起こりつつある。携帯電話の普及で若者の生活態度が変わってきた。これらのことは新しい素材が活用されて初めて可能になっている。今話題になっているインターネットですら素材革命のなせる業である。そこに材料開発の大切さや面白さがあるのである。

 近代医療は新薬の開発と共に発展してォたと言われている。歯科の治療では,薬を使う頻度は少なく,欠損部位を人工材料で補い(修復や補綴),機能の回復を図ってきた。そのために材料の活躍する割合は,医科に比べ歯科では大変多かったと考える。その流れの中に,我々のいる医用器材研究所が存在するのである。医科での医療でも,最近組織の再生治癒を望めない疾患が増え,これの治療には人工材料を適用する必要がある。慢性腎不全患者の延命に使われる血液透析などが好例かと思う。血液透析でも血液が凝固しにくい透析膜,血液を透析器に導くシャントなど,根本的に改良すべき問題点は山積しており,新素材の台頭が待たれている。コンタクトレンズ,眼内レンズ,人工血管,人工心臓など新しい材料が待たれている領域は枚挙にいとまがない。急速に進む高齢化社会に対する福祉,介護関連機器の研究を行う必要もある。これらの研究を医用器材研究所有機材料研究部門だけではとても応じきれないのが実情かと考える。

 筆者がHollenback Memorial Prizeを頂戴できたのは,歯科医療の進歩には新しい材料の研究が大切であるとの長期的展望にたち,本学に歯科材料研究所を1951年に創設し,歯科医療の進歩に貢献しようという先輩諸先生方の努力の歴史の上にあると考える。特に化学系の学部もなく,研究は職員を中心に展開せざるを得ない環境の中で研究成果をあげるには,問題点の改良に既存の化合物を流用するより,この世にない有効な化合物を分子設計的な考えで合成し,これらの機能評価をするしかないと考えて,ささやかに努力をしてきたつもりである。有機材料部門では,先代の増原英一名誉教授の時代から,歯に接着する材料の研究が一つのメインテーマであり,筆者がグループに参加するより以前,1960年頃より教室では接着性レジンの研究は行われていた。幸か不幸か,努力をして象牙棒と歯のエナメル質に接着するレジンは得られても,歯の象牙質に接着できるレジンは得られなかった。解決が難しい研究テーマでは,発想の転換が有効である場合が多い。研究とは大変難しい作業である。地図にない未開の場所を開拓するのである。地図があったらそれは研究に値しないかも分からない。自分を信じ,過去の研究結果を学び,未開の領域をさまよい歩くしか解決策はない。他人のやっている研究を勝手に批判したりコメントすることは自由であろうが,一見,まことしやかに聞こえるコメントですら,正しいかどうかこれまた判断は難しい。筆者は歴史が正否を教えてくれると期待したい。研究を体制の中で行うか,反体制の中で行うか難しいところである。体制の中で行う方が楽である。体制の中で解決策が見つかるならば苦労はないのである。どうやら創造性の高い研究を報告すればするほど,それが評価されるまでには時間がかかるし,世の中からは白い目でみられる可能性が高い。

 Hollenback先生についての知識を筆者は持ち合わせないが,今日の保存修復学の集大成に貢献された立派な先生であり,先生の偉業を讃えるべく, Hollenback Memorial Prizeがアメリカ保存修復学会に1975年に創設されたと聞く。歴代受賞者のリストを眺めてみると, BisGMAを合成しコンポジットレジンを作り上げた Dr.Bowen,カルボキシレートセメントを開発したDr.Smithなど保存修復学の発展に尽力された先生方が目につく。本学には歯科保存修復学の大家であられる総山孝雄,細田裕康両名誉教授がいらっしゃるのに,保存修復学にほとんど関係のない筆者が日本人として初めてHollenback Memorial Prizeなどを頂いてよいのか,自分を疑ったりした。これについては,アメリカでの授賞式(1997年2月20日,シカゴ)の後,保存修復学の大家の先生方から,何故私がHollenback Memorial Prizeを頂けるようになったかの経緯などを聞いて,初めて大変有り難い名誉ある賞を頂けたのだなと感慨にふけるようになった。要するに筆者たちの研究成果,「樹脂含浸象牙質を作るとレジンを象牙質に接着できる」によって保存修復学そのものが根本的に変化せざるを得なくなったこと,そのキッカケを作り得た時期に私がたまたま居合わせたことが幸運につながったのであり,東京医科歯科大学,歯科材料研究所,医用器材研究所がなければこんな名誉に浴せなかったであろし,増原英一名誉教授の先見の明がなければ,筆者がこのような研究を行うチャンスもなかったであろうと思うのである。

 筆者の研究成果はレジンを単に歯にくっつけるためばかりでなく,これまでの歯科治療法にはなかった象牙質や歯髄を積極的に保存できる可能性が生まれつつある。かかる研究の過程では,血液透析膜の研究から得た知識も大変役立ったことも触れておきたい。すなわち目先の研究成果も大切であるが,一生懸命に研究を行いつつ問題点を解決しようとする努力も大切であることを強調しておきたい。研究が実るためには多くの人々の協力が必要である。筆者が増原英一名誉教授のもとで研究をしたことが,接着歯学の発展に役立ったことは確かであるし,それなりに努力もしてきたつもりである。その過程では大家の先輩の先生方の考え方に逆らったり,決して平坦な道のりであったとはいえない。これは地図にも載ってない道を突き進むのであるから仕方のない道程であったと言えよう。筆者の唱えてきた学問が1日でも長く生きながらえ,当該学問の進歩に貢献し,ひいては人類の健康増進に役立ってくれれば,この世に生を受けた筆者にとって大変有り難いことである。

 努力すれば報われることを信じて,若い研究者が日々新しさを求めて努力を重ね,創造性の高い研究を実らせて欲しいと思いつつワープロのスイッチを切る。


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