以下はアニマ・ミュージック・ショップ発行のメールマガジン(2003年8月4日版)に掲載していただいた文章に若干加筆したものです。

『HYPERTANGO』プロデューサー手記

  仮にピアソラがもっと長生きして、近年のピアソラ・ブームを目の当たりにしていたら、どう思ったろう?―――そう考えかけて、次の瞬間、それはあまり意味のない問いであることに気付いた。ピアソラが生きていたら、ブームなど起こりはしない。「本物」がこの世から消えたからこそ、模造品や類似品が大量に生み出され、普及したのだ―――というのは、ちょっと極端すぎる見方だろうか。しかし、そういった面がまったくないとは言えないだろう。盛り上がるブームを、冷ややかな目で見ていた人も少なくなかったはずだ。だってピアソラの魅力は、その革新性と切り離せないのだから。ブームの中心にあったのは、ピアソラの精神からもっともかけ離れた行為ではないか。タンゴ・ヴァイオリニスト喜多直毅を知ったことで、その思いは確信へと変わっていった。

出会いは1996年。喜多は留学先のイギリスから一時帰国していた。僕はといえば、クラシックギター専門誌「現代ギター」に執筆を開始し、音楽ライターとしてのささやかな第一歩を踏み出したところ。本格的なピアソラ・ブームが到来する少し前だったけれど、クラシックギター愛好家の間では「タンゴの歴史」(フルート&ギター)や「タンゴ組曲」(ギター二重奏)といったピアソラのクラシック作品がよく知られていた。「タンゴの歴史」のメロディパートをフルートの代わりにヴァイオリンで演奏するのも珍しいことではない。だが喜多の弾くそれは鮮烈で、僕の持っていたイメージを大きく覆すものだった。メロディラインの自在なフェイク。躍動するしなやかなフレージング。初めて見る奏法、初めて聴く音色。これが本物のタンゴなのか。そして、ヴァイオリンってこんなにすごい楽器だったのか。まさに「目から鱗」である。お陰で、翌年来日した元ピアソラ楽団のヴァイオリニスト、フェルナンド・スアレス=パスやアントニオ・アグリの演奏を目の当たりにしても、さほど驚かずに済んだのだ。もちろん彼らは素晴らしく、容易には超え難い存在である。だが喜多は少なくとも、そういった本場の巨匠達を小手先で真似る段階はとっくに過ぎていたのだ。

その後ブエノスアイレスでの研鑽(その間スアレス=パスに師事)を経て1999年末に帰国した喜多は、国内での本格的な演奏活動を開始する。以前にも増して腕に磨きがかかっていたのは言うまでもない。加えて、毎回のように試行錯誤していたから、聴く度に新鮮な驚きがあった。夢中でライブに通い詰め、いわゆる"追っかけ"状態となる。幸いなことに、当時から現在まで喜多の重要なパートナーの一人である竹内永和さん(g)とはライターの仕事を通じてお付き合いがあり、ほどなく喜多とも親しくなることができた。そして実は、彼の本当の凄さがわかってきたのは、その後のことだ。喜多はもちろん、タンゴに対して並々ならぬ愛着とこだわりを持っている。だがその恐ろしく柔軟な適応力で、ジャンルの枠を軽々と超えてしまうのだ。ブルース・バンドに飛び入りすれば知らない曲でもコード譜を見ながら見事なアドリブを展開するし、現代音楽の仕事(アサヒビール・ロビーコンサート)では、港大尋、野田雅巳、鶴見幸代といった気鋭の若手作曲家達による新作の初演もこなした。「ジャズは苦手だよ」なんて渋るのを説き伏せて、スタンダードを数曲弾いてもらったら、これも絶品。「器用」っていうレベルじゃないのだ。ただごとではない、と思った。ひらたく言えば、圧倒的な表現力とセンス。曖昧な印象として言っているのではない。タンゴヴァイオリン特有の技法が随所に応用され、絵にたとえるなら色彩や筆遣いのバリエーションが明らかに豊富なのだ。さらにそれらが優れた即興能力によって絶妙にコントロールされ、相乗効果を生んでいる。そんなヴァイオリニストが、かつて存在しただろうか?

ともかく、実力も才能も明らかだ。ルックスも悪くないし、メジャーデビューは時間の問題だろうと思っていた。ところが、そう簡単に事は運ばない。僕自身、面識のあった複数のレコード会社関係者に紹介してみたりもしたが、皆興味は示すものの、なかなか重い腰を上げようとしないのだ。故池田光夫京谷弘司(共にバンドネオン奏者)といった大御所との共演を通じてタンゴ業界ではそれなりに知られていとはいえ、一般には無名。そんなヴァイオリニストをCDデビューさせるのは、思ったよりハードルが高い作業なのだった。喜多のスタイルが理解されにくかったことも一つの要因だろう。日本人は"伝統"に弱い。タンゴ・ブームの中あっても、ややもすると"伝統的"な演奏(古典からピアソラのオリジナル版に至るまで)に近いほど賞賛される傾向にあったのではないか。だが、自身のアレンジにこだわる喜多は、安易な模倣を潔しとしない。オリジナル曲と誤解されそうな「ラ・クンパルシータ」がわかりやすい例だ。誰でも耳にしたことのあるこの名曲は、多くの先人が独自のアレンジを試みているため、さらなる斬新さを求めれば、自然と原曲から大きく離れることになる。皮肉なことに、そういった喜多の「個性」こそ、堅実さを求めるメジャーレーベルにとっては邪魔なものだったようだ。かつて本場のタンゴ・ミュージシャン達はオリジナル・アレンジを競ったそうだから、喜多はその"古き良き伝統"を受け継いでいるだけなのだが。

いざとなれば、レコード会社が何を望もうと、注文通りの演奏をすることは可能だったろう。だが迎合する意思は皆無。そういう喜多のミュージシャンシップは、誰より僕にとって幸運なことだった。ジャンルにとらわれないユニークなラインナップで知られるエアプレーンレーベルの全面協力のもとに、アルバムのプロデュースを任せていただけることになったのである。もちろん一介のライターである僕にはプロデュース業の経験など無い。しかし不思議と自信はあった。実際に音楽を作るのはあくまでミュージシャン達であり、それを録音・編集して形にするのはエンジニアだ。一番大切なのは優秀な人材を選択し手配することであり、あとは彼らを信頼して好きなようにやってもらえばいいだけではないのか。つまり本音を言えば、プロデューサーの能力がCDの出来を大きく左右するなんて思っちゃいないのだ。「プロデューサーってそんなに偉いのかよ!」ってなもんである。きっと、良いミュージシャンをプロデュースした人が名プロデューサーと呼ばれるのだ。僕にそのチャンスが転がり込んだ!

人材の手配といっても特別な手腕は必要ない。まずミュージシャンについては、日頃ライブで共演している面々が強力なのだから、その中から選ぶのが基本である。先述のギタリスト竹内永和、ベーシスト田中伸司、ピアニスト津山知子がすんなり決まった。竹内はクラシックギターの技術とポピュラー音楽のセンスをあわせ持つ貴重なギタリスト。現代音楽的な要素を持つ「ミクロセントロ」での精緻かつノリの良い演奏がその真骨頂だ。京谷弘司クァルテート・タンゴのレギュラーメンバーとして活躍する田中がタンゴベースの国内第一人者であるのは誰しも認めるところだろう。「NADA」ではタンゴベースならではの技法を堪能して欲しい。この二人は喜多が率いるタンゴ五重奏団「The Tangophobics」のメンバーでもあり、完璧に信頼できる。対して一時期ブランクがあった津山は比較的無名だが、知る人ぞ知る盛岡の老舗タンゴ・バー「アンサンブル」で修行し、池田光夫のグループ等でも活躍したキャリアを持つ。喜多とは学生時代からの付き合いで、相性も抜群。何より、独特のファンキーなグルーヴ感(「タキート・ミリタール」で顕著)はこの人ならではのもので、初めてライブを聴いたときから、すっかり魅せられてしまった。「UNO」での叙情的なタッチも素晴らしく、毎回聴き惚れてしまう。CDのために新たにレパートリーとした「リベルタンゴ」のアレンジも秀逸だ。

そして高田元太郎。10代まではロックに熱中しながら後にクラシックへ転向し、スペインおよび南米に留学。そしてなんと30代前半の若さでボリビア国立音楽院ギター科主任教授に上り詰めたという異色のギタリストである。喜多の演奏にハマるきっかけとなった名曲「タンゴの歴史」だけはどうしても入れたかったのだが、ギターは誰にしよう、と考えたとき、クラシックと南米音楽の両方に精通している高田は間違いなく最良の選択肢の一つだった。そう思っていたところ、タイミングの良く、喜多の噂を聞きつけた高田が自身のライブのゲストに喜多を招いたのだ。さっそく高田に参加を依頼。快諾していただいた。

ここまでは自然な流れであり、さしたる作為はない。プロデューサーとして唯一、積極的に動いたのは鬼怒無月の起用だ。なにしろ僕は彼がアマチュアの頃からのファンである。最初に聴いたのは大学の学園祭だったろうか。すでに並外れたテクニックを身につけており、「この人は絶対将来有名になる」と確信したものだ。プロデビュー後はインディーズレーベル「まぼろしの世界」を主宰し、主にジャズロック系で活躍。小松亮太のグループ「タンギスツ」での活動を通じて、タンゴファンにもおなじみだ。喜多とはそれまで共演の機会こそなかったが、先述のアサヒビール・ロビーコンサートでは鬼怒が作曲した「Hounds of Fate」が演奏されており(ヴァイオリン&マリンバ版、共演は通崎睦美)、音楽的な相性の良さは確認済みだった。レコーディングに先立ち、まずはライブをセッティング。リクエストしたのはピアソラの「エスクアロ」と、「Hounds〜」のギター伴奏版である。狙いは当たった。バッキングの硬質なドライブ感と突き刺すようなギターソロ。こういう「エスクアロ」が聴きたかったのだ。「Hounds〜」は難曲中の難曲だけに、両者の"真剣勝負"を満喫できる。他に鬼怒の新曲「Verdenegro」やライブ録音されたフリー・インプロヴィゼイションも気に入ったので収録させていただくことに。少々大袈裟に言えばこれらは皆、CDの企画がきっかけとなって新たに誕生した音楽である。プロデューサー冥利に尽きるというものだ。

残る重要な仕事は録音スタジオの予約ぐらいだろうか。ジャズ系を中心に、世界に誇るべき名盤の誕生に幾度も携わったGOK SOUNDの近藤祥昭さんにお任せすれば間違いないことはわかりきっていた。八重山民謡とフリージャズが融合した大工哲弘の大傑作「YUNTA & JIRABA」は"無人島に持っていく1枚"に選びたいほど好きなアルバムだが、それと同じスタジオで同じエンジニアに録音してもらうなんて、考えただけでワクワクするほどだ。録音はほぼ一発録りで、ダビングはごく一部。近藤さんの提案により、敢えてアナログ・レコーダーで録音することにした。デジタル録音の方が進歩したやり方のように思われがちだが、必ずしもそうではない。アナログの方がコストも編集の手間もかかるのだが、それでも採用したのは音質上の理由からだ。ピックがギターの表面板に当たる音など、演奏上のノイズはあまり気にせず、「これも音楽の一部」と割り切ることに。お陰で多少荒さは残るものの、ライブの勢いを再現できたと思う。

ラストの無伴奏ソロによる「エル・チョクロ」は正真正銘のワンテイクだ。「一発で決めますから」と一人スタジオに入る喜多。凄まじい集中力が伝わってきた。CDを聴き返すたびに、ミキシングルームの静かな興奮が蘇ってきて感動する。このゾクっとするほど艶のある音色にも、近藤さんのアイディアが隠されているのだが、これは企業秘密。

さあこれで完璧・・・いや、もうひとつあった。「見た目」の問題である。CDの中身(音楽や音質のクオリティ)でメジャーレーベルに負けるとは最初から微塵も思っていない。パッケージングで安っぽく見せてしまうのだけは避けたかった。実はここにもう一つの大きな幸運がある。知人に茂本ヒデキチさんを紹介していただいたのだ。雑誌「ミュージック・マガジン」や「ターザン」の表紙も手がけた人気イラストレーターだ(ちなみに最近の仕事としては洋画「マリア・カラス」やマガジンハウス社の宣伝ポスターがある)。墨を用いた力強いタッチが喜多のイメージにぴったりだと思った。何点かの写真とマスタリング後の音源をお送りし、イメージを膨らませていただく。出来上がった絵を見て唸った。タンゴ奏法の特徴であるギシッという摩擦音(これがカッコいいのだ!)が聞こえてきそうな迫力。これで本当に完璧だ。

こうしてアルバムは完成した。タイトルの「HYPERTANGO」はこのアルバムのコンセプトを表すキーワードだ。タンゴ本来の熱いスピリットはそのままに、旧来のタンゴを超えようとする強い意思を持った音楽。あまりにストレートすぎてタイトルにするのは少々恥ずかしかったが、他によいものが思いつかなかったのでそのまま採用した。これが唯一、妥協した点だろうか。まあいい。21世紀に生きる僕らが本当に聴きたいタンゴ(+α)をとことん追求したたもりだけれど、きっと「こんなのタンゴじゃない」と言う人もいるだろう。そのときは、「その通りです、これは"ハイパータンゴ"ですから」とトボけることにしよう。

徳永伸一郎(音楽ライター/プロデューサー)

[現代パフォーミングアーツ入門][数学][教養部][東京医科歯科大学]